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東京近代美術館で、好きな作家の元ネタ的なスケッチを見て歓喜した話

東京近代美術館東近美では5月14日までの会期で、特別展『重要文化財の秘密〜問題作が傑作になるまで』が開催されています。

わたしもさっそく観てきたのですが、“重要文化財ばかり”ということで、一つ一つの作品には、多くの人が納得する素晴らしさがあるのでしょう。そのため、美術には詳しくないし今までたいした興味もなかった……といった、美術初心者とでも言うべき、わたしのような人に“も”ぴったりな展示会だと感じました。

そういう意味で、素晴らしい展示会だな……というのが、展示を見て回っての感想です。

■分かりやすい作品解説

さらにですね、今回、東近美を初めて訪れて思ったことがありました。それは、作品パネルの解説文の一つ一つが、とても丁寧で熱がこもっていることです。作品のことを知ってもらいたい! 作品の素晴らしさを伝えたい! という気持ちが、すごく伝わってきました。

今村紫紅しこう《熱国之巻(朝之巻)》部分
1914 大正3年→重要文化財指定は1968・昭和43年

例えば東京国立博物館トーハク所蔵の、今村紫紅しこうの《熱国之巻(朝之巻)》。わたしは、この絵をトーハクで観た時に「この絵、すごくいいじゃん!」って思って、展示されている間に2回はトーハクへ行きました。ただし、トーハクの作品パネルには、作者や作品名などしか記されていないんですよね、記憶によれば……もしくは心に残らなかったか……。でも、今回の特別展の解説パネルには次のように記されています。

本作は「朝之巻」「タ之巻」の2巻から構成されます。これはそのうち「朝之巻」。場面は海上から始まり、水上に高床式の家を建て生活する人々、リズミカルに林立する木々、水牛の牛車などが描かれています。インドへの船旅の途中に立ち寄ったシンガポールやマレーシアの様子をもとにしていることが、残されたスケッチからわかっています。日本美術院の記念すべき再興第1回展に発表されましたが、その大胆な色彩表現は賛否が分かれ、パトロンだった原三渓も「紫紅君一代の悪作にして脱線のはなはだしきもの」と嘆じました。しかしその革新性が評価され1968年に重要文化財となりました。

作品解説文より
今村紫紅しこう《熱国之巻(朝之巻)》部分
1914 大正3年→重要文化財指定は1968・昭和43年
今村紫紅しこう《熱国之巻(朝之巻)》部分
1914 大正3年→重要文化財指定は1968・昭和43年
今村紫紅しこう《熱国之巻(朝之巻)》部分
1914 大正3年→重要文化財指定は1968・昭和43年

わたしはむしろ、この「大胆な色彩表現」に魅せられたのだと思うのですが……まぁそれはおいておき……

今回の展示会のタイトルは『重要文化財の秘密〜問題作が傑作になるまで〜』です。解説文は、作品の詳細とともに、発表当初は何が問題視され、後にどう評価されたのかがちゃんと記されています。

さらにですね……作品によっては「ひみつ+α」として、補足解説が付いています。《熱国之巻(朝之巻)》も、その一つで、上の解説文で気になった「残されたスケッチ」について記されています。

東京国立近代美術館には、この《熱国之巻》を描くにあたって今村紫紅が東南アジアからインドにかけて取材旅行をした際のスケッチが多数収蔵されています。その中には具体的に作品に採用された場面もあり、そのスケッチの地名の書き込み(新嘉坡(シンガポール)、彼南(ペナン)、蘭貢(ラングーン)、迦耶(ガヤ)など)から、紫紅が具体的にどこの土地を描いたかがわかります。現在、4階の所蔵品ギャラリーの第4室で、これらのスケッ チを展示していますので、あわせてご覧ください。

作品解説文(ひみつ+α)より

特別展で、この《熱国之巻(朝之巻)》は、横山大観の40メートルの大作《生々流転》を抜けたところに展示されています。おそらく特別展の入り口から数えて3〜5作目……かなり最初の段階で展示されています。それなのにですね……「特別展を観終わったら、4階にも行くのを忘れないようにしなきゃ!」って思ってしまいました。

■残された今村紫紅のスケッチ

特別展を観終わったわたしは、幸いにも忘れることなく、4階へも行ってきたのです。

もちろん、今村紫紅が《熱国之巻》を発表した、その半年前にインドなどを旅行して描いたとされるスケッチを観るためです。ただし、観覧時間は30分間に限られていました。それなのに……4階へ行ってみると、今村紫紅だけでなく、特別展に関連する……つまりは重要文化財の指定作品を描いた画家たちの、ほかの所蔵作品が多く展示されていました。そう分かると……やばい、どれもこれも魅力的じゃないか……と感じて、どうしても気になった作品は、時間をかけて観たくなってしまいます。

ということで、もし特別展『重要文化財の秘密〜問題作が傑作になるまで〜』を観に行こうと思っている方は、4階から2階を見て回る時間を予定に入れておくことをおすすめします。

さて、今村紫紅がインドをはじめ、各国を巡って描いたスケッチについてです。

解説パネルによれば、《熱国之巻》は、 1914(大正3)年9月の展覧会で発表されたそうです。その半年前に、今村紫紅はインドを訪れ、「異国の日常に興味を掻き立てられた」のだそうです。

現代人でも、多くの人が、海外へ行くとテンションが爆上がりするはずです。わたしも先日、サウジアラビアへ行き、久しぶりに海外の空気に触れて高揚感が抑え難かったです。100年以上前の大正時代であれば、なおさらでしょう。

今村紫紅は、船旅だったようです。推定……ということですが、その旅程は概ね次のようなものだったそうです。

船は2月26日に神戸港を出発し、門司、香港、シンガポール、ペナン(現マレーシアのペナン州)ラングーン(現・ ミャンマー連邦共和国のヤンゴン)に寄港し、インドのコルカタに到着。コルカタから先はインド内陸部のガヤーブッダガヤにまで足を伸ばします。帰途は中国江南地方を漫遊して、帰国は5月末頃でした。

解説パネルより

けっこう具体的に旅程が分かるのだから、日記があったのかと思いきや、そうではないそうです。その代わり、今回展示されている《印度旅行スケッチ帳》には、地名が書き込まれているんです。それを追っていくと、上記のような旅程が浮かび上がってくるとのこと。

さらに解説パネルでは「作品を楽しむ三つのコツ」が示されています。

一つは、《熱国之巻》のどこにスケッ チが利用されたか探すこと
二つめは、インターネットを利用して現地の今の景色と比べること
三つめは、画家の息遣いが生々しく伝わるスケッチを、そのまま楽しむこと

■《印度旅行スケッチ帳》をそのまま楽しむ

解説パネルに示してあった「作品を楽しむ三つのコツ」ですが、今回は三つめに記された「作品をそのまま楽しむ」だけにとどめたいと思います。ただし、コツの一つめに挙げている「《熱国之巻》のどこにスケッ チが利用されたか」については、ほかの解説パネルで、いくつかのヒントが書かれていました。う〜ん……ほんとうに丁寧な解説だなぁと思いましたね。

とはいえ以下は、ひたすら撮ったスケッチの写真を貼り付けて終わります。順番は間違っている可能性が高いです。

彼南(ペナン)郊外
彼南(ペナン)郊外(部分)
彼南(ペナン)公園の植物
ガヤー所見
ガヤー所見
ガヤー所見
ガヤー所見
ガヤーの町

以上、今村紫紅がインドや中国などを漫遊して描いたスケッチでした。

ちなみに特別展『重要文化財の秘密〜問題作が傑作になるまで』で、《熱国之巻》の『朝之巻』は前期のみの展示で、後期は『夕之巻』が展示されるそうです。いずれも所蔵はトーハクなので……トーハクで展示されるのを待っていれば良いような気もしますが……後期も観に行くかもしれません。

ということで、今回は今村紫紅の《熱国之巻》と、彼のスケッチに注目しましたが、そのほかにも素晴らしい作品が目白押しだったので、何度かに分けて、noteしていきたいと思います。

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