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東京国立近代美術館『‎重要文化財の秘密』が開催中〜副館長が語る展覧会の主旨と見どころ〜

東京国立近代美術館(東近美)は、今年が開館70周年にあたります。これを記念して『‎重要文化財の秘密 「問題作」が「傑作」になるまで』が、3月17日から5月14日の会期で開催されています。

展覧会に先立って行なわれた記者発表会では、同館の大谷省吾副館長が登壇し、展覧会の主旨や見どころをお話されていました。『‎重要文化財の秘密』展を見るにあたって、副館長のお話された内容を聞いておくと、同展をさらに楽しめるだろうと思いました。そこでここに、書き起こしの全文を記しておこうと思います(一部聞き取れなかった箇所があります)。

なお、同展の開催にあわせていくつかの講演会が行なわれます。その中には、大谷省吾副館長の講演も予定(4月8日)されているので、お聞きすることをお薦めします。詳細はこちら

■開館70周年にあわせて重文指定作品を集めた展覧会を開催

本日はご来場ありがとうございます。今回の展覧会を担当いたしました東京国立近代美術館の大谷と申します。これから展覧会について。簡単に30分弱ほどでご紹介させていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。

今回の展覧会はですね、ここ東京国立近代美術館の70周年を記念して開催されるものです。開館したのは1952年12月1日のことですから、厳密に言いますと昨年の12月1日がちょうど70周年でした。(資料を指し示しながら)今ご覧いただいているのが開館当時の美術館の建物です。

最初は京橋、今の国立映画アーカイブのある場所でオープンいたしました。この開館当時の美術館がどのような感じだったか、というのはですね今4階に美術館の歴史を辿る小さいコーナーがありまして、そこで当時の貴重な映像を見ることができ、動画を見ることができますので、ぜひご覧いただければと思います。すごく小さな美術館だったということが分かります。面白いので、ぜひご覧ください。

それでその後ですね、やっぱり京橋の建物は小さいということで、1969年にここ竹橋に移転いたしました。ブリジストンの石橋雄二郎会長の寄附がありまして、谷口義郎の設計によるこの建物ができたわけですね。それで、それでも2002年にちょっと増改築をやりました。それで2002年というのは、ちょうど50周年だったんですね。そのリニューアルの展覧会で『未完の世紀-20世紀美術がのこすもの』という、20世紀の美術を振り返る展覧会をやりまして、2012年の60周年には『美術にブルッ』というですね、ちょっと変なタイトルですけども中身は非常に充実したですね……第一部が美術館の名品のコレクション、第二部はですね美術館ができた当時の1950年代の美術を紹介する展覧会というのをやったんですね。

それでじゃあ(2023年の)70周年には何をしようかということを考えて、今回3年くらい前から準備をして、今日皆さんにご覧いただくことになりましたのがこの展覧会です。明治以降に作られた日本画、西洋画、彫刻、工芸のうち重要文化財に指定された作品による展覧会ですね。

■51点の重文指定作品が集まる意義

皆さん、重要文化財って聞いたときにどのような印象を持たれるでしょうか。国宝って聞けばですね、これはすごい、見ておかなければいけないと、そういうふうに思うに違いないんですけれども……例えばですね、去年の秋、東京国立博物館(トーハク)の方ではですね、国宝展というのが開かれましたですよね。大変な反響があったことを皆さんもご記憶のことと思います。日時指定の展覧会だったわけですけども、35万人くらい入ったというふうに聞いております。それと比べるとですね、重要文化財と聞くとですね。どうでしょう、ちょっとインパクトに欠けるでしょうか。今一つピンとこないと思われるかもしれません。しかもですね、トーハクさんは国宝から89点。今回の当館の展覧会は重要文化財の51点ということで、数の上でもちょっと見劣りするような感じがするかもしれません。

でも多分ですね、この美術館の業界に多少でもですね、関わりを持っていらっしゃる方でしたらですね、この重要文化財の51点という数字もですね、多分驚かれるんじゃないのかなというふうに思います。これがいかに大変なことかというのは、これからご理解いただけるとありがたいなと思いまして、こういう数字を用意しました。

現在ですね。美術と工芸の重要文化財というのはですね、もう古いものから全部数えると1万872件あります。そのうち国宝が906件ですね。だから重要文化財が1万以上もあるとですね、なんかあんまりレアな感じがしないかもしれません。ですけれど、これを明治以降の絵画・彫刻・工芸に限るとですね、どうなるかというとこういう数字になります……。

はい、まだ明治以降の絵画、彫刻、工芸に国宝というのはありません。重要文化財だけです。それの数は68件まで絞られるわけですね。今回はその68件のうちの51点が上がるというですね、この打率というのは普通はありえない数字です。今申し上げましたとおりですね、明治以降の美術は、まだ国宝がありません。ということはですね、ご所蔵の皆様はですね、これらの重要文化財の作品をですね、ほとんど国宝並みに大切にされていらっしゃってですね、そうそう簡単には貸してくれないんですね。それから、ご承知のとおり国宝とか重要文化財というのはですね、保存の観点からですね、年間の貸し出し日数というのが、文化庁から厳しく制限されておりましてですね。60日を超えてはいけないという原則があります。

しかも近代美術の場合はですね、毎年なにがしかですね、こういう重要文化財に指定されるような人たちですと、大きい回顧展というのがあるわけですね。そうすると回顧展に代表作が出ないわけにはいかないので、どうしても(展示期間が)バッティングすると、そちらに優先されてしまうという問題がありまして、そういういろいろと厳しい条件をこの3年間交渉を重ねてですね、何とか51件集めることができました

■各作品が、どうして重文に指定されたのか?

そういう中でですね、本当に今回展覧会に作品をお貸ししてくださった美術館の皆さんには、本当に感謝してもしきれない……そういうところであります。ということでですね、今回の展覧会がいかに無茶な試みだったかということが、数字の上でもお分かりいただけたかと思うんですけれども、やはり皆さんもですね、どうしてもバッティングすると代表作が出てしまうのではないかなというふうに思います。

それでですね、例えばですね、重要文化財の国宝って指定基準というのがあるんですね。それを読むとですね。国宝というのは一番下のところですね。重要文化財の指定作品は、『製作が極めて優れ、かつ文化史的意義の特に深いもの』ということは、つまりまあ国宝のような言い方ですよね。ということなんですけれども、読むとですね、まあしょうがないということになりますが、でも実を言いますと、そもそも今回の東近美(東京近代美術館)の展覧会はですね。トーハクの国宝展とはコンセプトが違う。ここをちょっと強く言いたいと思います。

どういうことかと言いますとトーハクさんは150周年記念にですね、自分のところの一番貴重な作品を一気に見せるという、こういう展覧会でした。私どもの展覧会はですね、重要文化財に指定されるから素晴らしいという風にしてですね、受け身でありがたく作品を見る、というのではなくてですね。どうしてこれが重要文化財に指定されるんだろうという、そういう視点から作品を見ていただきたい。そういう風な趣旨で今回の展覧会を作りました。

■変遷してきた重文指定の評価基準

そもそもですね、東京国立近代美術館の開館70周年の記念の年にですね、重要文化財の展覧会をしようということになったのはですね、重要文化財を規定している、文化財の施行というものができたのは1950年なんですね。東近美ができたのは1952年で、そして明治以降の作品が指定され、始まるのは1955年なんです。だから大体同じくらいにスタートしているわけですね。そういう風に、この頃から重要文化財の指定の制度と、東京国立近代美術館の展覧会や作品収集……そういうものがですね、ちょうど並行してですね、それぞれ日本の近代美術を、どのように価値づけていくかということを並行して行ってきた……そういう風に言えると思うんですね。

でもですね、改めて考えてみますと、近代美術の中から何を重要文化財に指定するかということが結構難しい……ということに思い至ります。それはですね。先ほどこの重要文化財の指定基準というのを見せましたけれども、この中で一番最初のところにですね、各時代の品のうち製作優秀で我が国の文化史上貴重なものという風に書いてあります。もっともらしいことなんですけれども、特に近代美術の場合ですね。何を指して貴重というのか、そこの判断が非常に難しいのではないかという風に思うのですね。その難しさ、というのは多分、この3つに集約されるものではないかと思います。

1つ目はですね、当たり前ですね……作られてからあまり時間が経っていないわけです。そうすると長い歴史の評価のフルイにかけられて名作が残っていくというには、それにはちょっと時間が足りないのではないかということですね。代表的なのはですね。この作品が実は作られてから指定されるまでの期間の一番短い作品です。当館所蔵の『生々流転』ですね、横山大観の代表作です。けれどもこの作品は1923年に描かれていて、指定されたのは1967年ですから、44年しか経っていないわけですね。44年……というのは長いのだか短いのだか、ちょっと判断が難しいかなと思うんですが、今現在から計算してみたら1979年に作られた作品を指定することと同じということになるわけですね、それはなかなかやっぱり大変だなというふうに思うわけです。

それからですね2番目。ご存知の通りですね、日本の近代美術というのは明治以降ですね、西洋からどっと新しい技術や情報が紹介されてですね、その影響抜きには語ることができません。そして西洋から伝わってきた美術と、それとそれまで日本にあった伝統的な色々なものですね、そういうものがですね一つの作品に複雑に絡み合ってできているのが、日本の近代美術というふうに言えると思います。

■重文指定された順に作品を見ると何が分かるか?

じゃあ、そういう作品を評価する時にですね、この評価の判断として寄って立つのは、じゃあ西洋的な価値観で判断したらいいのか、それとも日本の伝統的な価値観で判断したらいいのか、ここら辺はなかなか難しいなという。そういう判断の仕方自体がどうなのかという思いもあると思うんですが、でも実際今までの視点の歴史を振り返っていくとですね、そういう局面がやっぱりあったんだな、というのが分かってくるんですね。

今回の展覧会……すでにもう会場をご覧になった方はですね、『生々流転』の展示スペースを抜けたところに、非常に大きい年表があったのをご覧いただいたかと思います。今回実はですね、今回の展覧会で私、これが一番重要だと思っています。

近代美術の重文指定の年表(1955年〜1968年頃)

私そもそもですね、今回の展覧会をやることになった時にですね、ただ重要文化財の作品を並べただけでは展覧会にならないなというふうに思っておりました。それと何かしらですね、今日的な比標的な視点、そういうものが入らないと東京近代美術館で展覧会をする意味がないと思ったんですね。それでどうしたら現在の視点からですね。近代重要文化財というものをご紹介できるかということを考えた時にですね、作られた順番ではなくて指定された順番に作品を並べ直してみたら、何か分からないかな、というふうに思ったんです。それでやってみたら、すごく色々と面白いことが分かりました。ただこの年表をずっと眺めていると、すごく面白いんですが、もうちょっと単純化したほうが、なんか構造が見えてくるので、こちらをご紹介しますね。

これ一番上が1955年で一番最初に指定された年ですね。この時日本画で狩野芳崖《不動明王図》と橋本雅邦《白雲紅樹》が指定されますけれども、左側のピンクのところが日本画です。黄色いのが油絵で緑が彫刻。一番右の水色が工芸です。けれども、こうして見ていただくとですね、この70年ぐらいの間にですね、コンスタントに重要文化財の指定が、近代(の作品)に関して行われていたわけではなくて、色々偏りがある。そういうものが見えてくるんではないかなというふうに思うわけですね。

それで特に、今ちょっと注目していただきたいのは、1968年の前後にですね、指定が集中しています。これはどうしてかというと、1968年というのは明治100年の年だったからですね(1868年の明治元年からの100年)。その時に明治の文化というのが、改めて色々振り返られた……そういう時があったわけです。この時にですね、それでそのあたりで(指定が)いっぱいありますけど、その後しばらくストーンと抜けているのをお分かりかと思います。実は1980年代から90年代ってほとんど近代の美術の重要文化財って指定されてないんですね。1999年からまた新たに指定が始まるんですけれども、その昔の指定と最近の指定ではちょっと傾向が違う。そういうことがちょっと分かってきたりいたしました。

近代美術の重文指定の年表(1970年〜1982年)

その典型的な例をご説明します。それが黒田清輝で……ごめんなさい。今日いらしていただいた皆様には、黒田清輝の作品をご覧いただけません。後半はですね、7月11日からの展示になりますので、ぜひまたいらしてください。それでですね、何が申し上げたいかと言いますとですね、この左側の作品、今回これはお借りできなかったんですけれども、黒田清輝の《舞妓》という作品ですね。こちらが指定されたのが1968年。

重要文化財に1968年に指定された黒田清輝の《舞妓》
東京国立博物館蔵(画像:Wikipediaより)

右側……こちらの《湖畔》の方が皆さんにとってはちょっとおなじみ深いんじゃないかと思うんですけれども。こんだけ有名な作品なのに指定されたのが1999年なんですね。実はごく最近だったりするわけです。これはですね面白いところがあるわけですね。

重要文化財に1999年に指定された黒田清輝の《湖畔》東京国立博物館蔵
(画像:Wikipediaより)

実は1968年に《舞妓》が指定された時に、この《湖畔》もですね(重要文化財への指定に関して)検討の途上に上っていたというふうに言われています。けれども結局、議論の過程を経た結果として保留になってしまった。そういうふうに言われています。それがどうしてかというと、つまりその当時日本の美術史に携わる人たちの価値観においてですね、近代美術であったら、やはりその西洋の価値基準が優先されてですね、例えば黒田清輝だったらフランスへ留学して、その印象派時代のラファエル・コランのもとで勉強しますけれども、印象派的な光の表現をどれだけ自分のものにすることができたかとか……そういうものをいかに日本に持ち帰ることができたかという……そういう部分がまず評価の対象になって、先に《舞妓》の方が選ばれている。ちょっとやっぱり《舞妓》の方を見るとですね、どちらかというと外国人の目線で芸者さんを見ているような、そんな感じがしますので、それで光の表現を〇〇〇〇〇〇(?聞き取れず)ところとか、そういう部分がいかにもやっぱり西洋的な価値観の上に立って描かれているような感じがいたします。

その一方で《湖畔》というのはすごくそれが和風化されている。この和風化というのは今の私たちの視点から見たらですね。これはこれでいいじゃないというふうに思われると思うんですけれども、日本は当時はですねこの指定の基本がなされた1968年頃においてはですね、こういうふうな和風化の仕方というのは、せっかく西洋で勉強してきたことが、日本に戻ってきて表現が〇〇くなっちゃっているという(?聞き取れず)、そういうふうにちょっとマイナスに評価された……らしい……ということが、当時の文献とかから少し見えてくるんですね。こういう不思議なことが見えてきました。時代の隔たりですね。

近代美術の重文指定の年表(1982年〜1999年)

同じことがですね、彫刻の場合にも言えます。今回会場に出ているのは高村幸運の《老猿》ですね。明治を代表する彫刻家ですね。この作品、高村光雲は江戸時代の仏教彫刻の伝統を受け継ぎながらですね、明治に入ってからいろいろ自然観察のもとにですね、非常に重要な作品を作っております。それで上野の西郷さんとかそういうモニュメンタルなものもありますし、大変一般的には評価が高い人ですね。《老猿》も1893年のシカゴ万国博覧会に出品されて賞を取ったり、当時から評価されていた作品のはずです。けれどもこれもですね1967年にですね、その次の年が明治100年という中で、やはり明治の彫刻を何に重要文化財として指定しようかという議論になった時に、先に指定されたのが左側の荻原守衛の《北條虎吉像》だったんですね。

やはり高村光雲の作品は候補に上がっていたけれども、やっぱりこういう風になっちゃった。どうして荻原守衛の方が先になったかというと、やはりさっきの黒田清輝と同じく、まずは近代の美術だったらそういう西洋の近代の彫刻の造形の考え方……今見たときには、ロダンですね……ロダンの考え方をきちんと理解してその上で評価を行っていると……評価ということも割と評価のポイントになってしまったらしいんですね。

荻原守衛はご存知の通り。実際ロダンに学んでいる人です。それで日本に帰ってきて……。で、重要文化財に指定されているのは、今、東京国立博物館で所蔵されている石膏像のほうです。で、実は東京国立近代美術館にも、こんなのがあるんですけれども……ブロンズ像です。ブロンズ像は今4階の所蔵品ギャラリーに展示してありますので、ぜひそちらも覗いてみてください。実際に当時、文部省の展覧会に出品されて賞を獲っているのは、東京国立近代美術館にある作品のほうなんですけれども、重要文化財に指定されているのは、トーハクの石膏像です。ここはちょっと強調しておいたんですね。あのぉ……重要文化財というのは保存が大事なので、壊れやすい石膏像……1個しかない石膏像のほうを指定するわけですね。でもなんとなくここに勤めていると、ちょっと割り切れない(笑)。それはともかくとして、これもそういうわけでちょっと木彫の指定がずっと後になってしまったというところがあるわけですね、でもその辺をどう考えていくかという問題があるわけです。

近代美術の重文指定の年表(1999年〜2004年頃)

もう一つ続けて申し上げると3番目です。近代美術の話をずっとしてきておりますけれども、そもそも西洋から入ってきている近代美術の考え方というのは自分たちの一つ前の世代に対して、そういう価値観を乗り越えようとして、それで新しいものを作ろうと。そういうふうに発展してきたという歴史があるわけですね。そうするとそもそも従来の物差しで価値を測っていいのかどうかということも議論があると思うんですね。だから、より新しい作品を評価していくためには、評価の基準というのもどんどん更新されていかなければいけないはずだと思います。そういうところの難しさもわかると思うんですね。

今回の展覧会のキャッチコピーとしてチラシやポスターで『問題作が傑作になるまで』という、ちょっと挑発的なコピーをつけてしまったもので、一部の方々からひんしゅくを買っているんですけれども(笑)……決して問題作というのはスキャンダラスなものを、というつもりでつけているわけではありません。もう少しポジティブな、当時あまりにも新しい表現だったので、みんなをびっくりさせてしまったけれども、それを少し時代をおいてみたときに新しい時代を切り拓いた作品だったんだということが認められて、その後に評価されたんだということを申し上げたいわけですね。

そういうことが特に言える作品が、萬鉄五郎の《裸体美人》だと思うんです。それでこの《裸体美人》の面白いのは、あのぉ(萬鉄五郎は)黒田清輝の東京美術学校での教え子でもいるわけですね……まぁ彼は最初の頃は優等生だったんですけれども、卒業制作として《裸体美人》というのをいきなり提出するわけですね。それで黒田たち……先生たちをびっくりさせてしまって、卒業生が19人いたけれども成績が16番目だったと、そういうふうな話が伝わっています。

萬鉄五郎《裸体美人》東京国立近代美術館蔵
(画像:Wikipediaより)

けれども(《裸体美人》が)制作されたのは1912年ですね。ちょうど時代が明治から大正に移り変わる時期。そしてその頃フランスからフォービスムとか、あるいはゴッホとかですね、そういう新しい表現が日本に伝わってきた時に、そういうものに刺激を受けながら作者の自己表現というものが大事なんだということ……そういうものを最初に現したモニュメンタルな作品だということで、2000年に重要文化財に指定されるわけです。戦後そういう形で、萬鉄五郎の評価というのが上がっていくわけですけれども、そういう評価の積み重ねの中で2000年に指定されるんですが、面白いのがその前の年なんですね。黒田の《湖畔》が指定されるのも……連続で指定されているというのがすごく面白いなというふうに思います。

それだけですね、黒田の《湖畔》を評価する時の評価の仕方と、萬鉄五郎の作品を評価する時の評価の仕方って、明らかに立ち位置が違いますよね。それはつまり、これだけ平成以降作品の評価をする時の、評価の軸が広がっていくというか、多様化していくというか、そういうことが言えるんじゃないかなというふうに、言えると思うわけですね。

その幅の広がりというものを考える上で非常に重要なのはですね、先ほどお見せした年表の中で、空白地帯が1980年代から90年代なんです。どういうことかというと。この時期にちょうど日本各地に美術館ができ始めるんですよね。それであちこちで近代美術を詳しく掘り下げた展覧会がどんどん開かれるようになって、研究も進んでいくわけです。それから学会ができたりですね、それから明治時代のいろんな文献が報告されたりですね、それからあとは近代国家の成立と結びつけた制度史的なアプローチでですね、明治の美術を見直すとか、いろいろな新しい研究が進んだ上で、先ほどのこういう1999年以降にですね、どんどんまた近代美術の指定が始まっているというふうに言えるかと思います。

宮川香山《褐釉蟹貼付台付鉢》東京国立博物館蔵(画像:東京国立博物館より)

その一つの典型的な例がですね……工芸なんです。工芸って2001年からようやく指定が始まるんですね……明治以降のものについて。そう言うと、なんかすごく意外な感じがすると思いますけれども、割と最近なんです。これは例えばこの右の作品ですね……宮川香山の作品(《褐釉蟹貼付台付鉢》)……これはですね、非常にちょっとびっくりさせられるような作品ですけれども……こういうものはですね、やっぱり長いことですね海外向けの輸出品としてですね、ちょうど19世紀の終わりくらいからジャポニスというものがあって……日本趣味を求めて需要があったわけで、そういう欧米の趣味に合わせて、なんかすごく装飾過多……あるいは細密描写型の作品……これは日本人の元々の好みがちょっと違うんじゃないか、というふうな感じで、しばらく長いこと評価が低かったりしていた時代があります。けれども、やっぱりその、80年代から90年代にですね、改めてそういう工芸の研究が進む……あるいは博覧会というものの研究が進んでいく……そういう中で明治時代のいろいろな日本の文化をどういうふうに海外に見せていくかとか、そういうことについて客観的な研究が進んだおかげでですね、やっぱり改めて工芸をどういうふうに指定していったらいいかということの議論が深まったんだと思えるわけです。

近代美術の重文指定の年表(2014年〜2022年)

こんなふうにですね、この評価の物差しというのはですね、この70年からずっと短い期間の中でもですね、かなり変化してきていたということがわかります。そしてもちろんですねこの評価の物差しというのは現在進行形なわけです。例えばですね。近年は社会のいろんな局面でですね、ジェンダーバランスということが言われると思います。けれども重要文化財に指定されている女性の作家というのが、この上村松園さんだけなんですよね。2001年にですね……今回これをお借りできなかったんですけれども、(東京)芸大さんの《序の舞》が指定されておりまして、それから2011年に当館の《母子》ですね……これは後期に出品されます……この作品が指定されているだけです。

上村松園《序の舞》(東京学芸大学所蔵)と同《母子》(東近美蔵)(画像:Wikipediaより)
展示期間:《序の舞》今展では展示されず
展示期間:《母子》4月18日〜5月14日

もちろんですね先ほど来、申し上げているとおり。重要文化財の指定というのはあくまでも作品本位です。作品の個々を前提として指定が行われるので、個々の作家の検証を行っているわけではないんですね。ですから今までずっと指定にあたって性別というのは全然問われなかった……そういう歴史はあるわけですけれども、でも今こういうふうな社会の状況を反映していくと、今後どういうふうになってくるんだろうなというのが、素朴な興味としてあります……まぁどうなっていくんでしょうねというところですね。そういうことを考えながらご覧いただけると思います。

■今展示会の見どころを紹介

そして……時間はもうこんな時間になってしまいました。質問タイムがなくなってしまうので、あとちょっと駆け足でいくつか見どころをご説明します。

先ほどちょっとお見せしました(横山大観の)《生々流転》ですね。ご存知のとおりですね、長さ40メートルあります。それでですね、この美術館でもあのスペースでしか展示……全部はできないんですね。そうすると時々しかやっぱり展示できません。前回展示したのは2018年の横山大観展の時でしたので5年ぶりです……次はいつになるでしょう。しばらくちょっと数年は全部見るのはなかなか難しいと思いますので、今回ぜひぜひご覧いただければなというふうに思います。

長さ40メートルの横山大観《生々流転》東近美蔵
展示期間:通期

それと今年はですねこの絵が描かれて、ちょうど100年。しかもご存知でしょうか……この絵が最初に発表されたのは1923年の9月1日で、関東大震災の時ということなんですよね。それで……そういう中を逃れて、今なんとかこういうふうにして見ることができるという意味でも、本当に貴重な作品だと思います。

それからですね、今回、先ほど申し上げましたとおりですね各所蔵館の皆さん、とっても作品を大事にされていらっしゃいます。なので、最初から最後までずっと通しで展示していいよと言われたところが非常に少ないです(笑)。どんどん展示替えを開催中に行いますので注意していただければと思います。あのぉ……当館のウェブサイト、特設サイトでもいつからいつまでそれぞれの作品が展示されるかが全部書いてありますので、そういうものをチェックしてご覧いただければと思います。

特にこの永青文庫さんの《黒き猫》(菱田春草)は今ちょっと状態が悪くて、お返ししたらすぐ修復をするというふうにおっしゃっていました。それでも貸していただけたので、最後の1週間だけですけれども、ぜひご堪能いただければと思います。

菱田春草《黒き猫》永青文庫蔵(画像:Wikipediaより)
展示期間:5月9日〜5月14日

それからですね、保存という意味ではですね彫刻もですね、石膏というのは非常に脆いものです。ですから先ほどのトーハクさんの荻原守衛は貸してもらえなかったんですが、今回ですね、浅倉彫塑館さんとそれから碌山美術館さんはですね、大変寛大なるお取り払いをくださりまして(朝倉文夫《墓守》と荻原守衛《北條虎吉像》を)貸していただけたんですね。なかなかやっぱり石膏を見る機会って少ないですね。だからぜひ……ブロンズはやっぱりちょっとニュアンス違って見えますので……(石膏像を)ぜひぜひじっくりご覧ください。

あと当館のですね(新海竹太郎の)《ゆあみ》もですね、普段はブロンズの方を展示してますけれども、今回は石膏を展示しておりますので、これもご覧いただければというふうに思います。

それから最後にですね、鈴木長吉の《十二の鷲》ですね……これも当館の工芸館の所属品なんですけれども、工芸館が金沢に行ってしまいましたので、去年も金沢に展示してるんですけれども、東京でご覧いただく機会って以前よりちょっと減ってしまうかなというふうに思っております。今回そういう意味でも、またちょっと赤バックでですね……すごい派手な演出で展示してみましたけれども、じっくりご覧いただけると思いますので、この機会にぜひぜひということで、この辺りをぜひじっくりご覧いただければと思います。

ちょっといい時間になってしまいました。ちょっと質問の時間があまり取れませんけれども、私はしばらくここに残っておりますので、まぁいくつかご質問いただければと思います。とりあえず、私のご説明はここまでにさせていただきます、よろしくお願いいたします。


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