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生まれた日に旅立つ時を思う/連載エッセイ vol.122

※初出:知事認可・岩手県カイロプラクティック協同組合発行、「姿勢ッコくらぶ通信 vol.124(2021年・第3号)」掲載(原文ママ)。

春の大型連休の、ちょうど中日のこと。
私はあいにくの雨模様の中、県北は八幡平市へ向けてハンドルを握っていた。
その行き先は、この時分にぴったりなドライブコースである、冬季通行止めを終えたばかりの高原道路……ではなく、市立図書館であった。

彼の地に生活基盤を持たない私が、何故ゆえにお世辞にも規模が大きいとは言い難い、彼の施設を訪問するのか? 

それは、私にとって10年来の「お客様」であり、たくさんご紹介もいただいた「支援者」でもある女性による著作の展示会が開催されていたためだ。

関東に生まれ育った彼女は、某有名私大英米文学科を卒業し、英語も自在に操る才女。

就職、結婚後も神奈川に暮らすが、当時中学生だった息子さんのアトピー性皮膚炎治療のため、ひらめきを得た彼女が主導する形で旧松尾村に家族で移住。

その後、主婦として岩手山の麓での生活を続ける中、その持ち前の旺盛な好奇心から、地域の風土や歴史に関心を持ち、還暦を数年過ぎた頃から執筆活動を開始。

地元の人間でも深くは知らないような伝説伝承を基にした小説や絵本、その英訳、そして自身の体験やインタビューをまとめた農業に関するレポートなど、多岐にわたる著作を発表し続けた。

私とのご縁は、その息子さんが先に通っていたところに、ちょうど震災が起きた半年後より同行するようになってから。

その翌年の、私にとっては2店舗目となる盛岡の「準備室」としての開所式や、その2年後の「正式オープン」の開業式にも参加してくださったり、一般を対象とした1日がかりの勉強会を受講してくださったり、家族ぐるみでたくさんのお客様をご紹介くださったりと、長年に渡ってお世話になり通しで、彼女が来店する時は、その朗らかな笑い声で、店内がいつにも増して明るくなるような印象であった。

ナビに従って、初めて訪れる図書館の駐車場に車を入れる。
幸運にも建物近くに停めることができたので、傘を使わず、強弱を繰り返す雨を避けるよう小走りで玄関へ駆け込む。

室内は、図書施設特有の古いインクの香りと静寂で満たされ、歩みを進めると、貸出カウンターの真ん前に、その展示コーナーはあった。

彼女の著作とともに、今回の展示会開催の経緯が、館長のコメントとして掲示されている。
児童文学も手掛けていた彼女が、図書館主催の朗読会に読み手として参加していたことに対する謝辞であった。

長机に平置きされた彼女の著作を手に取る。すべて読んだことのある本だ。
私のこの駄文を、毎回楽しみにして読んでくださっていたらしい彼女は、新しい本が出版される度、私にわざわざ「献本」してくれていたのだ。

『今度、こんな本を出したの。
 センセイ、忙しいとは思うけど、読んでみて。
 フフフ!!』 

彼女は毎回、悪戯っぽく、でも少し誇らしげな笑顔を添えて、刷り上がったばかりの真新しい本を持ってきてくださった。
そして私はそれを読んだ後、店舗に「お客様の作品」として掲示し、それを彼女は、今度は照れたような笑顔で眺めるのが「お決まり」のやり取りであった。

しかしながら……その光景は、残念ながら二度と見ることはできない。
暫くの闘病の末、彼女はこの冬、旅立ってしまったのだ……。

きっかけは数年前。

来店した際の彼女に、病理的な身体兆候を感じた私が、専門の医療機関へ行くことを勧めたことで、病が発覚。
幸い早期に対応できたので、その後も医療機関で対処しながら、月1回の来店は続けられていたものの、昨年になってからは予約をいただいても、なかなか来られない日が続いた。

そして梅雨の時期、久々に来店された彼女は、何度も予約を取り消してしまったことを詫びつつ、最期のご挨拶のつもりで来たと私に告げた。

そんな些細なことを遠慮する仲でもないでしょう、気にしないでください、これからも……と伝えた私に大きく頷き返しつつ、『でも私に何かあったとしても……家族には、困っている人がいたら、センセイに紹介するよう、ちゃんと伝えていますからね……』と精一杯の笑顔を湛えて彼女は帰っていった。

そしてそれが今生の別れとなった。

図書館を出た私は、古い記憶を頼りに、彼女の自宅へ向かった。
小道の先で靄る家屋の呼び鈴を、ダメもとの気持ちで鳴らす。
しかし幸運なことに、旦那様がご在宅で、突然の来訪にもかかわらず、快く迎え入れてくださった。

そしてこみ上げる気持ちのまま、暫く手を合わせた後、あまりに交友関係の広かった彼女の遺志をくみ取って、その旅立ちは公にしなかったこと、それでも訃報を耳にした図書館長から、追悼展の企画を打診されたこと、そしてその展示会の新聞掲載を、旅立ちから2か月経過したしたこともあり許可したこと……などを告げられた。

その後、思い出話や彼女の見事な去り際の話が途切れず、結局1時間ほどお邪魔する形となってしまい、恐縮しつつ、お暇した私は、ひとまず近くのレストランに立ち寄り、コーヒーで気持ちを落ち着かせた。

生前、彼女はよく『魂という存在は永遠だ』と言っていた。

まだまだ人生の終焉が自分と近しいものと思っていない私は、いまいちピンときていなかったが……彼女の旅立ちに触れて思うのは、つまり、使い古された表現ではあるが、残された者の心内にその存在がある限り、その人の魂はあり続けるのであろう。

その意味では、彼女の著作群は、彼女の魂を後世に、そして地域に伝えるメッセンジャーなのかもしれない。

窓の外の雨脚は、少し強くなっていた。
旅立ちの時、私は何を残せるのであろう。
偶然にもその日は、私の誕生日であった。

斯くありたいと強く誓った。


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