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若気の至り・今に至る/連載エッセイ vol.45

※初出:知事認可・岩手県カイロプラクティック協同組合発行、「ほねっこくらぶ通信 vol.47(2008年8月)」掲載(原文ママ)。

先程インターネットの速報が、カナダのケベックで開催中の「ユネスコ・世界遺産委員会」に於いて、「平泉」の「世界文化遺産登録」が見送られた事を伝えた。

登録諮問機関「イコモス」の潮目の変化に対応できなかった日本の文化庁に対する非難はメディアに任せるとして、「平泉マニア」の私は正直に「残念だぁ…」という気持ちで一杯である。

(ちなみに私は「藤原経清」のファン。敢えて「藤原四代」を外す所にマニア度を感じて頂きたい。)

恐らくこの結果を受けて、「世界遺産にならなくても平泉の価値は変わらない」といった議論が起こるであろうが、そんな事は私だって百も承知である。
だからこそ悔しいのだ。「岩手県民の意識を変える機会を逃した」事に…。

「格差社会」が叫ばれる昨今、我らが岩手県は「地域間格差」の当事者中の当事者である。

「地方の再生」の為には、もちろん経済的な側面は不可欠であるが、それ以上に肝心なのは「地元への誇り(プライド)」ではないだろうか。

本来プライドとは自らの内から沸き出でるものであるが、如何せん「田舎の代名詞」として扱われてきた当県は、中央に対する劣等感が拭いきれない。

だからこそ世界基準の評価を受ける事で、「外から注入されたプライド」を拠り所に、まずは「精神面での地方再生」を図っていく…、そんな青写真を勝手に思い描いていただけに、今回の結果は残念なのである。

この平泉に限らず、我が県は「観光資源」の「魅せ方」が下手くそだなぁと思う場面が非常に多い。
この業界の「講師」として毎月、本州を一往復する位の移動をして様々な街の「観光戦略」を見るにつけ、その思いは強まっている。

そして、こんな私の様に、郷土・みちのくを愛するが故に歯痒い思いをしている輩は案外多いらしく、先日ひょんな事(といってもご想像の通り、「患者さん繋がり」なのであるが)から自分なりの「岩手愛」を表現している男と出会った…というか再会した。

私より1歳年上の彼は、盛岡市にて「旅行代理店」を経営している。
なぜ旅行代理店に「括弧」を付けたのかというと、これが普通の店舗ではないからだ。なんと「カフェ」が併設されているのである。

「旅行代理店」と「カフェ」…。

親愛なる読者の皆様は、恐らくさっぱりイメージがつかない事であろう。
最初に話を聞いた時、斯く言う私もそうだった。

前述の通り、全国を飛び回る仕事柄、旅行代理店には散々お世話になってはいるが、カウンターでJRのチケットを頼む事はあっても、パスタを頼んだことはない。
増してや生ビールなんてもってのほかだ…。

(窓口の綺麗な「おねいさん方」と食事をしたいと妄想した事は数あれど…だが。)

通常であれば、見掛けの割に肝っ玉の小さい私が踏み入る店舗形態ではないのだが、その「トラベル&カフェ」

(というジャンルになるらしい。なんせ東北には他にない形式の店舗なのだ。興味のある酔狂な方はネットで検索してみて頂きたい。)

を経営している男の名前を聞いて、即、突入を決意した。

今から10年以上前、教員を目指す大学生だった私は、子ども達と関わる様々なボランティア活動に勤しんでおり、ジーンズ姿で県の教育委員会に出入りする様な、随分とファンキーな若造であった。

そんな私が初めて民間の旅行会社と組んで、春の沖縄や夏の北海道へ子ども達と旅するという企画があった。
そして彼は当時、その会社で働いていた。

思えば当時からお互いに「一会社員」&「一教職員」で納まるキャラクターではない事を見抜いていたのであろう。

沖縄での企画を経て、北海道の旅を終える頃には、意気投合した私達は、ある歴史的なユニットを結成する事となる。

そう「盛岡さんさ踊り」の「裏歴史」に燦然と輝く「チーム・たんぽぽ」を…。

(熱心な「ほねっこ」読者ならば覚えておいでだろうか?
「通信vol.19&23」のエッセイに登場した伝説のダンスユニットを…。

詳細は割愛するが、今では当たり前になった「フリースタイルさんさ」の元祖的存在で、メインの某清涼飲料水会社のステージトラックをジャックし、歴代の「ミスさんさ」を従えて狂喜乱舞した姿は、散々取材を受けたにも拘らず「大人の事情」によって一切マスコミが公表できなかった程、革新的かつ過激なモノであった。)

久し振りに再会した彼の笑顔は相変わらず人懐っこく、しかし経営者として凛としたものを携えていた。

「なんでこういう店にしたの?」私が尋ねると、彼は「飲み屋も旅行代理店も両方やりたかったから」…。

相変わらずである。それから私達は数時間、酒を酌み交わしつつ郷土・岩手のこれからについて語り合った。

盛岡駅の観光案内が旅行者にとって不便極まりない事
某朝の連続テレビ小説の舞台になったにも拘らず観光客を十分に呼び込めなかった顛末
果ては「スープスパゲティー・盛岡発祥説」に至るまで…。

宵が深まるにつれて、私は不思議な高揚感に包まれていった。

私は故郷に本物のカイロプラクティックを広める為に教員を辞して走り続け、彼はその故郷をより魅力的に打ち出す為に組織を抜け出し会社を立ち上げた。

道は異なれど思いを同じくする「同志」が、それぞれのステージで着実に前へ進みつつ再会し語り合う。
あの頃と同じテンションのまま…。
「こんな歳の取り方なら悪くないなぁ…」ガラにもなく成熟したフリなどしてしまう夜であった。

終盤、散々「岩手の文化遺産」について語った彼が、ある大きな「現在進行形」の東北文化を未体験である事が判明した。
そこで、その件に関しては一日の長がある私が音頭を取り、彼を未知のゾーンへと誘う事になった。

そう「みちのくプロレス」という「文化」に…。
(という事で、次号に続く!!…多分…他にネタがなかったら…!?)


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