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東北人の祭り/連載エッセイ vol.17

※初出:知事認可・岩手県カイロプラクティック協同組合発行、「ほねっこくらぶ通信 vol.19(2003年10月)」掲載(原文ママ)。

「短い夏が終わった」とはよく言うが、今年はその言葉すら口に出すのが憚れる天候になってしまった。

私が夏を感じる事ができたのは、仕事で関東や関西に滞在していた時ぐらいなもので、地元での「感夏体験」は全くなし。
困ったものである。

農作物への影響も深刻。
田圃や畑を持っている患者さんとの会話は、一向に実りの気配を見せない大地の恵み達に関する、不毛な経過報告が続いた。

心配事は重なる。
果たして今年の「秋祭り」は各地でしっかり盛り上がりを見せてくれるのだろうか。

個人的な意見であるが、東北には秋祭りが似合う。

お米をはじめ、多くの農作物の収穫のメドがたつ頃に行われる、歓喜感謝の宴。
農耕文化の色濃い東北にぴったりのイベントである。

同時にこの秋祭りは、来るべき長い冬に対して自らを鼓舞する、人々の「宣戦布告」の意味合いも感じ取られ、欠かす事のできない年中行事と言えよう。

私が生まれ育ったM市は人口が多い為、祭りをやっていても街全体が盛り上がる感じは正直しない。
最も規模の大きな夏の祭りでさえ、参加しない市民にとっては「何処吹く風」である。

斯く言う私も、20数年その街で暮らして、正式に祭りへ参加したことはなかった。

(大学4年の時にゲリラ参加し、某飲料メーカーのトラックの上で、ミスの女性達をバックにパフォーマンスを繰り広げた、通称「タンポポ事件」についてはいつか改めて触れる事としよう)

そんな訳で、私が秋祭りの魅力に気づいたのは、教員として赴任したH市での様子を見てからであった。

この祭りに対するH市民の思い入れは半端ではない。
開催が近づくと、老いも若きも浮き足立っているのが容易に見て取れる。

いざ祭りとなると、この寂れた街に一体どれだけ隠れ住んでいたのかと思わせる程、通りは人で溢れる。

神輿を担いで路地を縦横無尽に駆け抜けていく様は、スゴイを通り越して、普段おとなしい人がお酒を飲んだとたんに豹変する姿を連想させ、チョッピリ不安を感じる程だ。

そして今、私が新たな活動拠点として選んだS町で、今シーズンの先陣を切り、秋祭りが開催されている。

院の前の狭い旧国道を巨大な山車が進み行く様は、腐海を奔るオームの様に雄大だ。

普段の人通りとのギャップ率はH市に勝るとも劣らなく、普段無口な東北人は、こうやって帳尻を合わせているんだなぁ、と妙に納得してしまう。

そして、そんな通りの賑わいを眺めながら、「未来の患者さんがこれだけいるとは‥シメシメ」などと邪な思いを巡らす私であった。
ワッショイ!!


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