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日常という名の修行を楽しむお供に


今回選んだ本は...

書名:人生生涯小僧のこころ 大峯千日回峰行者が超人的修行の末につかんだ世界
著者:塩沼亮潤
出版社:致知出版社


友人の言葉をふと思い出して

具体的に何かがあったわけではないのだけれど、日々の出来事に向き合う姿勢がしっくりきていませんでした。
漠然としているけれども、明確に違う気がする。
そこでパッと思い出したのが、学生時代の友人の言葉。

「1000日間山で修行した人の本が、はーちゃんに合うと思う。」

1000日間も?山の中で?
それはどんな人なのだろう。
修行して、世の中の見え方ってどう変わったのだろう。

掘り起こされた数年越しの興味を携えて、Amazonをポチりました。


修行は身近なものなのかもしれない

大峯千日回峰行とは、奈良県にある大峯山まで歩く修行のこと。

奈良県吉野山の金峯山寺蔵王道から大峯山と呼ばれる山上ヶ岳までの往復四十八キロ、高低差千三百メートル以上の山道を十六時間かけて一日で往復し、合計四万八千キロを歩き続けるという修行です。(p.10)

著者の塩沼氏はこの修行を終え、9日間にわたって飲食、睡眠をせず、横にもならない行を終えました。

山に入るには「修行をさせていただきたいです」と宣言する必要があります。
修行では険しい山を歩いたり、飲食や睡眠を断ったり、日常生活では行わないことをします。

それなのに、自分のことを言われているかのような気分になって、どきっとすることが多々ありました。
塩沼氏が修行中に考え感じたことが、日常の出来事に対して感じることと似ている気がしたからです。

不満に思うのは自分の心に「我」があるからです。(p.71)
自分に対する過信は脆いものです。地に足をつけ、あせらず手を抜かず、一歩一歩歩み続けていれば、必ず自信がついてきます。勇気が湧いてきます。(p.75)
自分で痛い思いを体験してひとつひとつ気づいていくから実になります。人生において一回目の失敗は失敗ではなく、よい経験であるととらえて同じことを繰り返さないことが大事です。何度も同じことをしていることを失敗といいます。(p.176)

どきっとしませんか?
私は思わず、我に返ってしまいました。

お坊さんって何をしてる人なの?

お坊さんとは、お寺にいる人のことである。
では、お寺で何をしているの?
お寺を掃除して、お経を読んだり、葬祭をしたりしているのはなぜ?
どうやってお金を稼いで暮らしているの?
昔から疑問がありました。

塩沼氏の文章から、お坊さんとは「宗派のルールに沿って、より良く生きるためにどのような自分であれるかを追求している人。また、その結果を他者に共有している人。」のことなのではないか、と思いました。
帯にある「私たちの人生はすべて修行である」は、そのエッセンスであるように感じました。

それでいい。

調子の良い日、悪い日ではなく、悪いか最悪かのどちらかです。そのすれすれのところで行じていきます。(p.79)

私が好きな一節です。
悪いか最悪か、そんな日々でもいい。

毎日が良い状態であると感じなければならないと思い込んでいたと気付きました。

現状に感情を揺さぶられるのではなく、現状を踏まえ、どうしたいのかを考えること。そして、どう行動したらいいのかを決めて実行することが大事であると感じました。

塩沼氏がこの本で記していた「どうしたいのか」は
・最後まで行じたいのか
・心身の状態をどうしたいのか
の2つでした。

この2つは、人にとってどのような影響があるのでしょうか。

お坊さんではない私たちにとっての「行じる」は、自分の人生のテーマに沿って生きること、なのかなと思います。

何かを成し遂げるために生きる、というよりは、自分が持っているテーマの中で有様を存在させる。
心身の状態を良くすることで、より長く、テーマと関わり続けられることなのかもしれません。

良い状態、悪い状態、成し遂げている、成し遂げていない。
そこに囚われてしまいがちですが、自分が手にしているテーマの中で自分を存在させ続けたいと思っているかどうか。
それを自分の調子について判断する軸とすると、物事がスムーズに進むのかもしれなさそうです。

まずは実践!
自分でやってみて、どうだったかを味わって楽しんでみます。
つまづいたら、またこの本を開いてみようかな。
その時に必要な言葉が刺さるような気がする。

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