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"平成の世”を駆けた私が、令和にGLAYの「サバイバル」を振り返る。

5月19日は、GLAYが1999年に1st VIDEO SINGLE「サバイバル」を発売した日です!(2004年には「天使のわけまえ / ピーク果てしなく ソウル限りなく【通常盤】」も発売)

はじまりのうたこです。
私のnoteでは大好きな「GLAYの何の日」を冒頭で紹介していますが、今回は「令和に振り返る平成のGLAY・サバイバル」がテーマです。私がnoteをはじめた理由の1つがGLAY。

【メンバーの「平成」は「GLAY」】

公式HPのBIOGRAPHYによると、1988年7月2日に当時高校生でTAKUROさんとTERUさんが函館でGLAYを結成。
翌1989年にHISASHIさん、1992年にJIROさんが加入。

昭和から平成になった1989年は18歳になる年のTAKUROさんとTERUさん(HISASHIさんは早生まれで2人と学年一緒、JIROさんは1つ下)
高校時代までがほぼ昭和で、平成の時代を丸々GLAYとして過ごしていることになる(卒業後に上京し1994年5月25日にデビュー)

【「サバイバル」MVはアニメーション】

1stビデオシングルとして「サバイバル」が発売された日から23年。当時初で斬新だった「ビデオシングル」しかも「アニメーション」MV。
オリコンのミュージック・ビデオ作品の歴代売上1位を記録。まずはGLAY公式HPから当時の記事を。

(CD HITS)
【このビデオにはアニメーション・バージョンとライブ・バージョンのふたつが収録されている。アニメーション・バージョンは『MEMORIES』や『スペースコブラ』ケン・イシイの『EXTRA』を手掛けた、森本晃司監督によるもの。その内容は、普通の女子高生を主人公にした「今の時代をどのように生き抜いていくか」というメッセージ性の強い作品となっている。

そしてライブ・バージョン。今年の2月10日から3月10日まで行われ、75万人を動員したドーム・ツアー。その最終日となる3月10日に行われた東京ドーム公演での演奏シーンが、このビデオに収められている。
ライブ・バージョンの特徴は、目まぐるしく変わる映像にある。細かなカットでいくつもの種類の映像をつなげて、もともとテンポのいいこの曲『サバイバル』が、さらにスビード感を増している。

オリジナル・サウンド、ライブ・サウンド、さらには映像まで!ひとつで2倍も3倍も楽しめる作品だ。
今までシングル同時発売などで、世間を驚かせてきたGLAY。今回もシングル・ビデオというメディアソフトでの新曲リリースで、ファンを驚かせることになった。】

https://www.glay.co.jp/news/list/4/55/?page=2

今見直すと発売した1999年(平成11年)頃を象徴するような「携帯」「小型ゲーム」「プリクラ」「ルーズソックス」風アイテムなどが描かれている。

他に確認できた文字は、冒頭に「希望」、電車ホーム「東京方面」、プリクラの文字「プリティガールズ」「STAR IDOL」「危険」
多くの文字が瞬間的に表示される部分には「少年」「東京」「震え」「世界」「呼吸」「押してください(?)」など、時代背景も垣間見れる。

公式サイトによると当時発売前にTOKYO FMほか全国13ヶ所で先行ロードショーが開催され、サプライズでメンバーが登場(初回のみ)上映前の本人たちのコメントが残っていた。

(HAPPY SWING会報Vol.13)
【「聴きどころはサビの、あまりうまくないTERUの早ロ言葉です(笑)」と言うTAKUROに対し、「舌ったらずな俺ですが…(笑)」と前置きをしてから話し始めたTERUは、「1999年、人類が破滅するとかいろいろありますが、みんなの若いパワーで未来を乗り越えられたらいいなと思っています。

そういうことを考えながら観てもらえると、新しい視点で観ることができるのでは」と、TERU版アニメバージョンの楽しみ方(?)を伝授。また、アニメが女子高校生を主人公にしていることから「1999年という時代を象徴するのは女子高生だ!」と断言(何を根拠に?…笑)。
そして一通り、観、聴きどころを話した後は7月31日のライブにも触れ、「最高の99年7の月を越して、8月には“あの野郎ウソこきやがったな”と、みんなで笑いましょう(笑)」というJIROの言葉を最後に、メンバーは会場をあとにしたのでした。】

https://www.glay.co.jp/news/list/4/55/?page=2

まだ伝説の幕張20万人ライブ「MAKUHARI MESSE 10TH ANNIVERSARY GLAY EXPO '99 SURVIVAL」前のGLAY。既にメンバーはレギュラーラジオもしていたしジョークも読み取れる。

この時期LUNA SEAL'Arc~en~Cielなど、今も日本を代表する他のバンドも大規模な野外ライブを開催。
世紀末にJ-POPもバンドも輝きCDもランクインする曲はミリオン単位で売れた時代。皆あの予言を意識したムーブメントがあったことが分かる。

皆無事に"乗り越える”ことができた2022年の今「サバイバル」の歌詞を読んでも、言葉の1つ1つが新鮮に思えるのは何故だろう。
何度も゛退屈を埋めて”きた。そんな時に、この曲を聴くと前向きになれた。時代が変わっても日常の様々なサバイバルは続いている。

【収録されているCD】

★1999年10月20日発売アルバム「HEAVY GAUGE」
★2000年11月29日発売ベストアルバム「DRIVE -GLAY complete BEST-
★2009年10月21日発売ベストアルバム「THE GREAT VACATION VOL.2 ~」SUPER BEST OF GLAY~
★2003年2月5日発売コンセプトアルバム「rare collectives vol.1」(※LIVE VERSION 99.3.10 IN TOKYO DOME)
★2020年3月11日発売ベストアルバム「REVIEWⅡ~BEST OF GLAY~」(※Anthology Remix)

【ライブ映像の「サバイバル」】

最後にGLAY公式youtubeにあった「GLAY EXPO」関連ライブ映像を(1999年幕張と、2001年東京北海道九州の3か所)

【GLAY EXPO '99 SURVIVAL】

幕張メッセ駐車場特設ステージで開催。入場者20万人。当時はこの曲が最新シングルでありEXPOタイトルにもなっているためか、まだ明るい時間に披露。

【GLAY EXPO 2001 “GLOBAL COMMUNICATION”東京会場】

2001年7月28日と29日に東京スタジアム(現・味の素スタジアム)で開催。入場者2日間で約10万人(5万人が2日間)。これがライブ使用での「こけら落とし」公演。

【GLAY EXPO 2001 “GLOBAL COMMUNICATION”北海道会場】

2001年8月4日に北海道石狩市青葉公園特設ステージにて開催。入場者約10万人。7月31日GLAYの日にはシンポジウム(トーク&ライブ)も行われた。

【GLAY EXPO 2001 “GLOBAL COMMUNICATION”九州会場】

2001年8月11日、福岡県北九州市マリナクロス新門司特設ステージにて。入場者約8万人(オールナイトライブ)

ここまで、ありがとうございました。
それでは、またここであいましょう!

第21話【"平成の世”を駆けた私が、令和にGLAYの「サバイバル」を振り返る。】

<おまけ>
noteを始めた4月29日から毎日GLAYのことに触れています。過去の記事も良かったらご一緒に。

<おまけの追記>
連続更新1か月で振り返りました。

note2か月での振り返りドキュメント。

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