SNS時代だって、数字より言葉がうれしいよ
最近、noteの登録者数がじわじわ増えていてうれしい。一気にバズって伸びるような勢いはないけど、それでも、いやだからこそ、+1の積み重ねの一つひとつが愛おしい。
フォロワーの数字が増えることより、実際にフォローしてくれた、その行動がうれしい。もちろん伸びていく数字もうれしいけど、人の心を動かして、行動につながった瞬間が一番うれしい。
昔はバズりたくてしょうがなかった。でもバズらなくて、バズるのに囚われるのがバカバカしくも思えて、モヤモヤしながら書いたのが「PVに魂を売って幸せになるんでしょうか」という記事。(そこそこ反響があって、数字が可視化されるSNS社会でみんな苦しんでいるんだな、と痛みを分かち合えた気がした)
大好きなアーティストが、ライブで
「俺のCDが何千枚、何万枚って売れても、それってただの数字でしかなくて、よくわからない。こうしてライブに来てくれるみんなを見て、初めてうれしいなって実感するんだよね」
と言っていた。
その時は「イマドキCDを買う人なんてめちゃくちゃ希少だしれっきとしたファンなのに、単なる数字なのか…」とやや愕然としたのだけど、今はちょっと気持ちが分かる。どこかのだれかがいいと思っていてくれても、それが自分の視界に入らないうちは「どこかの国の話」であって、実感の伴わない、遠くの出来事なんだ。
たまに「カヲリさんの文章好きです」「noteの記事を見てご連絡しました」「記事を読んで触発されて、同じ講座に入りました」といった声が届く。これが本当にうれしい。PVの数字、ハートの数字が増えるのもうれしいのだけど、だれかの言葉が私に直接届くと、実態の伴わないやんわりとしたうれしさが目の前でむくむく膨らんで、心を満たす。うれしい、書いていてよかった、と心から思う。だから言葉って素晴らしい、とも思う。
私はnoteの更新にムラがあるけど、生の声が届いてうれしくてたまらなくなったときに、こうしてnoteを書いています。いつも読んでくれて、本当にありがとうございます。うれしいです。
私の文章がだれかの心と体を動かして、それが言葉になって伝わって、また私が書くという行動を起こす。人の心と体が連呼して、くるくる巡っている、うれしい連鎖。だから書くのってやめられない。言葉が大好き。