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今日のごはんにはどんな愛が詰まっている?


“ただの消費者であることはとても怖いことだ”
という話を食の講演会で話されていたのは、

鳥取県の智頭で、
自然の恩恵を預かってパン作りをしている方だった。


一体なにが怖いことなのか。

創り手になってみて分かったことがたくさんある。

発酵を勉強するようになってから、
神事を改めて学ぶようになった。

古事記や、日本書紀を始めとした
日本古代文学に発酵の起源を垣間見ることもある。

口噛み酒や、奄美大島に伝わるお神酒など、
発酵と神様は切り離せないものだということも分かった。


食物には命が宿っている。

でも私たちの目の前で出会うまでの背景によっては、
声の大小と表現すればいいのか、
どう表現すればいいのか分からないけれど、

その声のパワーが異なってくる。

全て大事に育てられていることには間違いはないし、
そこに何を言うわけでもない。

見えない力というものが、この世に存在するのだとしたら、
それを誰もが分からないということは、

そこに意味があるのだろうか。

宗教や、神道や、哲学など、
農も、政治も、教育も、全て繋がっていると思っている。

どういう視点から“繋がっている“というのかというと、


私は発酵するようになってから、
食物の持つ命を感じ、
作られている背景を知りたいと思うようになった。

そこから、“ただ”の消費者“であった自分に気づき、
政治で政治家を自分で考え決めることの大事さを知り、

政治を考えるということは、
経済・農業・漁業などモノづくりの世界の現状を知ることや、それらの問題が現在の教育にもつながっていった。

そして経済や、農や、教育や、政治は、
“日本を知る“ということが根幹にあって、
そうなると宗教や神道や哲学を学ぶことが要だった。


うまく説明できないけれど、
誰もが創り手である必要はないけれど、

“知る”ことで、
この世界に自分が何かしらの役割を担っていることも、
万物に愛を感じることのきっかけにも、なるのではないかなあと思っている。

わたしに出逢う方々はどう考えているのか、ただ知りたいのである。

いつも読んで下さりありがとうございます。

まきよ

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