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190.すばらしい仕事をするには、自分のやっていることを好きにならなくてはいけない。まだそれを見つけていないのなら、探すのをやめてはいけない。安住してはいけない。心の問題のすべてがそうであるように、答えを見つけたときには、自然とわかるはずだ。〜スティーブ・ジョブズ〜

みなさんこんにちは。


今回は、アメリカ合衆国の実業家、資産家、作家、教育者でアップル社の共同設立者の一人でもあるスティーブ・ジョブズさんの格言について紹介していきます。


スティーブ・ジョブズとは

スティーブ・ジョブズさんについては過去の記事でも紹介していますので是非ご覧ください。


1955年、シリア人の父とアメリカ人の母との間でサンフランシスコで生まれましたが、生まれてすぐにアメリカ人の家庭に養子に出されており、
幼少期から、
「自分は何者なのか」
という葛藤があったそうです。


幼少時代はとても手間のかかる子で、
ヘアピンが電位を通すのか確かめるためにコンセントに差し込んで感電したり、
盗聴器で親の部屋を盗聴したり、
小学校で授業中に花火をしたり、
教師の椅子に爆弾を仕掛けるなど、
エピソードに事欠かない少年でした。


1965年、4年生で快活で機転の利く女性教師と出会い勉強が好きになります。

知能検査を受けると並外れた知能を持っていることが分かり、
1年飛び級してクリッテンデン中学に入学しました。

しかし、飛び級して入学した中学では周囲からいじめられ、
7年生の半ばには両親に環境の良い学校への転校を要求し、
クパティーノ中学校に転校しました。


1971年、16歳の時、友人の紹介で当時21歳のスティーブ・ウォズニアックと知り合い意気投合しました。

その年にウォズニアックの母にもらった雑誌に掲載されていた、
ブルーボックスについて記事を読み、
急いで図書館に向かい技術資料を見つけ出し、
それを元にウォズニアックがオリジナルのブルーボックスを作りました。

ウォズニアックは装置を作ることで満足しましたが、
ジョブズは装置を生徒たちに1台150ドルで売り捌き、
最終的に200台販売し利益を上げましたが、
銃で脅され身の危険を感じたため販売をやめました。

このブルーボックスでの商売の経験がApple社を作ったと語っています。


1972年、リード大学に入学、
学費が高額な私立大学で親の金銭的な負担は大きかったものの、
リード大学以外には入らないと断言していました。

しかし、
「価値を見出せず、両親の貴重な学費を価値のない教育に使いたくなかった」
として、半年で退学しました。


1974年にはインドに渡りたいと思い、
実家に帰った日にアタリを訪問し、雇ってくれるまで帰らないと宣言して、
トップに認められたため採用されました。

新製品の「ブレイクアウト」の回路の部品減らしを命じられ、
自身にできないことを瞬時に悟ったジョブズはウォズニアックに改造を依頼し、
4日間徹夜し20〜30個の部品を減らしました。

この部品を減らすという経験がこの後のApple ⅠやApple Ⅱの開発に役立ったといいます。


1975年、Apple Ⅰを開発し、ウォズニアックは回路図を無料配布しようとしていましたが、
ジョブズはこのマシンを利用してビジネスを始めるべきだと提案しました。

アタリに商品化を断られた後、
ジョブズとウォズニアックは自分達で新事業を立ち上げようとし、
ジョブズは愛車のワーゲンバスを、
ウォズニアックはHP製のプログラム電卓を売り払いました。

1976年、ジョブズとウォズニアック、ロナルド・ウェインの3人で「Apple Computer Company」を創業しました。


すばらしい仕事をするには、自分のやっていることを好きにならなくてはいけない。まだそれを見つけていないのなら、探すのをやめてはいけない。安住してはいけない。心の問題のすべてがそうであるように、答えを見つけたときには、自然とわかるはずだ。

ウォズニアックと会った年、ウォズニアクの母からもらった雑誌に掲載されていたブルーボックスに興味を持ち、
図書館で技術資料を読んでウォズニアックがオリジナルのブルーボックスを作り出します。

そして、その装置を作るだけでなく商売に変えようとしたのがジョブズさんでした。

1台150ドルで売り、最終的に200台も販売するというものでしたが、
ものを作るだけでなく、それが誰かに必要とされるのではないかと思い、
商売に繋げているところがすごいなと思いました。


そしてアタリでも、雇ってくれるまで帰らないと宣言して、
トップに認められます。

「ブレイクアウト」の部品点数減らしに関しても、
ウォズニアックに依頼し、部品点数を見事に減らし、
これが後のApple ⅠやⅡに繋がっていると言います。


ブルーボックスの商売の経験や、
ブレイクアウトの部品減らしの経験が、
後のAppleの経営や技術に生かされているのが分かりますが、
それも全て好きでやっていたからだと思います。

最初はなんのことか分からなくてもできるようになるまでやり続け、
どうやったら上手くいくかが分かったからこそ、
好きになって行ったのだと思います。


素晴らしい仕事をするにはまずは自分のやっていることを好きになる、
それが仕事で成功する鍵なのかもしれませんね。


最後に

今回は、アメリカ合衆国の実業家、資産家、作家、教育者でアップル社の共同設立者の一人でもあるスティーブ・ジョブズさんの格言について紹介してきました。


4歳の時に女性教師と出会ったことにより勉強が好きになり、
ないものは作る、どうすれば作り出せるのかという考えになったのだと思います。

ブルーボックスでの商売の経験がApple社の経営に繋がっていたり、
ブレイクアウトの部品減らしがApple ⅠやApple Ⅱに繋がっています。

そして、このApple Ⅰを開発したことから、
このマシンでビジネスを立ち上げるべきだと考え、
今まで大事にしていたものも売り払ってAppleを創業します。

まさに自身がやっていることが好きで、
いいものが作れ、そこから自身のやっていることが正しいと思ってからは一直線にやるべきことを継続しています。

何が自分に必要なのか、自分にできるものは何かを、
考え仕事をすうることが大事だなと学びになりました。


それではまたどこかで。

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