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145. 愛なき人生は暗黒なり。汗なき社会は堕落なり。〜前田又兵衛〜

みなさんこんにちは。


今回は、東証一部上場の建設会社である「前田建設工業」の創業者、前田又兵衛さんの格言について紹介します。


前田又兵衛とは

明治10年に福井県に生まれ、
農業の傍ら小和清水石の石工をしていましたが、
1899年に京都電灯が近くの足羽川宿布で北陸初の水力発電所を建設したことで発電所や大型土木工事に関心を持ちました。

土木事業で身を立てるという志で飛鳥組の門をくぐった創業者の前田又兵衛は、
1919年に福井県小和清水の地で飛鳥組「前田事務所」として創業、
最初に請け負った事業は木曽福島第2水力発電所の建設で、
5名以下で取り組んだこの工事が前田建設の最初の挑戦でした。

「事業は人格の反映なり」の理念を基に誠実に仕事をしました。

この理念が後に「良い仕事をして顧客の信頼を得る」にもつながる信念で、
誠実にものづくりに徹することで顧客と社会の間に信頼関係が生まれ、
次にもつながるという理念です。


そして、北アルプスの高瀬川渓谷への4つの水路式発電所の建設工事。

「猿も顔負けする」と言われた厳しい環境下で、
道を拓くことから始まる難工事で、
自ら陣頭に立ってこの事業をやり遂げました。

この姿を見た施主側の森矗昶氏は、
「先人が不可能といった事業を敢然征服し成就するのは、ただ至誠天を動かす底の人格である」
と評したそうです。

こうして顧客の厚い信頼と部下の強い結束力を作ったこの高瀬川発電所こそ、
創業理念を表した事業でした。


この後、田子倉ダムや地下鉄丸ノ内線工事、東海道新幹線国府津工区工事、明神高速道路茨城木工区工事など、主要都市をつなぐ鉄道やトンネルの整備を担うようにもなります。

そして、国内だけでなく海外でも、香港政庁クワイチュン開発計画第2期工事、「世界一の空港」と評される香港国際空港ターミナルビル、香港紙幣の絵柄となったカプスイモン橋など、たくさんの工事も手がけています。


愛なき人生は暗黒なり。汗なき社会は堕落なり。

誰とも接することのない人生は暗く寂しいものだと感じ取れます。

そして、同じように汗をかかない仕事は社会を堕落させるといいます。

最初の高瀬川発電所の工事の際にも、
誰よりも前に立って、仲間を率い、誰もが無理だと思った土地で、
道を切り拓くところから事業を始めています。

そして、5人という少ない仲間ながらも、
先頭に立ってみんなを率い、工事を進めていきます。

工事を終わらせる頃には、施主側にも信頼関係を作っており、
また仕事を通して仲間との強い結束を作っていくというのが、
まさに、汗なき社会は堕落なりというところに繋がっているなと感じます。

また、愛なき人生は暗黒なりというのは、
純粋に人間関係だけでなく、仕事や生き様を通して、
誰かに何かを与えることにも繋がるのではないでしょうか。

それは、商品やサービスとしての価値だったり、
誰かを思って助けようする事業だったり、
そのような仕事を通して誰かに何かに愛を持っているかというところにも繋がるのではないだろうかとも感じました。

そのような気遣いや誰かを思ってこそのサービスが、
誰かを助けるのではないかなと思います。

そして、健全に汗を流し何かの価値を世の中に提供しようとするからこそ、
社会が発展し、人がより住みやすくなっていくとも思います。

そのような社会を作ろうと思って汗を流しながら仕事をしている人は、
それだけで愛情に溢れているのではないかとも思います。

そのような人に自分もなっていきたいと思います。


最後に

今回は、東証一部上場の建設会社である「前田建設工業」の創業者、前田又兵衛さんの格言について紹介してきました。

愛情を持って仕事に取り組み、
その仕事が誰かのためになると思いながらする仕事は、
必ず誰かに喜ばれると思います。

そしてそのために健全な汗を流せる会社や組織があるからこそ、
世の中の発展に繋がっていくと思います。


今周りにいる仲間達と、
これから出会っていく人や新たな仲間と、
自分たちが思いっきり楽しい人生を作ると決めているからこそ、
そのやりたいことを通してどんな人でありたいのか、
最高の自分の生き方はどんな自分かを意識しながら日々過ごしていきたいと思います。


有り難いことにたくさんの出会いや縁、
ここまで育ててきてくれた両親のおかげで、
自分の生き方を見つめ直す機会を何度も貰ってきました。

その中で、本当にこうありたいと思う自分を磨いてきました。

これから先も、そんな最高で理想の自分を生きていこうと思います。


それではまたどこかで。

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