見出し画像

寝台特急サンライズ出雲91号の旅(part2)[2022.4-5 サンライズGR④]


満員になった「寝台特急サンライズ出雲91号」は、横浜を時間どおりに発った。
夜型の私としては、まだまだ眠りにつくような時間ではない。丑三つ時になってもなお、起きているような人なのだから。

東京から横浜までは都会的な表情を車窓から見せてくれていたわけだが、ここから先は丘陵部を通るのもあって、煌びやかという感想を抱くことはなくなる。暗闇がしきりに続くのではなく、道路を黄金色に照らしている街灯がぽつりぽつりと見える程度だ。”幻想的な表情”という表現が適切だろうか。

ただし、いきなり”都会”から”田舎”の世界に入るのではない。駅間は暗闇の景色が続くかもしれないが、駅が近づくにつれて、街の様相は華やかになる。そのような強弱のある車窓を繰り返すのが東海道本線の特徴であろう。つまりは、東海道本線は”都会”でも”田舎”でもなく、郊外的な車窓である。私が眠気を催さずに済んでいるのも、その郊外的車窓の恩恵を受けているのではないか。現在この記事を書いていて、そのように思った次第である。

そんな景色をひたすらに堪能していると、あっという間に熱海あたみに着いてしまった。JR東日本とJR東海の境界駅である。本来のサンライズ号はここでドアを開けて、乗客の乗り降りをおこなっている。しかしながら、臨時列車がドアを開けることはない。単に時間が遅いのか、それほど需要がないと見込んでいるのかは分からない。それでも停まる理由として挙げられるのは、会社が変わるから乗務員を必ず交代させないといけない、ということだろう。
十数分ほどの停車間に貨物が同じ方向に通過していった。夜中の東海道は貨物が主役であるから、道を譲るのは当然のことだ。

貨物が走り去ったら、列車はすぐさま動き出す。これから携帯の電波が繋がらなくなるほどの長大なトンネルへと入っていくから、洗面台へ出向いて歯磨きをおこなうとしよう。
この「丹那たんなトンネル」はかなりの殉職者を出した難工事である。しかも、この工事の最中にはM7.3の北伊豆地震(三島で震度6の烈震)が発生している。まさに弱り目に祟り目だ。このせいで、直線で結ぶはずのトンネルが少しばかりS字の形になってしまった。
私はここを通るたびに、先述したことを思い出す。この瞬間に地震が起きたらどうなるのかな、などと要らぬ考えを抱いてしまう。

無事にトンネルを抜けると、そこは函南かんなみだった。そして、数十分走るうちに沼津ぬまづに着く。もう日付が変わって30分ほどが経つ頃合いだ。短時間の停車で再び西へと進む。
このあたりでようやく眠気が襲ってきた。このチャンスを逃すまいと一気呵成に眠りにつく。

夜は更けていくばかり。そんな中でサンライズ号はさらに速度を上げて疾走する。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?