NO.2の育て方 vol.66 ルールによる統治と人徳による統治、どちらを選びますか?
うまく機能する組織になるためにはどんな統治をすればよいのかと悩む人は多いと思います。
失われた30年の間に日本もすっかり性善説から性悪説に人心がシフトしてしまったと感じられますし、世の中は信頼関係や理念で結びつく脆さに疑念を感じている人が増えたような印象があります。
歴史を紐解くと、これは昔から議論されているテーマのひとつで、論語と韓非子という水と油の組織観の対立を観察することで現代の組織運営の在り方を模索する手がかりとなります。
論語の考え方はシンプルにいうと、以下のような考え方です。
一方の韓非子は、こうした考え方です。
どちらの考え方にも一理あるように思われますが、もちろん双方にもメリットとデメリットがあります。
論語の考え方は「ゆるやかな統治」とも言われますが、人の徳を頼りにしている点で再現性のない理想とも評されます。
そもそも徳の高い人間はそういませんし、徳を持った人間ですら変心してしまうことがあるからです。
また、現代では仕事のやりがいや志を悪用したブラック企業の論理にすり替えられてしまうようなこともあります。
韓非子は簡単に言うと「厳しい統治」で、人間の本性に着目し、人間が利害でしか動かないのであれば成果だけを見て評価すればいい、人は信用できないから裏切らせない仕組みを作ればいい、そう考えます。
とはいえ、韓非子の考えにももちろん綻びは生じています。
細かな事情は割愛しますが、法家の考えを取り入れた秦の始皇帝が築いた秦の国はたった15年で崩壊しています。
また、あまり指摘されないことですが、人の成果を評価するというのは極めて難しいことです。
現代でいえば、直接部門である営業など数値化されやすい成果は評価ができても、間接部門や長期にわたるプロジェクトに関わる人間の評価は難しいです。
評価をするのもしょせん人間ですから、そこには人の感情が入り込むでしょうし、そもそも金銭で成果に報いる場合に特定の人間が成果を出していても、会社全体ではその原資が潤沢にあるとは限らないために成果を過小評価されることもあります。
成果主義というのは基本的に絶対評価ですから、これをそのまま実行できないのであれば、構成員は会社と仕組みに対して不満と不信を抱くでしょう。
また、利害という点においても、自分の成果にばかり目が向いてしまうと極論はチームワークも成立しなくなり、うまくいっているように見えてバラバラの組織となる可能性があります。
論語は日本人に馴染み深い儒教がベースですから面と向かって批判しずらいですし、理想の実現には困難が伴います。
いずれの考え方によっても一長一短があるので為政者としたらどちらの考え方を選択するのかは難しいです。
けれども、そのどちらもバランスよく取り入れ、政治を行っていた人物が中国古典には存在します。
それが三国志で有名な諸葛孔明です。
孔明は「みな畏れてこれを愛す」と評された人物ですが、ルールといった制度を作り、厳密に運用しながらも人民からは敬われていました。
泣いて馬謖を斬るというエピソードも有名ですが、清廉潔白で、私利私欲がなく、国の発展と君主である劉備の理想の実現に邁進していたからでしょう。
徳を備えつつも、制度を作り、厳密に運用していた人物が現実にいるのであれば、それはひとつのロールモデルになり得るのではないかと思います。
人を扱うためには人を深く理解することがスタートです。
徳を高め、人として成長したいと思いながらも、利害にもなびいてしまう人間の弱さを前提にしたバランス感覚に基づいて組織作りをしたいものです。
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