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「憑依思念」・・・ラヂオつくばバージョン

火曜日にラヂオつくばで放送された朗読作品に、少し手を入れたものです。
しばらくの間公開します。お楽しみください。


「憑依思念・伝わる心」 夢乃玉堂

ディナーはフランス料理。ワインも奮発してた。
食後の散歩は夜景の美しい海岸の公園だ。

「いよいよかな」

森野鈴音(すずね)の心は期待に満ちていた。

横にいる市川雄太とは付き合いだして半年だが、まだ手を握る程度。
彼が配偶者に求める最大の条件が処女性であることを鈴音は最初のデートで知った。以来、彼女も純潔というイメージを壊さぬよう、常に地味で明るい服を着るようにしている。

「寒いでしょ」

雄太がスーツの上着を脱いで、鈴音の肩に掛けた。

「ありがとう。でも雄太さんが・・・」

「僕は大丈夫です。鍛えてますから」

鈴音は羽織った上着の襟を内側から右手で掴み、左手は裾から出して雄太の右手を探った。海風にさらされていた男の手はとても冷たかった。

少しでも温めようと鈴音は細い手を動かした。
雄太はそれを、両手で握り返した。
その目には、ある決意が浮かんでいる。鈴音の胸は高鳴った。

『来た! 待ちわびた楽しい瞬間がやってきたわ』

雄太は大きく深呼吸して話し出した。

「す、すず、すず、うっ」

緊張のあまり、雄太は言葉が上手く出てこない。

『大丈夫よ、雄太さん。言いよどんだことなんて
すぐに忘れるから、そのまま続けて』

鈴音は母親のような優しい笑みを浮かべ、次の言葉を待った。

「鈴音さん!」

「はい」

雄太は、掛けた上着の上から鈴音を抱きしめた。
おそらくは初めて付けたであろうコロンの香りが漂ってくる。
自分の部屋で雄太が一人、加減も分からずコロンを吹きかけている姿を想像して鈴音は微笑んだ。

「鈴音さん以外には考えられません。僕と結婚して下さい」

鈴音は目を閉じ、広い背中に両手を回し、最後の抱擁をたっぷり味わった。

『さて』

鈴音は心の中で合図をし、少し体を離して男を見つめた。

「雄太さん。ありがとう。私・・・」

ここで間を取るのは、相手へのせめてもの敬意だ。

「私、私には、あなたよりふさわしい人がいると思うの

「え?」

雄太は自分にかけられた言葉の意味が分からず戸惑った。

「僕よりふさわしい・・・?」

人間の脳は、理解しがたい出来事に遭うと、全能力を駆使してそれを分析しようとする。その時見せる、糸の切れた凧のような表情が鈴音は大好きだった。

『これこれ、この瞬間を待っていたのよ。
だけど笑顔を見せてはだめ。ネタバレはまだ早いわ』

次のセリフは、気持ちを思いっきり込めて言うのが鉄則だ。

「ごめんなさい。幸せになって下さい」

『不幸のどん底に叩き込んだ張本人が相手の幸せを願うなんて、
これほど残酷で悪意に満ちた言葉はないわよね。でも、仕方ないのよ』

鈴音はうつむき加減に顔を逸らし、肩から上着を降ろして差し出した。

受け取ろうとする雄太の手が、ほんの少し届かない距離で上着を離す。
おそらくクローゼットの中で一番高級であろう勝負服が、風に吹かれて舞い上がった。
雄太は、反射的に上着を追う。

女がそこにずっと居ると思うから、98%の男は自分の持ち物を確保しようとする。
だが、それが決定的なミスであることを、この後すぐに思い知らされるのだ。

海に落ちる寸前で上着を捕まえると、雄太は振り返った。

「鈴音さん!」

彼女はすでに、地下鉄の入り口にいたが、男の足で追いつけない距離ではない。
雄太は走る。

地上から続く階段を降りると、ちょうど自動改札を抜ける鈴音の姿が見えた。地下鉄の発車メロディがホームから聞こえてくる。

『彼女がエスカレーターでホームに下りても、今の列車には間に合わない。
ホームで捕まえて話を聞くことが出来る。大丈夫だ』

雄太がそんな時間計算をしている間に、鈴音の秒読みは始まっていた。

『10、9、8・・・』

一度振り返って雄太の姿を確認した鈴音は、
二台並んだエスカレーターの間にある斜面に、お尻から飛び乗った。

『7、6・・・』

スカートを押さえながら、銀色の斜面を滑り降りていく女性の姿に、エスカレーターの乗客たちは目を丸くした。

『5、4、3』

一気にホームまで辿りついた鈴音は、停車中の列車のドアに駆け込む。

『2、1、ゼロ!』

数え終わった鈴音の後ろでドアが閉まった。

走り出した列車の窓から、ようやくホームに降りてきた雄太の姿が見えた。
何かを叫んでいるようだが、走行音に紛れて聞こえない。
でも言っていることは想像がつく。

ブブブッ。ブブブッ。

鈴音のバッグが小さく震えた。
中からスマホを取り出すと雄太からのメールだった。

「相変わらず、慌てん坊のマザコン君ね」

メールの文面には怒りが溢れていた。

『鈴音の奴、僕ちゃんのプロポーズを断りやがった。
ママの言った通りクソ女だった~。チクショー。
ママ。帰ったら、いい子いい子してね。
ギュッギュも、チュウチュウもね』

送り先を間違えた事に気づいたらしく、間髪を入れず言い訳メールが送られてきた。

「御免なさい。鈴音さん。
今のメールは気にしないで冗談だから。
僕は、心から君の事を・・・」

そこまで読んで鈴音はメールアプリを閉じた。
続いて、雄太の電話番号とメールを着信拒否にした。

「お家に帰ったら、お母さんと一緒に私の採点をするのよね、雄太君。
そして今までの女性と同じように、厳しい点数を付けて馬鹿にするんでしょ。それをバレバレのハンドルネームでネットに上げたりするから、別れた女に怨まれるのよ。これに懲りたら少しは変わりなさい・・・って言っても無理だろうな」

フフッと笑った鈴音の瞳から、大粒の涙がこぼれ出た。

「あらら。またまた問題児が近くにいるのね」

流れる涙をぬぐいもせず、沈み込むようにシートに腰を下ろすと、
肩を震わせ声を立てず、涙は流れるに任せた。
ほどなくして若い男が隣に座り、声を掛けてきた。

「大丈夫ですか?」

慣れている口ぶりだ。

「ごめんなさい。私今、ちょっと色々あって。
変ですよね、人前で泣いたりして。すみません・・・」

鈴音は、男の膝にそっと右手を乗せた。
ここが見極めのポイントだ。
周りを気にして手をどかすか、されるまま何もしないか。ハンカチくらいは出して来るか・・・。

男は、その手を包みこむように握りしめた。

『ああ。残念だ。この男も何と罪深いのだろう』

鈴音は握られている右手に意識を集中させた。
男にまとわりついている女たちの悲しみや苦しみが、憑依思念となって伝わってくる。

『美也子さんは、あなたに渡すお金をつくるために、会社のお金に手を付けたのね。早苗さんはあなたを信じて夫も子供も捨てたのに、離婚した途端捨てたのね。借金の保証人になった美佳さんは風俗で働いているし、
高校時代には、新人の女教師を陥れて失職させた。
簡単には収まらないわね。この娘たちの恨みは・・・』

男は何も知らず、優しそうに笑いかけている。
その顔が苦痛にゆがみ、泣き叫んでいる映像が鈴音の頭に浮かんだ。

『私を恨まないでね。私が悪いんじゃない。
あなたに泣かされた女の子の怨念が私を動かすのよ』

地下鉄が長い闇の中を走っていった。

            おわり


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