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「凄まじいものを観た」・・・「エアスイミング」下北沢 小劇場B1


「凄まじいものを観た」

1924年委イギリスで実際に行われていたことを元に作られた舞台だが、
始まった途端に観客たちは混迷の壷の中に落される。

一コマ一コマを重ね合わせるコラージュのような展開。
次々と変化する登場人物の性格表現、セリフの語り、
そして長丁場、微妙で崩せない登場人物の距離感など、
役者たちの苦労を見るだけでも大変な戯曲だな、よくこれに手を出したな・・・
と思うのだが、
私は、この芝居を「努力賞」だけで終わらせるつもりはない。

*以下は、個人的な感想なので、「何言ってんだい。全然違うよ」という方は是非ご教授願いたい。そして、一部ネタバレもあるかも、なのでまだこれから観劇される方はお覚悟を。

さて、この舞台。演者が二人だけで、恐ろしい程シチュエーションが変化する。
それをこの舞台上で完結するように見ていると、どんどん頭の中が混乱するだけである。
その中で気付いたのは、
シーンごと、行動のパーツごとに分けて受け入れていくと
見えて来るものがある。

それは、そこに描かれる狂気や混乱が、
身近な出来事や友人の性格や言動に似ているな、と思えてくるのである。

もう少し言うと、例えば、
有名歌手への「推し」を競って語る場面では、
「ああ。友人のA君はよくこんな言い方をしてたな」と感じ、
怒鳴りながら相手を責める場面では、
「そうそう。叔父のBさんはこんな怒り方をよくしてた」と、
目の前の舞台に提示される場面を現実世界に繋げようと脳が働くのである。

勿論、他の舞台でも、「そうそう、あるよね」と共感する事はあるが、
それは舞台上の物語を理解し、舞台上で完結するためのもの、
舞台の世界観を理解しようとしているのだが
この舞台では、全く逆だ。
舞台の物語の理解よりも、「ほら、こんな風になることあるでしょ。身近で見たことあるでしょ」と、演技のパーツが外に向かって攻め込んでくるのである。

それが、柔らかなバラの棘のように、いつの間にか心に刺さって捕らわれているのだ。

ところが、休憩を挟んだ後半になると、今度はそれが一気に逆転する。
観客の心に刺さった棘のある枝をぐっと舞台に引っ張り上げるような展開が待っている。

その時、まるで舞台に心が引きずり出されたような痛みや癒し、そして微かな救いを感じさせ、訴えてくるのだ。
作者(シャーロット・ジョーンズ)は、この戯曲を「絶望の喜劇」と自ら語っているそうである。

是非、ご覧になって、絶望なのかどうなのか、まさに、作者からの尋問にも似た強い問いかけに答えを出して頂きたい。

「エアスイミング」 
演劇企画イロトリドリノハナ
下北沢小劇場B1(北沢タウンホールB1階)にて、7月7日まで




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