「愛と言う名の外套を着てずっと息を凝らしていた」・・・亡くなった父が持っていたものは。
以前、公開した物語のラヂオつくばバージョンに加筆・修正を加えたものです。まだこちらにアップしていなかったので、アップします。以前のバージョンとの違いを楽しんでもらうのも面白いかもしれません。
『愛と言う名の外套を着てずっと息を凝らしていた』
「ホームを抜け出したら必ず近くの公園で、
グ~ルグ~ル走ってるんですよ」
童顔の女性ケアマネージャーが話す言葉を私は黙って聞いていた。
「だから、すぐ見つかるんですけど、走るのを止めさせようとすると怒るんです。でも、気が済むまで走ったら、ゴールインって言いながら、大きく手を振って笑いかけてくるんです。それで、私たちも何だかホッとしちゃって、一緒になって大笑いして・・・。あ。御免なさい」
父親を亡くしたばかりの娘の前で、笑顔を見せるのは不謹慎だと思ったのだろう、ケアマネは顔を伏せた。
「気にしなくていいですよ。父は、私の前で笑顔を見せませんでしたから。
皆さんのおかげです」
10年前、母に先立たれた時、
『独身時代に戻ったみたいだ、気楽で良い』
と強がりを言っていた父だったが、
2年もしないうちに認知症を発症し徘徊が始まった。
警察やホームから緊急連絡を受けて、東京から6時間かけて実家に戻り
頭を下げたことも、一度や二度ではない。
ケアマネの提案でグループホームに入ってもらったが徘徊は収まらなかった。父は、錠前屋だったため、ドアの鍵など簡単に開けてしまうのだ。
「走るのがお好きだったんですね」
ケアマネは、他意なく言っているのだろうが
『何度も迎えに行った』と聞いた後では嫌味にしか聞こえない。
懐かしそうに語る無垢な童顔を眺めながら私は思った。
『あなたが思うほど簡単じゃないわ。父はね。走るのが苦手だったのよ・・・』
あれは、六年生の時の運動会だ。
それまで一度も運動会に来なかった父を「小学校最後の運動会だから」
と説得して来てもらった。
目的は、父兄対抗のかけっこだった。
毎年母が出てくれたが、他のお父さんたちには敵わない。
その悔しさを晴らしたくて父を引っ張り出したのだ。
しかし、父は母以上に足が遅かった。
スタート直後から差がつき、あっという間に10メートル以上離されてしまった。
母は「お父さん頑張れ~」と声を上げていたが、私にはそれが、低学年の子供たちに贈られるような同情の声援に思えて恥ずかしかった。
おそらく父も同じように感じていたのだろう。
俯き気味にゴールに駆け込んだ姿がとても辛そうだった。
私は子供なりに、父を残酷な処刑台に引っ張り出した責任が自分にあることを感じていた。
家に帰った私は、その罪悪感を払しょくするつもりで、いろ紙の貴重な『金色』を使って、手製の金メダルを作った。
「お父さん。お疲れ様」
と言って渡した途端、父は、そのメダルをビリビリに引き割き、大声で怒鳴った。
「馬鹿にするな! 慰めはいらん!」
怖かった。
見たことの無い父の姿が本当に恐ろしかった。
母は震える私を抱いて、頭を撫でた。
今から思えば、男のプライドや、照れ隠しで思わずきつい言い方をしてしまったのだろう、それを、子供だった私は受け入れられず、それ以来父と距離を取るようになってしまった。
次の年から、運動会も文化祭も父には言わなかった。
心を開かぬまま東京の大学に進学し、東京生まれの男と結婚した。
そして父は、私の顔も分からなくなって亡くなった。
「あのぉ。私は事務室にいますから、荷物の整理が終わりましたら呼んでくださいね」
童顔のケアマネは、明るく言い放ち、深々と頭を下げて出て行った。
独りきりになると、部屋に残る父の体臭が気になった。煮込み過ぎた小豆のような、とろりとした嫌な匂いだった。私は鼻にハンカチを当てて、父の所持品を探った。保険証や年金手帳など、とりあえず必要な物を見つけなければならない。
六畳ほどの部屋、探す場所は少ない。剝き出しのハンガーに一張羅の背広と、使い古されたジャージが並んでいる。三段に積まれた衣装ケースには下着や靴下だけが入っていた。
『父さんらしいな』
昔から父は物には固執せず、人目も気にしない。
贅沢と言う言葉とは縁がなく、常に薄汚れた会社の作業着を着ていた。
「汚い服着てるときに街で会っても、知り合いみたいな顔しないでよ」
そんなひどい言葉をぶつけたこともある。中学生で、見た目が全てだった年頃だ。そんな時、父は必ず冗談交じりに答える。
「見た目が気になるのは、若いうちだけだ。年頃になればお前も分かるさ。ハハハ」
当時、近くに住むイケメンの大学生に憧れていた私は、
初めての恋心を子供扱いされたような気がして思わず言い返してしまった。
「絶対分からないわ。アタシ、父さんみたいな人とは結婚しないから」
それでも父は笑顔のままだった・・・
あの遺影と同じように。
ベッドの傍らに置かれたブリキの箱の上に母の位牌と、父の写真が並んで乗せられていた。
「あれ? これ・・・」
ブリキの蓋に幼い字で、『たからばこ』と書かれている。
子供の頃、私が大切な物を入れていた箱だ。
『たから』、と言っても、キャラメルのおまけや、当たりの出たアイスの棒、ビー玉などである。
私は、少し錆の浮き出た蓋をそっと開けてみた。
箱の中には、手拭いでぐるぐる巻きにした包みが、ただ一つ入っているだけだった。
「何だろう?」
巻きついている手拭いをほどくうちに、
『認知症の夫が、妻の遺骨をお墓から盗み出して隠し持っていた』
というニュースを思い出し、手が震えた。
はらり、と包みの中から、手の平くらいの薄い何かが飛び出し、キラキラと輝きながら床に落ちた。
「あ!」
それは、小学校の時、父にプレゼントした折り紙の金メダルだった。
父に破かれた跡は、セロテープで張り合わせてある。
「一生けん命 走ったで賞」
12歳の私がマジックで書いた字だ。
懸命の「けん」だけ書けなくて平仮名になったのを覚えている。
金メダルを拾い上げる時、ケアマネの言葉がよみがえった。
『走るのがお好きだったんですね』
そうね・・・でも違うのよ。走るのが好きだったんじゃない。
好きな娘の為に、このメダルの為に父はずっと走り続けていたんだ。
来るはずのない運動会のゴールを目指して。
私は、紙製の金メダルを握りしめたまま、ベッドに倒れ込むように顔を埋め声を上げて泣いた。
しょっぱい涙の味と、父の香りが混ざり合って目と鼻を覆った。
だけどそれは、全く嫌な感じがしなかった。
おわり
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