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「想定は難しい」・・・

 


演劇を観る時、基礎知識はどれくらい必要であろうか?


渋谷・伝承ホールで「五稜の桜」という公演を観た後、ずっと気になっていた事である。

物語は、五稜郭の戦いをクライマックスに、新撰組の土方歳三を中心に描いていく。キャバレーなど時代を超えた演出も飛び出すが、各パートは演出的にまとまって観られたし、役者陣も頑張っていた。


若い世代にはこういう形の方が見やすいのかもしれない。

(鑑賞後の後味が「シン・仮面ライダー」に似ていた。)


少し話は変わるが、
最近、飲み会で機会があったので、若い役者の卵に
「忠臣蔵とか新選組を知ってる?」
と聞いてみたら、「名前だけは」と返された。
まだまだ若いから、それからでも良いのかな、と思ったが少し寂しくなった。三谷幸喜氏の『新選組!』が2004年だから、20歳前後の若い人たちが知らなくとも無理はないのかもしれない。その分、我々お年寄りは最近の「ゆうちゅうばあ」など全く知らないのだから。




そう言えば最近、あるテレビ番組で若い世代の人達が、ピコピコハンマー(柔らかなプラスチックのおもちゃ)で叩かれるお笑いの手段を、「暴力的で受け入れられない」と話していた。
「どんだけ純粋培養だよ」とツッコミを入れてしまったが、そういう世代には、多くの時代劇は受け入れられないのかもしれない・・・もしそうなったら、さらに寂しくなる。


これは様々な舞台や映像作品にも言えることだが、作り手が観客をどのように設定するか、という話を時々する。

このような話を飲み屋で仲間とすると、だいたい最初に以下の三つの予想的結論が、まず提示される。

1:無知蒙昧に設定する。観客は時代背景も何も全く知らないと想定する。
昨今のテレビのように説明ばかり多くて、考えさせる余裕を無くす造りだ。

2:これくらいは分かるだろう、と舞台に関係する人物を含めて、高度な知識を持っていると想定する。余り高をくくっていると、肝心なことまで伝わらなくなるので、高いと言ってもウィキペディアくらいの知識までだろう。

3:想定がどうであれ、面白ければ観客は観る前か後に、勝手に自分で調べたりするもので、肝心なのは舞台自体の面白さが肝心だ。

大雑把だけど、こんなところから話は始まる。


そして半ばで、「面白ければ良い」という話が、「誰にとって面白いか」という、営業的な観点にスライドしていく。自由な表現者・作り手と言えど、経済的制限からは逃れられないのだ。

途中でもう一つ、原作ものの場合、「原作があるんだから、分からなかったら、そっちを読んでくれ。解説本も沢山あるぞ」と開き直れる、という話が必ず出る。
その後に一緒に出て来るのが、演出は「これで良い」と思って作っているのに、人気のある幻想作家などでは、うかつに手を加えると、原作本のファンから突き上げを食らう事もある、という話。(勿論書き手は百も承知で改訂しているのだが)


そして、
「演劇を観る時の基礎知識」は必要かという命題に戻る。

飲み会での結論は、大体、知識の多寡よりは、いかに「ニュートラルな気持ち」で観られるか、という事に落ち着く。

多すぎるとその知識に振り回されるし、知らなすぎると、何の事だか分からない。

知識と創作物を楽しむことは、演劇に限らず「別の作品」なのだから。
という結論に至ると、比較的平和に飲み会を終われる。

「いや、原作の世界観を・・・」などと言い出す者が多いと、その世界観をどう捉えているかで、終わりの無い議論が繰り返されるのだ。(まるでこの記事のように)


ああ。今日も平和な飲み会になりますように・・・。


    おわり

*芝居などを観ると、こういう事を考えがちだ。それを語るのも時に楽しい。時には。


舞台後の写真タイムにて


舞台後の写真タイムにて


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