見出し画像

「葵さん」・・・いつも連れている縫いぐるみは。


「こちら『葵さん』。
俺たち、2週間前から付き合ってます。この通りすごく可愛いんですが、ちょっとヤキモチ焼きなところが玉にキズです」

新人歓迎会の席で、同期の森田は、つぎだらけでボロボロの鮫の縫いぐるみを持って、言い放った。

課の社員全員が灰色の鮫と森田の嬉しそうな顔を見比べてドン引きする中、二つ先輩の宮野さんだけが、「可愛い」と言った。

「ね。可愛いですよね。このヒレが少し取れそうになっているところが何とも言えずに愛おしいんですよ」

「違うわよ。私が可愛いと言ったのは、縫いぐるみの『葵さん』じゃなくって、森田君、君よ」

「え?」

「そんな縫いぐるみを大事にしているなんて、あなた可愛いじゃない」

その後も、宮野さんは森田に親し気に話しかけた。
人事部の経験もあり、これまでにもたくさんの新人を見てきた宮野さんは、一見変に思える新入社員でも、偏見無しにコミュニケーションを取って見ると、後に大きな戦力になる事を知っていた。

その部署の中で浮かないようにすることが、会社にとっても新入社員にとっても、結局はメリットになる、と考えて、浮きそうな人間には積極的に話しかける事にしている。

その作戦は功を奏し、いつしか二人の周りにも人が集まり、
森田も『葵さん』を脇に置いて話をするようになっていた。

流石は宮野さんだ、と森田を持て余していた同期の連中も感心した。

ところが、
その翌日、宮野さんが急逝したいう知らせが会社に届いた。

朝になっても起きてこないのを心配して、ご両親が部屋を覗いてみると、ベッドの上で体を引き裂かれ、血まみれで亡くなっていた。

まるで何か、巨大な生き物に噛みつかれ食われた跡のように見えたという。

そこに、『葵さん』を抱えた森田が入って来た。
宮野さんが亡くなった事を伝えると、相当ショックを受けたようで、
『葵さん』を抱きしめて涙を流した。

森田の腕の中で窮屈そうにしている『葵さん』の口元が、真っ赤な血で染まっていた。

                               おわり


短編改訂


#朗読 #怪談 #ぬいぐるみ #恐怖 #彼女 #恋人 #短編小説 #可愛い #ショートショート #新人歓迎会 #不思議 #謎 #コミックス #短編

ありがとうございます。はげみになります。そしてサポートして頂いたお金は、新作の取材のサポートなどに使わせていただきます。新作をお楽しみにしていてください。よろしくお願いします。