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「蛾と真言」・・・その夜倒したものは?

さて、鏡花の体験したという不思議をもう一つ。

『蛾と真言』

少年の頃。私は蛾の類が苦手であった。
夜半に一人ランプの灯りを頼りに草紙の類を読み進める折、深淵なる闇の佳境に入りたるに限って窓のすりガラスに、多大なる音を立てるものがある。
元より苦手なる上に、あやかしの世を記しつつある夜。つど早鐘のごとく胸の内は急を告げる。
よもやこの鱗粉をまき散らす飛翔体が部屋内に入る事を想像しただけで、わが身は悶え苦しむほどであった。

その夜も例に漏れず、窓をたわしでこするごとく音を立てて揺らすものがあった。
分別もあやふやな子供のことであり、たまさか読みたる書がそのような物であったのと重なりて、凛とした姿勢をもって真言を唱え印を結びて窓を射した。

途端、窓外の騒乱は収まり、静謐なひと時が戻って来る。起こったことの真偽を確かめるでもなく、こんなものかと読書にかえれば、ことさら没頭し丑三つの頃まで耽る。
さて、もうそろそろと本を閉じ、戸締りもせねばと何気なく窓を開いてみると、敷居の上にひと固まりがじっとしている。いかなるものやと未だ深く考えも及ばず、ただ確かめんと灯りにかざすと、それは一匹の蝉であった。
それならばと、体をこすり羽をさすってみても動く様子も無い。
浅はかな祈祷の結果がこのていである。幼心はぞっとするばかり。
これが毒虫の類であればまだしも、罪なきと思われるものであればただ哀れなり。
もとより修行を積んだ身でもなく生まれつきの神通力がある訳でもない、弾み、たまたま、偶然なる無心によるものを、如何にしてよみがえらせる術も知らず。
ああ飛んだことをしてしまった。嫌な火取り虫だと思い、気の毒な事をしてしまった。思いつくまま謝罪の言葉を連ね、許してくれ堪忍してくれ、と手のひらに乗せ息を吹きかけると小さな身はむぐむぐと動き出し、指の先までくすぐったく歩くではないか。
どきどきと震える手を窓外に突き出してみると、心に揺れるものがあったのか手の上の二寸ばかりの陰が見当たらぬ。
いずこに探す前に、月のかかった棕櫚の葉陰に羽ばたきの音を聞いた。


                「真言」より 一部脚色


好き嫌いは理由を知ったり、経験を積んだりして、時と共に変わることはあっても、幼い頃からただ意味もなく苦手というモノや人は、生涯変わらぬものだとよく言われます。

それは多くの場合正しく、「あの人なんとなく苦手」とか「理由もなく腹が立つ」ということは誰にでも経験のある事でしょう。

その小さな感情が相手を簡単に死に至らしてしまうという事があったら、相手も本人も、恐ろしく不幸なことですよね。そんな発想を大きく広げる展開は、平井和正さんの短編SF「死を蒔く女」などにも見られます。


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