教師は補助輪
先日、コーチングについての談話を視聴しました。
その中で出てきた言葉がこれです。
「教師は補助輪」
自分の子どもに自転車に乗れるようになって欲しいとき、皆さんならどうしますか?
バランスの取り方を教えたり、ハンドルの切り方を教えたり、身体に手を添えてサポートしたりするでしょうか。
コーチング学の考え方では、人間は然るべきタイミングに自然と成長をしていくと考えるようです。
したがって、コーチが直接的に何かを指導することで成長をさせるのではなく、本人が環境から学び取り、その経験をもとに自ら成長していってもらうのだそう。
人間は良きお手本を見ることで、そのイメージを脳内にインプットし、それを自身の身体で体現できるように、そのイメージに自分を近づけていくのだと言います。
したがって、コーチがすべきことは良きお手本になること、もしくは良きお手本を探し、見せてあげることということになります。
もう一つのコーチの役割は環境を整えることなのだそうです。
子どもに学ばせたいことの再現性を高める工夫と、それを子どもたちが認知しやすい工夫を環境設定によって作り出すことで、子どもたちが自ら課題に向き合うようになる。
そして、必要に応じて認知の助けになるような適切なクエッショニングを行うことがコーチの役割なのだそうです。
ですから端的に言えば、コーチの役割は環境を整えて、発問をすることだけなのです。
教えるということはほとんどないのだそう。
言われてみれば納得できることではありますが、それでも教えた方が効率がいいと思ってしまう自分がいます。
自転車に乗りたい子どもにあれこれ口うるさくいうのではなく、黙って補助輪になれるかどうかが重要なのだと言っていました。
談話の内容は感覚的には理解できるものの、理論として自分の中に定着するにはまだまだ知識も経験も足りなさそうです。
このコーチング学という学問をもっと深く学んでみたいと思いました。
今後もnoteを使って皆さんにも共有していけたらいいと思っています。
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