本当のさよなら。
専門学校時代の同級生がいなくなって初めて迎えた春から10年。その時、あなたがいなくても桜なんかが咲いて季節が変わってしまうことがこんなに寂しいことだとは思わなかった。今も桜が咲く度にそう思ったことを思い出すよ。
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わたしはよく頑張りました。わたしはよく闘いました。見えない敵と。過去から繋がってきた自分と。すべてを他人や周りの環境のせいにしたかったけれど、その度に「自分はまだ恵まれてるほうだ」と思い込んで自分の心に大きな蓋をしてきた。でも大人になったらその蓋は簡単に破裂して飛んでいった。
我慢が出来なくなった。誰にも気付かれないように泣く夜が増えた。涙が流れていく時はどうしようもない孤独が自分を襲った。それでも今日までやってきた。今までのことをすべて否定してしまうのはあまりに辛くて情けないから。
なんとかなってきたわけじゃない。ただ時間が流れただけ。決定的な何かのおかげで立ち直れてるわけじゃない。一生付き合っていく感情があとどれほどあるのだろう。
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周りと違うことは分かっていた。周りと同じような顔をして、周りと同じような波長で話をして。あたかも普通であるかのように。ある程度のことは知ってるような雰囲気を出して。てきとうな相槌も愛想笑いも、生きてきたなかで学んだことだからそれを使えてるだけ優秀だ。
本当は全部知りません。本当はよく分かりません。過去のことも全部忘れてもいいと思ってるくらい。わたしには薄っぺらいって言葉がよく似合う。薄っぺらい人生。
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12年前に一緒に東京の街を歩いて、買ったばかりの一眼レフであなたの写真を撮った。わたしのUSBメモリにはあなたの写真のフォルダがある。わたしのUSBメモリの名前は学生時代にあなたがつけてくれたまま。10年以上も前だ。ずっと変えてない。
2013/04/05/Fri
あなたの、
あなたの街の桜を見ました。
あなたのことを、あなたが話していたことを、思い出しました。
こんなにも桜は綺麗に咲いています。
あと何度見ることが出来たでしょう。
これから先も変わることなく、何度も何度も咲くでしょう。
あなたがいなくても
春は来てしまいます。
新緑の季節に忘れてしまわないように
記憶や思い出が何度も顔を出しては
あなたが寂しくないことばかりを祈る。
それはあまりにもずるいのだけれど。
あなたがいなくても
春は来ました。
寂しくて悲しくてたまらなくなっても
春は来ました。
友達から届いた「今日、死んだから」っていう連絡のメール。死ぬことを選ばなければいけなかったあなたの大きな大きな感情は、10年の時を経て今はもう楽になったんだろうか。
今も勝手にあなたは許してくれそうだと思ってる。人とは違う自分という存在を。
あなたが最後にみんなに書いてくれた言葉には、人と人との出会いは点と線で出来ていて、その点にはちゃんと君らしさがあるということ。その点はその点の個性ということ。その個性を濁すことは出来ないということが記されてあった。
わたしは特別あなたと仲がよかったわけじゃない。深い話をした仲でもない。それでも二度と経験したくないと思ったあの寂しくてたまらない空気の葬儀に参列して、そのあと初盆でお花を買って友達3人と墓前に行き、おばあちゃんちに寄らせてもらってあなたのご両親に会ったこと。忘れてない。
そう。「あなたのこと今でも忘れてないよ」って伝えたい。あなたが最後に遺した言葉を今もたまに読み返して、どこかで生きにくい気持ちに寄り添ってくれてるような気がしてるよ。すごく勝手だけれど。
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あと何度、朝日を浴びるか分からない。あと何度、夜の空気に飲まれるか分からない。"わたしはよく頑張りました。"誰かに言って欲しい言葉を自分で唱えてる。立ちくらみしそうな強い春の空気のなかで。
きっとまだ、これからもずっと。
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