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信心と話の筋

宗教は発明だと思っています!
(シビライゼーション脳)

最初に大前提として人様の信仰にケチを付けるつもりは全くなく、同時に何処かの宗教に帰依した人間で無い事をお伝えします。

(信じるものがない・・・訳ではないとは思う)

また話の流れ上、名称を伏せた特定の宗教の悪い部分を語る流れとなりますがそこから教義や勧誘方法の是非を問う的な内容を深堀りする訳では無い事も予めお伝えします。(避けている訳ではなく、今回その必要がない為)

宗教自体はその寄り添い方次第と思いますし、他人の信じるものを否定し、自分の考えを押し付けるもので無い限りは(宗教に限りませんが)一定の範囲で保護されるものだと思っています・・・ちなみに押し付けられた側ですが(;´Д`)

これまでの人生で何度か宗教的な勧誘を受ける事がありました。

勧誘方法は様々で酷い時には別件をきっかけにドライブに連れ出されその行程中延々と車という密室の中で「紹介ビデオ」と「体験談」を見聞きさせられる事もありました。

全て断ればいいという話もありますが、世の中付き合いというものがあり、また宗教を勧めてくる人々の中には掛け値無しで「私の為」に帰依を勧める人々・・・もしくは友人もいたのです。(まぁ傍から見てもとばっちりが激しい人生歩んでますからね)


なので結局は断るにしても、最初の語りかけだけはプレーンな気持ちで聞くのが自身のポリシーであると共に、相手に対する誠意と考えていました。最悪その甘さがきっかけで袂を分かつ事になるとしても。

そんなある日の勧誘の出来事。
その時は友人と仲の良い人物が集まる会合に呼ばれました。友人はそうは思っていないのですが、完全なアウェイ且つ知らない人間がいる場所なので私個人の警戒度はMAXです。流石に断るつもりでしたが、当時(ぼっちちゃんレベルで)人見知りな方の社会復帰をお手伝いしていた事があり、その方の「ぐらぼまさんが参加するのなら、一緒に顔を出してみたい」という願いも聞かされていました。

冷静に考えるなら会合に参加→そのまま勧誘なのですが、私は兎も角その方(以降ぼっちちゃん)は元々主題となる宗教に帰依しているのでその辺りの心配はありません。私自身は交わらなくても、宗教コミュニティでぼっちちゃんが自分の世界を広げるきっかけになるのであれば悪い事ではないと考えていました。

話が横道に逸れてきたので軌道修正しますが、私が会合に参加したのはその様な事情からだと言うことです。(孔明の罠?・・・行ってやらぁ!)


会合はなかなか和気あいあいで意外にも楽しむ事が出来ました。宗教色の強い話題ばかりでは無いですからね。

ただ楽しい時間もある話題が出る事で終わりとなります。それは宗教の素晴らしさを語る内容であり、指摘はされませんでしたが私に向けたメッセージであった為です。

戦時中、ある島に取り残された兵隊達が最後の船で日本に帰還する事となった。
但し乗れる人数が限られている。

その人は重症でそもそも船旅に耐える体力もない。

その人は置き去りにされ船は出港した。

その人は絶望したが、その人を置き去りにした輸送船は敵の潜水艦の攻撃で沈んだ。

島に置き去りにされた人は何故助かったのか?それは・・・

「信心していたから助かった」

というド直球な内容でした。

いやまぁそれはそれでよいとは思うのですが、問題なのは「船に乗らなかった(乗れなかった)選択の結果」というより「宗教を信じてない人間が船に乗って死ぬべくして死んだ」という罰が与えられた的な話の語り口です。


流石にこれは許容できずやんわりとですが遠い祖国以外の地で散っていった方々への冒涜とも言える内容に抗議しました。

部外者だけど頭ごなしに信心を否定しないので既に仲間意識を持たれていたのか私の予想外の反応に皆が慌てて別の有難いお話を伝え、更に場が炎上します。
ちなみに友人は説得側(笑)なので頼れるは自分自身のみです(;´Д`)

少なくとも最初は(同意できるかはともかく)理知的な内容が多かったのですが、私が都度納得いかない点を指摘し続けると後半は「貴方を救わねば」的な感情のこもった熱狂の舞台へと変わっていきました。

結局その場は集団の中で冷静な人間が場を収め、話題を変える事で沈静化します。そもそも私の方は論破が目的ではないので相手が来ないなら引くだけです。(そもそもこの話題を最初に振ったたのも冷静な彼なのですが)

一つ印象に残っている事は場を動かしていた冷静な彼は宗教に一定の距離を置いた感じはするものの、上手く宗教を使っている感じがしました。

彼の立ち位置はわかりませんが、このまま私を囲っておくと場がおかしくなることは理解していたようです。実際に尽く論破し続けた結果、有難いお話についての論理的説明がバグりだした方も出始めていましたので。

冷静な彼の本心が善意と悪意どちら寄りかはわからないままでしたが、なんだか得体のしれない、底冷えするような感覚だった事を覚えています。

あぁ、論破というと私が頭の回る人間の様に見えてしまいますが、実際は「いや、そうならんやろ!?」って感じの話が多かったので流れ作業のようにツッコミ続けただけですよ(;´Д`) ナンデヤネーン!

そろそろ話を締めましょう・・・会合に参加するきっかけとなったぼっちちゃんですが彼は説法バトル?には参加していませんでしたが。ただどんな形であれ私に同じコミュニティに属して欲しかった様です。別れ際にまた会いましょうと話はしましたが・・・以来彼には会っていません。

ぼっちちゃんとは友人や冷静な彼経由での付き合いでしたし、説法バトル?の感触から私には合わせないほうが良いと判断された気がしてます。併せて冷静な彼ともそれっきりです。

では友人とはどうなったかって?
彼は苦境に喘ぐ私を救いたがっていた様で今度はなんとボスキャラを連れて私の前に帰ってくるのですよ(゚д゚) ヤメテー


信心は人に依っては生きる為の力であり支えです。でも同時に人を引き込む蟻地獄の側面もあるのかと思います。別に宗教に限らない話ですが教えの中身をただ飲み込むのではなく、咀嚼して味を確かめ自分の言葉に出来る迄に理解する必要があるのだと思います。

そして人に勧める時はより慎重に相手の為を思ってかを熟考した上で行うべきかと。絶対に他人から「勧めなさい」と言われてやるものではないと個人的には思います。

友人とはその後もいろいろありましたが、私を救おうとするその気持ちだけはとても嬉しく、そして離れてしまった今でも感謝しています。

あ・・・大事な事を言い忘れていましたがこの話はフィクションですよ!(゚∀゚) イツモドオリダネ!



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<どくのぬまちをあるくのにそんなそうびでだいじょうぶか>
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