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"戦"に学ぶ!No.3~山崎の戦い~


”軍師” こと、株式会社GUNSHIコーポレーションの社本です。


このnoteでは経営者の軍師としての目線で、
これからの時代を生き抜く戦略を発信しています。


私は日ごろより周りの方々から
”軍師” というニックネームで、
お呼びいただいています!

社名であることもその理由ですが、
私は自他共に認める歴史好き!
とくに戦国時代が好きです。


今回は、歴史に残る ”戦” に学ぶシリーズ。


ぜひ最後まで楽しんでいただけたら幸いです。





■実はたくさんある?天下分け目の戦い


いわゆる「天下分け目の戦い」
と言われる歴史上の戦は
「関ケ原の戦い」を指すと思いますが、
「天下分け目」といっても過言ではない戦が
個人的には他にもたくさんあります。


1582年。
明智光秀によって本能寺の変が起こり、
織田信長が自害しました。
同じ時、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)は
中国地方で毛利軍と戦っていましたが、
これを知って直ちに毛利家と話をつけ、
敵討ちのため全軍を引き返します。
(この一連の流れを「中国大返し」といいます)


そして、明智光秀を討ち取った
天下分け目の戦いが、
本記事で取り上げる
「山崎の戦い」です。


京都の山崎には「天王山」と呼ばれる
270メートルほどの小さな山があり、
ここを陣取った方が勝利すると
いわれていました。
「中国大返し」により猛スピードで
全軍を引き返させた秀吉は、
見事に「天王山」を陣取り、
明智光秀に勝利したとされています。


「山崎の戦い」については諸説ありますが、
簡単な流れは以上の通りです。
この話でお伝えしたいことは、
当時カリスマだった信長を討ち取った
明智光秀の「本能寺の変」、
そして「中国大返し」をしてまで
猛スピードで戻って来た秀吉による
「山崎の戦い」までの流れの激動ぶり。
本当にドラマチックだと思いますし、
まさに「天下分け目の戦い」と呼ぶに
相応しい重要な戦ではないでしょうか。


そして、このような歴史的且つ
ドラマチックな戦は、
別の形で後世に残ることがあります。

■歴史に「語源」あり!


ところでスポーツの試合などで、
「今日の試合はまさに天王山の戦いです!」
「優勝をかけ天王山に挑む!」
のような表現を聞いたことはありませんか?


ここでいう「天王山」とは
秀吉が陣取ったあの「天王山」のことであり、
「天王山」が戦の要だったことから
「山崎の戦い」は別名「天王山の戦い」であり、
「天王山」=勝敗の分かれ目という意味で
現代でも「天王山の戦い」と言えば
「ここ一番の大勝負!」
という意味で使われているのです。


また、明智光秀が「本能寺の変」で
信長を破って天下をとったものの、
それは「山崎の戦い」で敗北するまでの
短い期間だけだったことから、
権力を握っている期間がきわめて短いことを
「三日天下」といったりもします。


つまり「山崎の戦い」前後の出来事が、
私たち現代人が使用する言葉として
2つも残っている……ということです!
これは私としては非常に
テンションが上がる事実です(笑)。


このように、
歴史上の史実が「語源」となって
現代にも残っていることを鑑みると、
やはり「天下分け目」といわれるほど
重要な戦の影響は計り知れないなと
改めて感じます。


「今日の商談はまさに天王山の戦いだ!」
のように言いたくなる大事な日は、
ぜひ戦国武将たちのことを思い浮かべながら
使ってみてくださいね!
きっとパワーをもらえます!(笑)




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