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【甲陽軍鑑】エピソード

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甲陽軍鑑の面白いエピソードを紹介しています! 歴史 日本史。
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#日本史

【甲陽軍鑑】歴史ファン必見!『甲陽軍鑑』をざっくり解説するYouTube動画をご紹介!

【甲陽軍鑑】歴史ファン必見!『甲陽軍鑑』をざっくり解説するYouTube動画をご紹介!

戦国時代の武田信玄の軍略や政治の知恵を学べる歴史書、『甲陽軍鑑』をご存じでしょうか?この貴重な歴史資料について、わかりやすく解説したYouTube動画を公開しました!

私はただの歴史ファンで、学者でも専門家でもありません。

しかし、『甲陽軍鑑』の魅力に心を動かされ、この面白さを一人でも多くの方に伝えたいという思いから、この動画を作成しました。

甲陽軍鑑をざっくり紹介!
『甲陽軍鑑』をざっくり

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【甲陽軍鑑】武田信玄公の教え:学問の重要性と心のあり方

【甲陽軍鑑】武田信玄公の教え:学問の重要性と心のあり方

戦国時代の名将、武田信玄公は、その卓越した戦略とリーダーシップで知られていますが、彼の教えは武士だけでなく現代の私たちにも深い影響を与えます。以下に信玄公の教えについて解説します。

甲陽軍鑑品第四十は積水寺物語として信玄に関するエピソード集のようになっています。
短いエピソードが複数書かれている章になります。

そんな品第四十からエピソードを1つ紹介します。  

学問の必要性信玄公は、人間にと

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【甲陽軍鑑】甲州・韮崎合戦

【甲陽軍鑑】甲州・韮崎合戦

甲陽軍鑑品第十八に書かれた戦いを紹介します。甲州・韮崎合戦は、1538年(天文7年)に、信州の諏訪頼茂と小笠原長時が、甲斐国の内紛に乗じて侵攻した戦いです。この内紛の背景には、甲斐国を治めていた武田信虎と、その長男・晴信(後の武田信玄)の対立がありました。信虎は次男を後継者にしようとしたため、晴信との親子仲が悪化し、最終的に晴信が今川義元の助力を得て父を駿河に追放しました。この状況を知った諏訪頼茂

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【甲陽軍鑑】高坂弾正という男 

【甲陽軍鑑】高坂弾正という男 


高坂弾正について
戦国時代、数多くの名将が活躍した中で、高坂弾正という人物がいます。甲陽軍鑑の制作者の1人でもある彼の人生は、多くの人々にとって驚きと感動をもたらすものでした。今回は、甲陽軍鑑品第五に書かれた高坂弾正の物語を紹介します。

臆病者と呼ばれた青年
高坂弾正は、信玄公の家臣の中で「一番の臆病者」として知られていました。その理由は、下々の者たちが「保科弾正は鑓弾正、高坂弾正は逃げ弾正」

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【甲陽軍鑑】無傷で500人を討ち取る真田の計略

【甲陽軍鑑】無傷で500人を討ち取る真田の計略

真田一族について 真田と言えば戦国時代好きならほとんどが知っている一族ですよね。

 大阪夏の陣の活躍により日の本一の兵と呼ばれた真田信繁。

 そのお父さんの真田昌幸は上田城での攻防戦で徳川軍に2度勝利しています。

 信繁のお兄さんの真田信之は初代松城藩主となり93歳まで長生きし、それぞれが歴史の舞台で大活躍をしています。

 今回紹介する甲陽軍鑑エピソードの主役は真田信繁のお爺さん真田幸隆に

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【甲陽軍鑑】信虎追放事件年号の誤りに見るロマン

【甲陽軍鑑】信虎追放事件年号の誤りに見るロマン

○武田信虎追放事件とは
武田信玄は父武田信虎を甲斐国外へ追放する事で家督相続をし、戦国大名として活躍することになります。信虎虎追放の時期については甲陽軍鑑が天文7年(1538年)としているのに対し、信憑性の高い資料として扱われる他の資料は天文10年(1541年)としています。

武田信虎の追放については、通説の前年に天文の飢饉(天文9年1540年)が起こり、飢饉に上手く対応出来なかったため追放

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