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大学受験【強迫症、双極症気質をいかす】 闘病記【9】

大学受験

今回は私の大学受験について述べたいと思います。大学受験は私の人生で唯一の成功体験です。強迫症、双極症を持っていてもうまくいくことはあるのです。病気の特徴をいかすことも出来ると思います。それにはちょっとしたコツがあるようです。私なりに考えて実践したコツを披露しようと思います。またこれから大学受験の勉強をする人にも参考になるかと思いますのでお付き合いください。

前回述べたように、部活が終わってすることがなくなった時、どういうわけか「悪い」友達を切って受験勉強をすることを選択しました。その選択は間違っていましたが、それからは授業を真面目に聞くようになりました。予習復習もするようになりました。高校に入ってから勉強に対して不真面目だった私ですが突然真面目になりました。

勉強をがんばる

家に帰っても勉強するようになりました。登下校の電車の中でも勉強しました。それまでは学校のテストでは大体200番台でした。それが勉強を真面目にするようになってから2ヶ月ぐらいで100番くらいになりました。最終的には学校で10番ぐらいになりました。

私の場合、受験勉強においてはやったことに対する成果が明らかでした。明確な成果が出るのでとてもうれしくなりました。成果が数字ではっきりと分かるところが勉強のモチベーションになりました。入学当初から成績が悪かったので、ごぼう抜きでした。まさに下克上。ゲームのストーリーのような感覚でした。

この時は前にも述べたように森田療法で言われる「負けず嫌い」という神経症の気質が功を奏したのです。また「完全主義」な面も勉強にはいい風に作用したのだと思います。何より勉強は嘘をつきません。幸い私が苦手な人間関係のように不安定で理不尽なことはほとんどありませんでした。

成績が上がると先生も態度を変化させました。よく褒められるようになりました。それもうれしかったです。今思えば勉強の成績で序列をつくり、それによって態度を変える学校のシステムは最低だと思います。
また国立大学に入れるかもしれないと言われました。私は単純なので人から評価されることで自信がついてきました。がんばったらその分報われるというシステムは誰の目にも分かりやすく、自尊心を持つことができました。

勉強が楽しくなる

また成績が良くなると勉強そのものがおもしろくなってきました。だんだんその構造がわかってきたのです。例えば数学だと公式をただ覚えるのではなくて、公式が出来る過程を学ぶようにしました。すると計算問題をするときに、ただやらされるのではなく、計算する意義が分かるようになってきたのです。

強迫症と勉強

ところで前にも述べたように強迫症の症状で本の点や丸を数えるために、ページを何度もめくるということを繰り返していました。そんな難儀を抱えていかに勉強したか不思議に思われるかもしれません。一体そんな強迫症に苦しんでいる状態でどうやって勉強したのでしょうか。

その頃は病気に対する知識はありませんし、どう対処したらいいのかは分かっていませんでした。そこで単なる思いつきなのですが、私が試みたのは強迫症の肯定でした。丸や点を数えることを否定しないのです。それまでは強迫行為というものは苦痛でしかなかったのですが、そう思うのをやめました。
具体的にいうと丸を数える時に「嫌だ」とか「つらい」と思うのをやめて、作業として数えていくのです。そうすると不安をともなった考え(強迫観念)がボリュームダウンしたのです。
もちろん当時はそんなこと知らないのですが、強迫症では強迫行為を行えば行うほど強迫観念が強くなるメカニズムがあると言われています。その論理でいけば強迫行為をしなければ強迫観念は大きくなりません(これは暴露療法の肝です)。
行為をしないわけではないのですが作業として黙々とやると強迫観念の増強がやわらいだのだと考えられます。
そして強迫観念の弱い強迫行為は大分扱いやすいものでした。これはコペルニクス的転回でした。しかしそれは今になって振り返って分かることで、当時は特に意識していませんでした。なんとなくやっていたのです。

どうして強迫行為を作業としてやることが出来たのでしょうか。それは今考えると答えははっきりしています。勉強が楽しかったからです。そもそも楽しい気分でする強迫行為はそんなに苦痛でないのです。本来つらくてしいんどい、やりたくない強迫行為を楽しい気分でやるわけですから状況が変わるのはある意味当然かもしれません。

強迫症そのものが良くなったわけではない

もちろん強迫症自体がよくなったわけではありませんでした。勉強しているときだけがましになっただけでした。物に触れる回数を数えること、何度も同じ物を見るという強迫症はよくなりませんでした。相変わらず強迫観念が湧いてきて、苦痛な強迫行為をせざるを得ませんでした。病気に対する態度として、コペルニクス的転回ではあったのですが、強迫症そのものの根本的な解決にはなりませんでした。

この時点でもっと強迫症について、つきつめて考えればよかったのかもしれません。そのシステムを理解して解決策を考えればよかったのです。しかしそこまでの精神的余裕はありませんでした。また強迫症がよくなったのは勉強が楽しい時という一時的なものでした。本を読む際の症状も受験勉強が終わると元に戻ってしまいました。今考えると楽しいという感情が一時的に不安を凌駕していたのだと思います。

人間は気分に支配される動物ですが、楽しいという感情を持つことは様々な可能性を秘めていると思います。強迫症の人は自分のやりたいことをやって、楽しいという感情を持つようにすると症状の改善につながるかもしれません。試してみる価値はありそうです。しかし先にも触れたようにこの方法は強迫症の抜本的な解決にはなりません。自分の気分、感情を当てにしているので不安定なことを免れません。

また効果は一時的なものだと考えられます。人間はどうしても楽しいことに慣れてしまう生き物だからです。抜本的な解決を目指すには強迫症が起こってくるシステムを理解した上でのドラスティックな対策が必要だと考えます。

双極症と勉強

さて楽しく勉強できたのには「負けず嫌い」や「完全主義」といった森田療法で言う神経症気質だけが功を奏したわけではありません。もう一つテクニックがありました。それは双極症の飽き性な気質を利用して勉強するということです。飽き性は勉強に不向きだと思われるかもしれませんが、受験勉強に限ってはそうではないと思います。受験勉強はたくさんの教科があります。それをうまく使うのです。

具体的には、ルールとして1科目の勉強は1時間以内で終わらせるのです。何時間も同じ教科をやっていて飽きるのは当たり前です。ところが1時間ごとに教科を変えると飽きません。
時間で切り上げて、他の教科に移ると新鮮な気持ちで勉強できるのです。それをひたすら繰り返すのです。他の科目に変わることにより目先が変わります。また新しい気持ちで始められます。気分転換できるので休憩は必要なくなるのです。受験勉強のコツと言えるかもしれません。これはあくまで個人的な体験です。

ところで、その後に資格の勉強などをしたことがありましたが全然だめでした。長時間同じ勉強をするのはどうしても飽きてしまうのです。これは受験生にはぜひ実践してみて欲しいことです。
飽き性で物事が続かない人にも何かしらの参考になるかもしれません。『躁鬱大学』で坂口恭平さんも時間をうまく区切って仕事をされていることを明かしています。双極症気質の人には時間を区切って物事をやることは向いているかもしれません。

強迫症気質のいかし方

さて強迫症、双極症の気質をいかすことにより受験勉強が楽しく、うまくいったことを述べました。自分で狙ったわけではなく、たまたまうまくいっただけですが、今から思えば合理的なやり方をやっていたのだと思います。
私の体験からは強迫症、双極症の気質もいかすことができると思います。森田療法ではそういった神経症気質の人が社会で役に立つ方法などが紹介されています。また『躁鬱大学』には双極症の人がその気質をいかして生きるヒントが書いてあります。どのような気質もいかす方法があると言えるのではないでしょうか。デメリットはメリットになり得るのです。同じ病気で苦しんでいる方には是非とも知っていただきたいと思います。

さてここまではよくある話かと思います。僧侶である私はみなさんにこれを述べたいのではありません。私は仏教、ことに浄土真宗の教えによって考え方、生き方が大転換しました。そうしたら自分の病気に対する見方も大きく変わりました。それに伴って症状はとても落ち着きました。その病気を捉え直し、生き方の転換のノウハウを披露するためにこの体験記を書いています。詳しくは後日述べます。最後までお付き合いいただけると幸いです。

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