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精神科入院トラジェディー強迫、双極症ー 闘病記【31】

退職後のうつ状態

前回は仕事を辞めたところまで述べました。今回はその後、入院したことを中心に述べたいと思います。

仕事を辞めた私はとにかく自分を責めていました。こんな自分じゃだめだと強く思っていました。

「普通」に仕事が出来なかったことに対して罪悪感を持っていました。自分には生きている価値がないとまで思い詰めていました。

そして長いうつ状態に陥りました。何もしたくない。落ち込んでしょうがない。布団から出られない。典型的なうつ状態でした。

医者は「気持ちを切り替えてやっていこう」と言いましたが、とてもそんな気にはなれませんでした。生きているのがつらいと言うと、医者は困ってしまいました。

そして薬物治療ではどうしようもなくなったので、また入院させてもらうことになりました。大学院の時を含めてこれで入院は3度目でした。

入院

入院すると調子が良くなるというパターンがあるので、今回もそれを狙ったのでした。私はひどいうつ状態で入院しました。

入院してしばらくは誰とも話をしませんでした。うつ状態がひどくて人と話をするどころじゃなかったのです。

体も疲れていたのでしょう。一日中寝ていました。

それでも不思議なもので数日寝ていると体調はよくなりました。入院すると世間と離れ、病院に守られている感覚があり、落ち着いて休めるのです。

「入院はくせになる」

さて前に入院した時も一緒だった人(以下A)と相部屋でした。前回と同様にAは「入院はくせになるから気をつけて」と私に言いました。

Aは病院が家から近いこともあり、何度も何度も入院しているということでした。しかし一緒な部屋にいたにも関わらず、病名については不明のままでした。

外で見るとおかしな人かもしれませんが、病院では「普通」に見えました。前にも述べたように病院内では「普通」という感覚が狂うのです。

うつ病、双極症、統合失調症というようなメジャーな精神病と言うよりも、性格や言動に問題があると感じました。

私は「入院はくせになる」という言葉を聞いて落ち込みました。自分も3度目なので、何度も入院を繰り返すだめな病人になるのではないかと思ったからです。

もう「普通」にはなれず、社会には戻れないのではないかと不安になりました。

Bとの思い出

少し回復すると割と年の近い男性(以下B)と話すようになりました。その人も私と同様に症状が軽い方で、普通の会話ができました。

確かうつ病だったと思います。話の内容はほとんど覚えていません。

それでもBのことを今でも覚えているのには理由があります。Bは私より先に入院していたので、退院も私の先にする予定でした。

そして退院が近くなった時にBにお見舞いが来ました。Bの奥さんが子供を連れてやって来たのです。子供はまだ1歳ぐらいでした。

私は話には聞いていたと思うのですが、実際に自分の家族を持っていることを目にしてショックを受けました。

その時私は28歳ぐらいだったので結婚していてもおかしくない年齢でした。しかし私には恋人がいませんでした。それどころか仕事を辞めてしまい、今後働ける自信もありません。

Bへの嫉妬

私は院内で話をしているうちにBを仲間だと思っていたのですが、家庭を持っているということで、違う世界に住んでいる「普通」の人だと感じました。

自分で作った家族という存在を目の当たりにして私は落ち込みました。そして幸せそうなBに対して嫉妬してしまったのです。私にもパートナーがいればこんなことにはなっていないと思いました。

それにその奥さんはとてもかわいらしい人でした。あんなかわいらしい奥さんがいるならがんばれると思いました。さらに子供がいます。

幸せな家庭を持っていることがうらやましくて仕方なかったのです。それからBとはあまりしゃべらなくなりました。

もう仲間ではない、手の届かない存在だと思ったからです。そしてAと話すようになりました。Aは話をしている時はおかしくはなかったのです。

ちょっとした事件

ところがある日、Aはスーパーへ買い物に行って帰ってこなくなりました。看護師さんたちは大慌てでした。そして医者が走って探しに行きました。

看護師さんはタンカーを運んでいました。Aは体が大きかったので一人では運べないと思ったのでしょう。

気づくとAは病院の外でうずくまっていました。医者は大声で話しかけていました。そして3人がかりでタンカーを使って運んでいきました。

いつもは冷静な医者が取り乱していました。何の病気かはわかりませんが大変だと思いました。

そして収容されたAはしばらく開放病棟には戻って来ることができませんでした。

Aの父親

ところで病院にはAの母親も入院していました。親子で精神科に入院していたのです。

そしてタクシー運転手である父親がよくお見舞いに来ていました。Aの父親は奥さんと息子と二人が入院しているということで、着替えを運んだりして大変そうにしていました。

こういう家族もいるのだなあと胸が締め付けられるような感じがしました。

それでもAの父親はいつも明るく私に話かけてきました。よく会うので自然としゃべるようになりました。

そうしたらある時Aの父親が私にパンフレットをくれました。何かと思ってみると宗教の勧誘でした。家族が大変なときでも信仰によって救われているということでした。

私は新興宗教に対して偏見を持っていました。しかし、目の前の男性はとても苦しい環境の中でも信仰によって救われていると言うのです。

私は自分がお寺に行っていることが信仰につながっていないことを恥じました。

私は何のために寺に通っているのか。浄土真宗に救いはあるのか。私にとって救いと言えば病気が治るということではないか。それが果たして浄土真宗と関係があるのだろうか。

そういう取り留めのないことを考えました。

Bの退院

さてBが退院することになりました。退院したら給付金付きの職業訓練校に行くのだと言っていました。

私はそれを聞いてショックを受けました。退院してすぐに働くというのが現実世界なのだと思いました。私は退院してからも家でゆっくりする予定でした。

医者も退院してすぐには働かないで、体調を整えようと言っていました。

私の入院は焦りをとることが目的でもあったわけです。「普通」にしなきゃという焦り、強迫観念から抜け出すということも治療目的でした。

しかしBはすぐに職業訓練校へ行くことが決まっているのです。私はまた焦ってしまいました。他人と比べて焦ってしまったのです。

優越感

さて前の入院の時にも述べたように、病院の中では自分が一番まともだと思いたいのです。この中では自分が一番社会性を持っていると思いたいのです。

そう思わなければ苦しい入院生活はやっていけませんでした。

社会から隔絶した病院内でも自分を他人と比べることにより自己を肯定していたのです。

フーコーが指摘したように、病院という「社会」の中で権力(医者や看護師)に対して忠実であることを内面化し、一番出来る者だということを喜びとしていたのです。

言い換えれば、病院内でも優等生でいることを誇りに思っていたのです。

家族を持つということ

そしてBが退院する時に私は、「家族がいてうらやましい」と言いました。
するとBは「守るものがあるのはしんどいことだ。お前がうらやましい」と言いました。

私は驚きました。私はそれまで現実が見えていませんでした。

Bはすぐに社会に戻らなければならないのです。Bは家族のために働かなければならないのです。

一方、私はまだそれを猶予されていたのです。それにも関わらずBには家族がいて、次に行くところも決まっているという現状に対して嫉妬していたのです。

そして帰る場所と仕事が決まっているという状況を比較して、患者として自分の方がBに劣っていると思っていたのです。

凋落

それから私は調子を崩しました。それを医者に言うと「よくあることだ」と言いました。

どういうことか分からなかったので聞いてみると「他の患者が良くなると焦りが出る患者が現れるのはいつものことだ」と言いました。

ショックでした。私はこの時「普通」の患者になってしまったのです。

よく精神科に入院している「普通」の患者になってしまったのです。

もう社会には戻れないと思いました。病院では皆おかしなことを言っていましたし、おかしな行動をしています。

そんな病院で「普通」になってしまったのです。絶望しかありませんでした。

それでも障害者にはなれませんでした。ここから這い上がって「普通」に生きるのだと思っていました。

私にも守るべき家族がいればなんとかなると思っていました。高校生の時と同じようなことを妄想していたのです。

障害者差別

私は不幸になるのが恐ろしかったのです。精神障害者は不幸だと決めつけていたのです。

自分を不幸な精神障害者だということを認めることが出来なかったのです。普段は差別反対と言っていながら、精神障害者を一番差別していたのは私自身だったのです。

雁字搦め

私はあるべき自分像に縛られていたのです。そして現状の自分を決して認められないのでした。「こうあるべきだ」「こうでなければならない」ということでがんじがらめになっていたのです。

もうとっくに「普通」の人ではなかったのです。強迫行為が止まらないなんて「普通」の人ではないのです。気分の上がり下がりが激しく、何でもないときに寝込んでしまうのは「普通」ではないのです。

それにも関わらずプライドが高く、外面だけよく、「普通」に見られたいのです。

仏教(真宗)と私

仏教や浄土真宗の教えをまともに聞いていなかったのです。仏教の基本は正しくものを見ることです。色眼鏡でものを見ないと言うことです。

しかし私は自分のことを相当強い色眼鏡で見ていたのです。「あるべき自分」、「ねばならない自分」という眼鏡で自分を見ていたのです。

浄土真宗の話を聞いて気持ちが楽になるのは、そういったがんじがらめの自分を解きほぐしてくれるからでした。

しかしその時はそのロジックに気づかず、私はただありがたく思っていただけでした。教えと自分の生活が全くリンクしていなかったのです。

単に宗教の力で病気を治して「普通」になりたいと思っていたのです。浄土真宗は信心を得れば救われるという、どこか自分の生活とは遠くにある宗教だと思っていました。

浄土真宗が私たちの生活に根ざしたプラクティカルな宗教だとは思ってもみなかったのです。浄土真宗は現世利益のある宗教なのです。
それに気づくまで長い時間がかかりました。

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