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生い立ちとお寺(強迫症と双極症、前夜) 闘病記【1】

生い立ち

私は1983年11月11日に生まれました。その日はあられが降る荒れた天気だったそうです。荒れた人生になる前兆だったのかもしれません。

私は幼少期の記憶というものがほとんどありません。私には3つ年上の姉がいるのですが、姉は1歳の時の記憶があると言いますし、また3歳の出来事を今でも克明に覚えています。幼い時の記憶がたくさんあるのをうらやましく思いますが、姉は幼い頃の記憶がありすぎて苦しんでいるので、そう簡単な話ではないようです。それでは私の少ない記憶から簡単に生い立ちを振り返ってみたいと思います。

母親との思い出

幼い頃というとまず思い出されるのが母親との記憶です。幼い頃の私は、とにかく甘えん坊で母親にくっついていました。お恥ずかしい話ですが、乳離れができず3歳まで母親のおっぱいを吸っていました。そのことを咎められたということを今でも覚えています。
当然その頃には母乳は出ていません。私は授乳という目的ではなく、母親のおっぱいを吸うという、赤ん坊がする行為がやめられなかったのでした。

フロイトの精神分析

心理学者のフロイトによれば、「乳離れが遅く、刺激を多く受けた場合にタバコやアルコール摂取の意欲の増加、爪を噛む行為などの症状がでる可能性がある」ということです。ここに挙げられている問題は現在のところ私には起こっていませんが、フロイトならば強迫症の兆しをこの乳離れの異常な遅さから読み取るかもしれません。

授乳以外の目的で母親のおっぱいを吸わずにはいられないというのはどこか強迫めいており、病的な感じがします。
またそこには強いこだわりも感じられます。私は以前、とある精神科で発達障害という診断を受けたことがあるのですが、そこでは幼児期の乳離れの遅さは非常に重要なトピックとされました。発達障害については順を追って触れていきます。

ところで最近ではフロイトの心理学はあまり流行らないものとなり、フロイトが開始した精神分析は現代医学ではほとんどその手法は使われていないようですが、個人的には強迫症を考える上でフロイトの研究は現代でも大きな意味があると思っています。

保育園

次に思い出すのは保育園でのことです。私は初めて保育園に行くときに、母親ではなくて祖父に送ってもらいました。それも自分の意志で決めたのです。あんなに乳離れできなかった私がどうしたというのでしょう?理由は「母親に送ってもらうと悲しくて別れられないから」というものでした。
今思うと我ながらしっかりした子供だなあと思います。反面、先のことを読んで備えるという子供らしからぬ心理も見て取られます。

保育園時代は、体は小さかったのですが活発な子供であったようです。お遊戯も好きでしたし、物覚えもよくちょっとした勉強も好きでした。先生からもよく褒められていました。いわゆるお利口さんだったようです。
そんな問題のない子供に見えた私でしたが、保育園の先生は違う面にも気づいていたようです。大人になってから母親に聞いたのですが、保育園の先生に私は「次何するんや?次何するんや?」といつも聞くので、私のことをとても心配性な子供だと感じていたそうです。
心配性というと「小さい子にみられる性格だ」ということで簡単に考えるかもしれませんが、私のその後の人生を考える上では重要なポイントになると思います。

心配性

今考えると幼少期からとにかく何事も心配でした。先々に対する心配をいつもしていました。例えば、家の鍵が閉まっているかを何回も確認し、イベントの前日は極度の緊張に陥っていました。心配性というのは生まれ持ったものか、幼児期に形成されたものかは分かりませんが、その後強迫症へとつながっていく性質がこの時点からあったと言えるでしょう。

HSP気質

また最近になってHSPという概念が登場していますが、私はまさに自分がそれだと感じています。子供の頃、例えば法事などがある際に料理屋に親戚で集まるのですが、そうすると毎回下痢になってしまうのです。またレストランや映画館等の人混みに行くとすごく疲れてしまいました。また音や匂いに異常に敏感です。
今でもHSPのチェックをすると該当することが多いです。HSPについては詳しく学んだわけではないということと、あくまでも気質であり病気ではないという観点からあまり触れないでおこうと思います。

お寺での思い出1

さて幼少期に覚えていることと言えばお寺での体験です。私は現在僧侶をしていますが、家はお寺ではなく在家です。そこで毎年正月に家族で近所のお寺に初詣に行っていました。
そのお寺では正月だけ「地獄極楽絵図」が飾ってありました。それは祖父母の解説によると、いいことをしたものは極楽に行き、悪いことをすると地獄に落ちるということを示すものでした。そして地獄に落ちないように普段からよいことをしようという趣旨の解説だったと思います。それは典型的な勧善懲悪のお話でした。

今になって思うのですが祖父母が解説したような勧善懲悪を表す「地獄極楽絵図」は、浄土真宗の教えにはそぐわないのではないのかと思います。極楽は極楽浄土のことであり、いわゆる浄土思想を体現したものと言えるかもしれませんが、浄土真宗の教えでは地獄というのはあまり言いません。
浄土真宗の大切にしているお経、「浄土三部経」には極楽の記述がありますが、地獄についての記述はありません。地獄は源信僧都の「往生要集」に描かれている世界を表したものだと思いますが、死んだら地獄に落ちるという考え方は、一切の衆生が浄土に生まれるという浄土真宗の教えにはそぐわないと思われます。

また親鸞聖人は「歎異抄」で「地獄は一定すみかぞかし」と述べているように、地獄とは私の住処だと表されています。親鸞聖人にとっては今生きている世界が地獄であると表明されています。そういった解釈から「地獄極楽絵図」は人間の心の有り様を示しているという捉え方もあるようですが、祖父母はそんな解説は全くしてくれませんでしたし、今でも「地獄極楽絵図」の前では子供に対して勧善懲悪のストーリーが語られていると思います。

話は脱線してしまいましたが、私は「地獄極楽絵図」を見て衝撃を受けました。極楽の絵図は問題なく見られるのですが、地獄の絵図は私の心をひどく捉えました。灼熱地獄、叫喚地獄などそれはそれは恐ろしいものでした。地獄に落ちた人間が火に焼かれながらも逃げ惑うという姿に恐怖を覚えました。
地獄にいる人たちの苦しみが幼い私にリアリティーをもって迫ってきました。悪いことをするとこんなにもひどい目に遭って苦しまなければならない。絶対に地獄には行きたくないと思いました。

ここまでは普通の感想だと思いますが、心配性の私はそれだけでは済まなかったのです。考えすぎだとは思いますが、どこかに絵図の通りに地獄は存在するものであり、悪いことをするとそこに連れていかれるという考えがお寺にいる間に何度も肉薄してきたのです。
そして地獄に行かないためには悪いことはやめ、よいことをしなければならないという観念が生まれてきてしまいました。
さらに観念は展開して、よいことをしなければ地獄に落ちるという観念になっていきました。「~しなければ、~になる」という観念は極めて強迫的であります。そのときには全く想像もしていませんでしたが、ここに強迫症の萌芽が見いだされると思います。

それはともかく「地獄極楽絵図」は私に大きな衝撃を与えました。私のように恐怖を植え付けられた方が他にもいらっしゃるようで、最近では「地獄極楽絵図」は子供には見せないようにするお寺もあるようですが、私は賛成です。

お寺での思い出2

さてお寺での恐怖体験はこれだけではありませんでした。私は石川県に住んでいたのですが、お隣の福井県に吉崎という町があります。吉崎は浄土真宗中興の祖・蓮如上人が北陸での布教の中心拠点に選んだ場所で、現在でも付近一帯は「蓮如の里」と呼称されており、全国からの参拝者が絶えない場所です。家から近いこともありお正月にお参りに行きました。
そこで展示されていたのが「肉付きの面」というものでした。それがまた恐ろしい般若のお面なのです。おばあさんがつけた般若のお面が顔から外れなくなった様子を表すというものです。それを見て幼い私は震え上がってしまいました。立体的でもあり平面のお面とはちょっと異なるのです。

さて「肉付きの面」はなぜお寺に展示されていたのでしょうか。その由来には諸説あるようですが一例を挙げてみます。ある村で夫が急死し、子どもも流行病で死んだ嫁がいました。残った家族は姑だけです。悲しみに沈む嫁は浄土真宗に助けを求め、蓮如上人がいる吉崎に通いました。そんな嫁の行動を疎ましく思った姑は、「やめさせたい」と考えました。そこである時、面をつけて鬼の格好をし、谷間で嫁を待ち伏せして脅しました。しかし、嫁は蓮如上人から教えられた念仏で心を静め、動じませんでした。ところが今度は、姑の顔から面が外れなくなってしまった。七転八倒して助けを乞う姑に、嫁は蓮如上人から聞いた教えを説きます。改心した姑が南無阿弥陀仏と称えると、面はぽろりと顔から外れたというものです。

「南無阿弥陀仏を称えると救われる」という浄土真宗の教えを体現した民話であると考えられます。しかし、その教えを伝える物として恐ろしいお面を展示しなくてもいいのではないかと思います。私みたいな繊細な子供にはちょっと刺激が強すぎます。

さて私の少ない幼少期の記憶から二つの寺での恐怖体験を取り上げました。寺での展示物は繊細な私にとって衝撃を与える物であり、怖がりの私をひどく心配にさせました。そのため恐ろしい体験をした寺に対して悪いイメージを持ったことは間違いありません。この時点では将来僧侶になるとは微塵も考えていませんでした。そして毎年の初詣が苦痛になりました。

ところで先にも触れましたが、ここで注意しておきたいことがあります。それは「地獄極楽絵図」にしろ「肉付きの面」にしろ、浄土真宗の教えの本質ではないということです。「地獄極楽絵図」は勧善懲悪の物語で、いたって道徳的なものです。また「肉付きの面」では悪いばあさんが心を改めて、念仏したら御利益があったという筋書きです。この二つの話は浄土真宗の教えを広く知ってもらうために先人が作られたものだと思いますし、子供にも分かりやすく親しみやすいものです。

しかし、少し浄土真宗を学んだ者はこれらのお話は親鸞聖人の教えとは異なるものだと感じると思います。親鸞聖人は勧善懲悪や御利益といったことは言いません。確かに浄土真宗の教えとは端的に言えば「念仏しましょう」という単純なものです。
しかし「念仏しましょう」という教えの背景には緻密なストーリーがあるのです。そのストーリーとは現代の私たちが持つ道徳観念とは異なるものであり、我々が持っている常識が全く通じなくなるドラスティックな言葉で表されています。
今までもっていた人間観、人生観が瓦解するようなフレーズがたくさん出てきます。順を追って書いていきますが、私は浄土真宗の教えを学んで頭を殴られるような衝撃を受けました。そして親鸞聖人の言葉に触れて世の中の見え方が変わりました。浄土真宗とは現代においても非常にラディカルな宗教だと考えています。

子供の頃から親鸞聖人の教えに触れていたら浄土真宗、ひいては宗教に対するイメージは全く異なっていたと思います。そんな親鸞聖人の教えを子供にも触れさせることはできないでしょうか?わからなくてもいい。触れるだけでいいのです。それが大人になってから生きていく上での財産になると思います。
さて私の幼少期の話から脱線してしまいましたが、お寺の思い出から考えたことを述べてみました。結論としては、私は幼い頃から心配性で強迫症の萌芽を持っていたということです。

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