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90年代横浜_音楽漬けで高校時代を過ごした話 vol.02 _ アメリカホームステイ篇

90年代に高校時代を音楽とともに過ごした40才前後のみんなと、あの時代を思い出し〜。今回はいきなりアメリカへひとっ飛び。

※TOP画像はTVK(神奈川テレビ)で音楽好きの誰もがお世話になったであろうミュートマジャパンのオープニング画面を拝借。本編とはほぼ関係ない。

さて、

17歳の夏、自分的音楽聖地アメリカにホームステイ。

この設定だけで小説書けそう。。。vol.01ではNIRVANAにぶっ飛んだわけですがvol.02では、同じ曲でも違う場所で聴くと感じ方が違うよね、って話です。

vol.03は、1997年「第一回フジロックフェス」に行って大雨に打たれて震えた話をしようかな。。。

Tシャツと薄手のジャンパーと5000円を持って会場へ突入。大雨の中、水でふやかした冷たいシーフードヌードルを食べながら、客からもうもうと水蒸気が出る中、震えながらマドカプレイジレッチリを見たノンフィクション巨編。

あと1997年のAIR JAMとか

後半、ちょっとノスタルジックな話なんで気持ち悪いなーと思ったらすぐ閉じちゃってください笑 誰得?って感じだが。

では、、、

うちの高校では2年生の夏休みになるとアメリカのボルチモアにホームステイができたんです。1ヶ月ちょいくらいだったかな。もちろん行きたい人だけね。

で、私は当時からルート66とかブルースとかにかぶれ始めていたので、二つ返事でアメリカ行きを親に伝えました。(アメリカ西部時代のアパラチア山脈の暮らしとアイリッシュ音楽の関係も書きたいな)

横浜そごうの裏にYCATっていう成田空港行きのバスが止まるターミナルがあって(いまもあるのかな?)、そこからアメリカ行き。

そういえばまた脱線するけど横浜そごうの2階にはTVK(テレビ神奈川)の視聴者観覧スペースがあるスタジオがあって誰もが見られたんです。そこで伊藤政則のROCK CITYとか、LOW IQ 01のパンク番組を友達と見に行っていたな。生OZZYも生ハイスタも2m圏内!! (これも書きたい、ミュートマジャパンとか)

とまあ、そんな横浜そごうの裏から成田空港へ。まずはニューヨークへ旅立ったわけです。アメリカン航空のごつめのスチュワーデスさんの「 BEFF or CHIKEN」 におずおず答えながら14時間。旧JFK空港に到着。最高にかっこよかった空港なのを覚えてる。第5ターミナルですね。60年代の設計とは思えない。(建築の話もしたいな。日本初の高層マンションとか、日本住居の変遷とか。。誰も読みたくねーか。。。)

マディソンスクエアガーデン前のホテルに泊まり(その日はKISSのライブがやってた!! そしてホテルではネズミが出た!)、

憧れのタイムズスクエアのHMVに行こうとするもホテル裏口でそっこーで紙袋もったヤバ目の方に「オマエラ!ソノニモツ ゼンブオイテケ!」みたいなこと言われて半泣きで逃げ込んだり、

ホテル内の売店で日本に売ってないホワイトのSONY SPORTSのラジカセ買ったら店の兄ちゃんに本場のポルノをもらったり、フットロッカー(懐かしー!)でNIKE ACGのシューズ買ったり(いまもフジロック行く時に履いてる)、メトロポリタン美術館行ってツタンカーメン見たり、生まれて初めてプレッツェル食ったり、ボストンでSTAND BY MEみたいに線路歩いたりして、観光は終了。

そして、ついにボルチモアのホームステイ先へ。 ドキドキ・・・

バスの中で聞いた“IN BLOOM”。一瞬であの景色が蘇る。

さてやっと本題。(いつまででも書いてられるな、これ)

ホームステイ中、平日の午前中はElementary Schoolでお勉強、午後はアクティビティというスケジュール。アクティビティは山と湖を持ってる豪邸に遊びに行ったり、山でマウンテンバイク乗ったり、メジャーリーグを見に行ったりしたのだが、その時3台のでかいバスに分かれて乗っていく。そう思うと100人近く居たんだな。

まあスカした高校生だったんで、座席に座ったらソッコーでバンドステッカーをべたべた貼ったCDウォークマン(ポータブルでCDが聴けるやつね)にお気に入りのNEVER MINDをぶちこんで、ボリューム全開で鼓膜を痛めつけながら、グランジを聴くわけです。

1曲目は皆さんご存知の“Smells like teen spirit”。一応貼りますね。

高1ボーイでとんでもない衝撃を受けたわけですから、何度聞いてもアガるわけです。そしてノリノリのまま2曲目“IN BLOOM”へ。横浜で聞いてる時は、なんか遅くてだりーなーってかんじで、4曲目のパンクっぽい“BREED”聞きてーなー、曲飛ばすかって感じだったのね。

ビルで埋まった狭い空と混み混みの横浜西口、受験前の焦り、チーマー(怖い不良のことです)に追いかけまくられる毎日。とにかく早くて、重くてディストーションの聴いた音が聞きたかった感じね。遅い曲はあんまり聴いてられなかった。

でもあの時はなんかノスタルジックな気分だったのか、曲を飛ばさずにそのまま聞いていてですね。モールなんかがあって、ちょっと寂れた郊外のボルチモアの街中を走ってる風景と曲とがリンクしたんです。

たぶんだけど、横浜にいるときにRockin' onを読みながらカートの住んでたワシントン州のアバディーンはこんな感じだったのかなーとか妄想してて(今みたいにネットでポンと出てこないからね)、

いつもの現実から遠く離れた街で、全く違う次元の時間の流れのなか、妄想と目の前に広がるイメージとぴったりと一致したんだと思うんです。重くて灰色で、やるせない、どうしようもないアメリカの一面。

、、、、って、ナルシスト気味に浸っていたら、もうこの曲の虜に。

第2次開眼をしまして、ホームステイ中NEVER MINDを1曲目から隠しトラックのNOISEまで、通しで聴くことになりました。

そういえば、ホームステイ先の家の1階リビングにステレオがあって、そこでCDかけて聴いていいからねーってお母さんに言われてたから、家に帰ってソッコーでNEVER MINDのCDを、5歳の女の子(すごく懐いてくれてた)と爆音で聴いてたら、

お母さんが真っ赤な顔して2階からすごい勢いで降りてきて「オサム コレは絶対家で聴いちゃダメ!」って怒られましたね。そりゃそうだ。

だって5歳の女の子が“Load up on guns ♪ ”って歌ってんだもん笑

とまあ、そんなこんなで

もうあのイントロを聞くだけで40歳のおじさんの脳みそは、17歳の夏にBack toしちゃうわけです。バスの中のスカした自分と寂れたアメリカの風景が蘇るわけです。その時のフワッと体と脳みそが浮く感じ(わかります?私だけかな?笑)。

なんか不思議ですよね。

聴く場所が変わるだけで、曲のイメージがガラッと変わって、時間が経っても大切な曲になるという。退屈な曲が一転、なくてはならない一曲になる。いつ聴いても昨日のことみたいに繋がってる感じ。

音楽が今でも大好きなのは、そんなことをいつもどこかで期待してるからかも。

GRATEFUL DEADも、PRINCEも、JBも、FUNKADELICもぜーんぶそうだった。最初はわけわかんねーとか思ってたけど、いまや血肉。

そういえば話変わるけど、匂いもそうですよね。あの香水を嗅ぐだけで、あの先生の。。。みたいな笑 脳みその記憶野と匂いを感知する部分が近いからとか聞いたことあるけど。

まあ何が言いたいかと言いますと、

自分のやってるバンドの曲や、作ってる広告が誰かにそんな思いをさせられたら幸せだなー、制作者冥利に尽きるなー、、、、とかロマンティックなことを考えながら終わろうと思います。

次回は、予告通り1997年「第一回フジロックフェス」に行って大雨に打たれて震えた話かな。その過酷さは、友達と今でも語り草。

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