愚癡
アニメ関連のエッセイをまとめました。
絵を商品として売るとき、トレースをすると著作権の侵害に当たる場合があります。そのため、トレパクは悪とたびたび炎上しておりますね。 しかし、絵の学習において、トレースというものが絶対悪かというと、そうではないと思います。学習において、及び、その制作者の能力状況において、トレースは有効である場合がある。 どういったところに有用性があるのか? 例えば、「線画をトレースする」「線画にトレースする」=下絵をなぞる行為で、見ただけでは気付けない線に気づくことができるところです。簡単
親類がそこにいる。発生当初から、心配していたが、1週間もすぎると色々と思うところも出てきた。 1.遠くの親類より、近くの他人 2.報道のコンテンツ化 端的に言えば、上記2つだ。 結局、遠くにいる親類は何もすることはなく、心配するだけ時間の無駄だ。募金をしたら綺麗さっぱり忘れて、普段の生活をしたほうが良い。一応、クリエイターの端くれゆえに、その時感じたことをのちのち表現する可能性もあるため、私自身はそれを感じて100%無駄ではない。しかし、その場にいる人達が感じるものと、
投資は、儲かることもあれば、損することもある。そしてなーーんにも変化しないことも。 ●前置き 自分の子供は、幼児教室の学校に通っている。上の子も、下の子も、くもんと+アルファ。それから音楽関係。工作関係(は上の子のみ)。幼児教室以外のいわゆる習い事は、本人たちが行きたいから行っているので、音楽関係も工作も、本人たちにとっては遊びの延長である。 対して幼児教室は、図形、日本語、計算などとまぁ、本人たちの脳に負荷を与えるような訓練だ。そこで行われる授業の中には、楽しんででき
前回の投稿で、グレーゾーンの子供の子育てが大変だという話をちらっとした。 振り返ってみれば、車掌さんの問題以上に、子供の問題のほうがめいいっぱい大きくて、結局、子供をなんとかしたいというところのフラストレーションが溜まっているのではないかと思う。 つまり、「怒られる可能性のあることをしている」と「誤解されることをしている」ことを止めたいが、止められないというややこしい状況で、実際に車掌が誤解して怒ってきて、「あーあー、いわんこっちゃない」というげんなりした気持ちや、予想通り
別に特別なことではないのだろうけど)という前置き) 電車の車掌・運転手になるためには、メンタル・性格等に欠陥がないことがテストされるそうだ確かに、ほとんどの場合まともな運転手・車掌ばかりだが時々ハズレがいる。人間をハズレと称するのは品がない。しかし、品性が悪い車掌に当たったときはつらいものがある。 しかし、相手も人間だし、まぁ、誤解もあるのだろう。 子供がカメラを回していたら、自分が撮影されていると勘違いして、怒鳴りつけることもあるのかもしれない。しかし、誰もお前なんか
Xの記事で、日本人は旅行で連泊をしないから遊び方を知らない、と話している人がいた(リンクは面倒なので貼らないが、旅行 遊び方を知らない 日本人 と検索すれば出てくるのではないだろうか?)。 真っ向から反論すると、遊び方は人それぞれではないだろうか? 連泊をする遊び方(そもそも、それは遊び方ではなく、休暇の過ごし方ではないか? というツッコミ)も、連泊せずに、色んなところを転々とチェックイン・チェックアウトを繰り返して移動することも、どっちも本人たちにとっては有意義である。ど
ゴジラ-1.0(以下、ゴジマイ1)が絶賛されているが、私は合わなかった。はっきり言って駄作。凡作の下であると感じた。 というわけで、下記は、一般社会の感性とズレている人間の感想という前提と認識していただけるとありがたい。 まず第一に、ゴジマイ1は設定が奥深いという話であるが、そういう問題ではなく、表面的なレベルでつまらないと感じてしまっている。そもそもつまんないのだ! 裏にどんな設定があろうがなかろうが、そもそもつまんないと感じている。例えば、すごく希少価値の高い食材を使っ
ある高貴な方の結婚相手の話 ダメンズに騙されるのは親の育て方の問題か? ある高貴な方の結婚相手があまりにもダメンズ過ぎて、炎上しておりますね。誰と言うまでもなく、ご察しいただけると思います。 それ関連のニュースが一日に何本も掲載される中、コメントに、親の子育て方針が「自由」を重んじるから駄目だというものがありましたが、本当にそうでしょうか? 最初(数年前)は、このニュースを見たとき、親の教育方針が影響している可能性もあるなと感じました。自由と言う言葉には多くの意味
ぽかーん、としてます。 展開の謎さ加減 本当に、ぽかーんなのです。何が、ぽかーんなのか? アメリカに渡って、ダウンタウンでアメフトをすることになったセナ。その試合で勝利し、相手チームの選手の奥さんがお産になり、産婦人科医を連れてくることになりました。 (ここまでは、全然問題ないですね) 工事で車を利用するより走るほうが早いと言う話になり、セナがお前が一番足が速い、と皆の希望を胸に走り出すわけですが、信号待ちでなかなか進めません。 そこでセナは、なぜか超高層ビル
定義の話で、「親ガチャが悪い」「子ガチャがどうの」と中身についていうことはしません。 存在する順番 ガチャとは何でしょう? お金を払って、レバーを回すとおもちゃが出てくる仕組みですね。ソーシャルゲームでは、お金を払うと、特定の確率でキャラクターが出てくる仕組みを指します。 つまり、ガチャをする場合、する人とされるものに分けることができます。これを親ガチャ、子ガチャに当てはめてみましょう。 親ガチャの場合、子供が引いて、親を当てることになります。 対して子ガチャは、
45歳定年を提唱したサントリーの社長が叩かれていましたね。人材の流動性を高めて、イノベーションを起こすということについては同意できますが、いささか、現時点では同意できないところが多々あります。 45歳定年を取り入れて、誰が得か? 現時点では、経営者・雇用者側しかメリットはないでしょう。賃金が高くなってしまった人材を切ることで、社員への支払いを減らす。これに尽きます。残念ながら・・・。 社内の流動性の問題ーー組織が固定化されてイノベーションが生まれないためーーの解決方法
情緒的なシーンが面倒だな思ってしまう今日この頃…。涼宮ハルヒの消失を視聴し終えました。さて、深い考察はありません。ファーストインプレッションを述べていくだけです。 オタクやな~キョンは! TV版のころからわかっていたことですが、消失でウザさが爆発しております。あくまで偏見ありきのオタク像ですから、実際のオタクは違うのかもしれませんが、キョンのセリフ(独白)のほとんど映画的には不要な内容です。キャラ性、ハルヒと言う作品では必要ですけどねw キョンの独白は聞いていてツライ
涼宮ハルヒの憂鬱の2009年版アニメを視聴し終えましたが、なんともよくわからない作品でした。この結末は一体どこにあるのか? そのような疑問が残る作品です。 日常アニメ おそらく、本作は日常アニメなのだろう。狭義の意味での日常アニメではない。涼宮ハルヒとキョンのやり取りを見せる上での、日常だ。涼宮ハルヒが地球の中心であるとか、宇宙人や未来人、超能力者が登場するのは些末なことなのだ。 中2によくある自分自身を万能と感じたり、友達を(例えば)超能力者だと思うときがあるだろう
2005年頃の渋谷、新宿を歩いたことありますけど、こんな特攻服を着たヤンキーはいませんでした。自分が見てないからといって、「いない」ことにはなりませんね。 特攻服は古臭いが、お話は面白い 端的に言えば、王道少年マンガのセオリーを踏まえて、ヤンキーモノに仕上げています。どの年代の子らがハマるのかわかりませんが、オジサン世代には馴染み深さもあって既刊を大人買いするほどハマると思います。 ヤンキー漫画は、かの有名な(?)カメレオンは全巻読みました。あとBAD BOYSも全巻
先日から、涼宮ハルヒの憂鬱(2009年版アニメ)を見ています。小説は2007年頃に読んでいたのかな。アニメは始めてみました。 エンドレスエイト もともと、そういう話があることは知っていました。8月の後半が延々と続いて行く話。小説で読んでいましたが、オチは忘れていました。そのため、謎解きも兼ねて、ループの3話目で「ああ、宿題だ」と気づいたところまでは、割と楽しませてもらいました。しかし、4回目からは苦痛の始まりです。 自分の中で答えは出てしまったのです。あとは登場人物た
「没イチ」と言う漫画のプロモーションが流れて、1話だけ読んだが、あまりにも不快極まりない内容だった。どこまで意図しているかわからないが、人の死を、あざ笑う言葉に嫌悪した。 配偶者を亡くした人に投げかける言葉か? その漫画は、45歳のサラリーマンの男性Aが、39歳の妻を突然なくしたところから始まる。そして、男性Aが半年間うだうだ過ごしているからと、彼の友人が婚活パーティに内緒で連れていった。そこでもうだつのあがらないことをやっているため、友人が男性Aに対して、「お前このまま没