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下品で心無い言葉「没イチ」

「没イチ」と言う漫画のプロモーションが流れて、1話だけ読んだが、あまりにも不快極まりない内容だった。どこまで意図しているかわからないが、人の死を、あざ笑う言葉に嫌悪した

配偶者を亡くした人に投げかける言葉か?

 その漫画は、45歳のサラリーマンの男性Aが、39歳の妻を突然なくしたところから始まる。そして、男性Aが半年間うだうだ過ごしているからと、彼の友人が婚活パーティに内緒で連れていった。そこでもうだつのあがらないことをやっているため、友人が男性Aに対して、「お前このまま没イチでいいのか」みたいなことを言うわけですが・・・。

 まず主人公の男性Aは、友人関係を見直したほうが良いでしょう。愛情を持って結婚し、そして長年連れ添った配偶者がなくなりました。それも、急死です。朝起きていたら死んでいた。お互いが憎しみ合っていて、離婚間際なら配偶者が死んでも、何も感じないかもしれません。しかし、普通に生活していて家族がなくなったわけです。悲しみが癒える時間というものは、半年で十分でしょうか?

 そして、その悲しみがなくなったかどうかは、他者が決めてよいわけではありません。当たり前ですね。他人の気持ちなんて、数値化して見れるわけではありません。何を考えているかわからないのが、他人です。

 まず、悲しみが癒えているかどうかもわかっていない人間に対して「このままひとりで生きてくのか?」と聞くのは、鬼畜道一直線ですね。鬼です。人の心を持っていない悪魔と言って良いでしょう。人間の気持ちがわからない動物以下のゴミと定義して良いかもしれません(言い過ぎ)。

 そして、「没イチ」。

 その友人(というか作者)は、バツイチにかけて、うまいこといっていると思っているのでしょうか?

 没とは、決して良い意味の言葉ではありません。死ぬこと、死をそのまま表しています。

寡夫・寡婦の寡とは?

 配偶者に先立たれた夫、妻のことを指す日本語は「寡夫・寡婦」です。その寡の意味は、

手元の広辞苑では「ひとりもの。やもめ」。コトバンクでは単体では「さすりびと(さすらう人、身を寄せるところのない人)」。寡夫・寡婦のでは「(少ない。古代中国で王侯が謙遜して言う自称。独り者。配偶者のない人。夫に死なれた女)」

 と、死を表す言葉ではありません。結婚もしていない独り者の意味も備えていることからわかるとおり、配偶者を亡くした人物に対する配慮が見られます。決して、他者の定義で、本人を傷つけるようなことはありません。

 対して、没イチは「死んで1人」「死なれて1人」・・・・・・。

 もし自分が結婚していて、長年連れ添った配偶者を亡くしたとしましょう。その時、半年後に、「没イチ(意味:死なれて1人)」なんて言われたら、どう聞こえるでしょう?
 私は、直感的に、配偶者の死を含めてあざ笑っているように聞こえました。決して、配慮された言葉ではありませんし、慰めようという言葉でもありません。

 バツイチと、没イチは相容れる部分と、相容れられない部分があります。別れた理由が愛し合っていたか、憎んでいたか。バツイチは、基本的には結婚生活が立ち行かなくなって、離れていくもので、たしかに悲しみはあるものの、離れようと自分で決意して行ったことですから、乗り越えることは不可能ではありません。

 しかし、最上級に愛し合っていた人物同士が、死に別れたとしたら?

 その悲しみは、もしかしたら乗り越えられる事はできずに、生涯1人で生きていく選択肢を取るかもしれません。つまり、没イチの状態は、非常に多種多様で、安易に定義づけられるようなものではないということです。

廃れろ没イチ!

 没イチという言葉は、廃れなければいけない言葉です。商品を売っている漫画家さんや出版社の方には申し訳ありませんが、前述したとおり、人によっては不快に感じる言葉です。社会問題として、長寿化の影響で、その状態に陥る可能性が多くなってきているとはいえ、安直な言葉で人の死を、人の悲しみを、人の状態を、定義づけるのはやめたほうが良いでしょう・・・。

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