【涼宮ハルヒの憂鬱】エンドレスエイトに屈服…。見ないという選択

 先日から、涼宮ハルヒの憂鬱(2009年版アニメ)を見ています。小説は2007年頃に読んでいたのかな。アニメは始めてみました。

エンドレスエイト

 もともと、そういう話があることは知っていました。8月の後半が延々と続いて行く話。小説で読んでいましたが、オチは忘れていました。そのため、謎解きも兼ねて、ループの3話目で「ああ、宿題だ」と気づいたところまでは、割と楽しませてもらいました。しかし、4回目からは苦痛の始まりです。

 自分の中で答えは出てしまったのです。あとは登場人物たちが、その答えを気づくかどうかというところ。4話目のループでは気づかず、5話目のループでも気づかないため、視聴していて、じれったくなってきました。なにせ、同じ話を5回も見ているのですからね…。

 1話目は、フラストレーションなしで見れます。2話目のループは、ここで答えが出るのかな、と期待感があり特に問題なく視聴できます。3話目のループでは、流石に飽きてきています。ここで物語は解決するのだろうと予測しているわけですが、なんとここでも解決されないのです。その後は、いつ終わるのかという期待と失望の繰り返し。

 5回目のループが終了した時点で、さて、これをあと何話見なければいけないのかとググってみると、なんとまだ3回も残っているではありませんか!

断念~6話、7話を飛ばす

 dアニメで視聴しているため、2倍速でループの1~5話まで見ました。それぞれOP、エンディングを飛ばしているため10分程度×5=50分で、済んでいます。しかし、これを普通の速度で視聴していたら、大変苦痛でしょうね。およそ2時間同じものを見させられているのです。過酷です。

 ググって8話まで画面が少し違うだけで、中身は同じと調べは付きましたので、それ以上の視聴は断念しました。こんなことは初めてです!(笑)2倍速で冗長的な部分は飛ばされているのにも関わらず、苦痛から逃れられることができなかったのです(笑)

 実際8話分見ていたとしたら、2倍速でも80分。リアルタイムだと160分(オープニング、エンディグを飛ばさなければ3時間超えでしょう)。画面が多少違うとはいえ、全く同じ内容を見なければならないのは苦痛以外の何物でもありませんね。

 もし毎週これを見る羽目になっていたら、当然炎上することでしょう。

長門の気持ち

 なんでこんな演出をしたのか理解に苦しむところがあります。エンドレスエイトまではとても小気味よくストーリーが展開していました。ここの冗長性がなければ、より名作になっていたことでしょう(多分)。

 この8話の視聴で、視聴者は何を得るのでしょう。同じものを見ている苦痛。同じもののようで微妙に差異が出ている面白み。おそらくは、この2つを得ることができます。そして、この2つはすべて長門につながってくるのです。

 1万5000回以上同じループを体験し、そのすべての記憶を保持している長門は、視聴者以上の苦痛(と言う感情を持っているなら)を受けるでしょう。そして、同じループを経験しなければならない苦痛を和らげるため、微妙な変化をつけることで、面白みを出そうとします。盆踊りで、毎回売られているお面が違い、それを購入して頭につけるのは、同じ経験の中でも違うものを取り入れることで面白みを得ようということなのだと思います(誇大解釈)。

 このエンドレスエイトで、視聴者は長門の気持ちを無意識に汲み取ることができます。長門が、涼宮ハルヒの憂鬱という作品で特別な存在であることから分かる通り、エンドレスエイトの演出で、視聴者に感情移入させるための罠を張っていると捉えて良いでしょう(誇大解釈)。

 エンドレスエイトの演出は、どうかしていると思いますが、1万回以上それを見せられた長門に比べれば、許容できるものでもありますね。

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