怒り疲れ・・・

前回の投稿で、グレーゾーンの子供の子育てが大変だという話をちらっとした。
振り返ってみれば、車掌さんの問題以上に、子供の問題のほうがめいいっぱい大きくて、結局、子供をなんとかしたいというところのフラストレーションが溜まっているのではないかと思う。

つまり、「怒られる可能性のあることをしている」と「誤解されることをしている」ことを止めたいが、止められないというややこしい状況で、実際に車掌が誤解して怒ってきて、「あーあー、いわんこっちゃない」というげんなりした気持ちや、予想通りの気持ち、と同時に、「クソ車掌、てめぇ何も確認しないで怒鳴って子供萎縮してるじゃねぇか!」という保護者の微妙な気持ちがあり、端的に板挟み状態なのだ。

叱らない教育などというもののせいで、実際に怒られない子供が増え、傍若無人・我慢できない子供が増えているという記事を見たことがあるが、多少は叱ることも大事なのではないか?

叱らない教育や、叱ることは虐待ですみたいな風潮のせいで、車掌が(怒鳴ったのはさておき)叱るのは正しいと実際心のなかでは思うところがあっても、子供が萎縮して、ショックを受けている(電車好き・車掌好きだったからなおさらな!)状況を見ると、反発する気持ちが出てしまうのだ。
せめて、「車掌、よく言ってくれた!」とグッジョブしてやれたら良いのだが・・・。

というように、いくつかのジレンマがあるわけだ。
そして、グレーであるがゆえに、要所要所で抑制が効かなくなり、問題行動を起こしてしまうわけで・・・。そしてその度に静止→怒髪天を繰り返す。優しく止めて、理由はこうこうこういうことだ・・・、と話している段階で止めてくれれば良いんだが、そうじゃないから困っている。理由を説明すれば、子供はわかってくれる? ちゃんちゃらおかしいんだよ! てめーらグレー育てたことあんのか!? というふうに、キレ散らかしたくなる。実際に、グレーとグレーじゃない子の両方を育ててると、グレーの育てにくさが目に見えて明らかだ。ほ ん と う に な ん な ん だ ! とブチ切れそうになることが頻発する。なんなんだろうねぇ。本当になんなんだろうか? グレーじゃない子の会話が通じる感・・・。

あー、まー、グレーを差別的に見ているというわけではない。とは言えだ。グレーという事実は事実なわけだ。実際に、怒りたくもないのにそのような状況が頻発している(私以外でも、である・・・)(はぁ・・・)。

怒り疲れて、憔悴しきっている(だから、頭の整理のためにnoteなどかいているのだが・・・)。

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