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神が消失した世界を受け入れることはできなかったのか?【涼宮ハルヒの消失】

 情緒的なシーンが面倒だな思ってしまう今日この頃…。涼宮ハルヒの消失を視聴し終えました。さて、深い考察はありません。ファーストインプレッションを述べていくだけです。

オタクやな~キョンは!

 TV版のころからわかっていたことですが、消失でウザさが爆発しております。あくまで偏見ありきのオタク像ですから、実際のオタクは違うのかもしれませんが、キョンのセリフ(独白)のほとんど映画的には不要な内容です。キャラ性、ハルヒと言う作品では必要ですけどねw

 キョンの独白は聞いていてツライものがありますね。そこまで斜に構える必要ないのではないかと思います。アニメですし、そういう作品ですから、仕方ないのですが、そのうち「ドゥフドゥフ」言いそうで…。
 つまり、独白=独り言なのです。例えば普段テレビや動画を見ていたとしましょう。動画が流れている最中、ずーっと頭の中で独り言をつぶやいている人はいますでしょうか? 例えば、ミステリー映画だとしてら、その内容を吟味するために独白しているかもしれません。ただそうは言っても、動画に見入っているときや、考えているときは独白=言語が頭の中で延々奏でられることはないでしょう。音もなっていないような集中している感覚の期間もあるはずです。
 自分の思考でさえ、そこまでうるさくないのに、他人が延々とうざい独り言を話していたら気が狂いそうです。

 しかも、行動がスマートではない。
 アニメだから仕方ないのですが、例えば、朝倉が再登場した際の取り乱し方など、やりすぎではと思ってしまいます。朝倉がキョンを殺そうとしたのは、当人同士しかわからないことです。それをクラスの人間の前で言うのは、混乱していたとしても、無い気がしますがどうでしょうか(主観)。それから、ハルヒのことを聞き回る際も、一人二人聞けばそれでおかしいことに気づくと思います。わざわざTV版でも喋ったことのない人に話しかけるのは、やりすぎのようにも感じます。
 あと、長門と再開するときの乱暴狼藉も、演出上そうしたいのかもしれませんが、これまでの展開を見てきて、やりすぎ感が否めません。つまり「TV版でも、長門と身体的接触描写がなかったのに、いきなり壁に押し付けるまでの行為に及ぶか?」ということです。

 どうもこのキョンというキャラクタは、トラブル・パニックに陥ると、視野狭窄状態になるようです。落ち着いてコミュニケーションをとることができない。
 アニメ・ラノベならではの演出であり、これがないと演出の緩急がつけにくいのかもしれませんが、視聴していてツライものがありますね。

俺の朝比奈さんですよね!?

 正確なセリフは忘れてしまいましたが、世界改変後、初めてミクルとあった際のキョンの行動もいただけない。

 気持ち悪さが、大爆発してます(苦笑)。

 キョンは、ミクルに合うまでに環境が変化していることを、認識しています。その状況で、ミクルがどんな反応を示すかわからないのに、突撃していき、手を握って「俺の朝比奈さん」「俺の朝比奈さん」「本物の朝比奈さんなら、胸のところに星型のほくろがありますよね。見せてください!」なんて気持ち悪い行動しませんよ…、普通は。

 仮に本物の朝比奈さんで、世界改変を認知していたとしても、学校の廊下で「胸を見せてください」は常軌を逸している…。面白さの演出なのでしょう。取り乱して、思わずいってしまった(画面上では、本気でいっているからタチが悪いが…)。こういうのを面白がれないのが、おとなになった証拠なんですかね(遠い目…)。

長門のバグとは?

 小説は10年以上前?に読んでいて、中身は殆どすっからかんに忘れています。今回、3日くらい掛けてTV版(2009年)の28話と、劇場版を新鮮な気持ちで視聴しました。画面をつぶさに観察して、一コマ一コマ写っているものを記憶して関連性を~、ということはしていませんので、本当に薄っぺらい感想しか無いのですが、「長門のバグって何なんでしょうね?」。本当に、長門にバグが存在していたのでしょうか?

 28話かけて長門は少しずつ変化していました。それは長門の能動的なものであり、彼女自身が選択したものでしょう。コンピュータ部へ時々行くなど、自分から選択しています。それなのに、バグって12月18日に、全くの別世界にしちゃうでしょうか?
 長門自身が徐々に変化している事実と、突然バグって18日に普通の女の子に戻りたいと願って世界を改変させること。どうもつじつまが合わないのです。もちろん「バグ」とはそういうものだと言い切ることもできます。また歴史の中で、改変されることと、改変がもとに戻されることが規定事実だという事もできます。長門が徐々に変化していることとは関係なく、歴史でそれは起こらなければならないということ。それ故に、キャラ性を度外視してもやったわけです(長門自身も、自分が世界を改変させると知っていたため、規定のプログラムを実行したとも言えますね)。

 これは長門がバグを起こしてしまったのではなく、なるべくしてなったーー規定のプログラムが走っただけのようにも感じられますね。

消失してないじゃんハルヒ

 話が変わってハルヒですが、消失しておりません。他の学校に通っているパラレルワールドになっているわけで、タイトルに偽りアリですね…w それに「涼宮ハルヒと言う存在が起こす世界が消失した」という意味だったとしても、パラレルワールドでの涼宮ハルヒも、涼宮ハルヒそのものでした。実際にSOS団を作ろうとしているため、何も変わっていません。

 ただ、神としての涼宮ハルヒと言う存在が消えたと言う意味で、消失はありますね。長門の力で、ハルヒは普通の変わった女の子になりました。神の消失と言い換えれば、タイトルに偽りはないですね。

 では神の力を持った涼宮ハルヒが消失した世界は不都合ではないのでしょうか?

 劇中で、キョンは思い悩みます。奇想天外な事柄が起こる世界が良いか、起こらない世界が良いか。登場人物たちはほとんど変わりません。通っている学校が違っていても、性格やステータスは同じ(朝倉のキチガイっぷりも健在ですねw)。例外は、長門です。恥ずかしがり屋な長門を選ぶか、淡々としている長門を選ぶか…。
 基本的に、奇想天外な事件が起こるかどうかと、長門の性格以外は同じなのです。ハルヒは、どちらの世界でもハルヒです。彼女の心が不安定になり、彼女を発端として奇想天外な事象が起こりますが、それ以外の強引さや、行動力は変わりありません。

 キョンは、ハルヒの起こす奇想天外なことが楽しいと改変前の世界を選択しましたが、それはハルヒの消失を取り戻しいと言う願いからではなく、自分自身がどちらにいたいかを選択したと捉えたほうが良いでしょう。ちょっといい方が難しいですね・・・。

 平たく言えばキョンの選択は、自分本位ということです。もしくは、自分の記憶の整合を取りたいだけです。過去のSOS団との記憶と、これから始まるSOS団との記憶を同じ線上に乗せたくない。過去のSOS団の記憶から地続きの未来を欲しているのです。だから、過去に準ずる未来を選択したのです。

神がいない世界で、ハルヒとキョンがラブラブする展開はありえないのか?

 ここで、疑問が一つあります。

 改変された世界で、ハルヒは神の力を持っていません。しかし、属性はハルヒです。長門も本を読む文学少女。ミクルは可愛いドジっ子先輩。小泉はイケメン秀才?転校生。超常現象がないだけで、SOS団の活動は通常営業できますし、楽しい学園生活は送れるはずです。異常現象が起こる頻度のほうが実際すくないのです。エピソード上も、映画を作ろうとしたり、野球に参加したり、コンピュータ部と闘争したり、超常現象を介さなくても楽しめるイベントがたくさんあります。

 わざわざ超常現象が起こる世界を選択しなくても、実は楽しい未来が待っていたかもしれません。

 それを受け入れる選択肢は、本当になかったのでしょうか?

 ある意味、ラノベ故にそれは選択できないのでしょう。読者に、最後の最後、超常現象は起こり得ない世界で、普通に生きることを突きつけることができるのでしょうか?

 それはつまり、ハルヒとキョンの恋。破局。または結婚、出産。もしくは長門との恋愛などなど、超常現象が起こり得ない世界において進むべき道は、至って単純な社会生活です。「涼宮ハルヒの憂鬱」の世界において、特殊性は神たる涼宮ハルヒが存在していたことでしょう。それが消失するということは、現実に帰れと暗に突きつけているようにも考えられます。

 くだらないことは、もう起こらない。

 奇想天外な事件はない。

 未来旅行もなし。

 幼稚な思考をいつまで続けているんだ…。的な。

 キョンの選択は、ある意味、子供への回帰かもしれませんね。まだ大人になりたくないと、子供の無邪気な空想を選択した。現実的に考えれば、改変された世界のほうが、楽しそうです。かわいい長門とイチャイチャ展開がありそうという餌を用意したのに、それを否定したということは、まだキョンは大人になりたくないのかもしれません(?)。

 と言うところで、神の消失が描いているものは、実は子供らしさ?がなくなることと、それを取り戻すことなのかもしれませんね。

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