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思想(哲学と宗教)

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価値観の学問そのものといって良い哲学、価値観そのものといってよい宗教を勉強する事で「価値観とは何か?」に迫りたいと思っています。
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#竹田青嗣

なぜ哲学を勉強しているのですか?

■他者:なぜ哲学を勉強しているのですか? ■自分:自分は、どう生きるべきか、どう生きるべきでないか?根本的に考えた上で生きたい=行動したいからです。 ■他者:その答えは出たのですか?あるいは出そうですか? ■自分:出ました。 ■他者:答えは? ■自分:「答えはありません」というのが答えです。 ■他者:それでは、哲学の勉強は無駄でしたね。 ■自分:無駄ではありません。「答えはありません」という答えが出たので、とてもスッキリしています。 ■自分:もうちょっと詳しく

[経済的自立マニュアル:2】自由な私たちの「自由の行き先」

経済的自立をするにあたっての最初の問い 「自分が本当にやりたいことって何だろう」 については、4年前に哲学的観点から考えてみたことがありますので、その焼き直しとして以下、紹介します(以下4年前のnote)。 私たち日本や欧米などの先進国の国民は、国際政治でよく使用される概念「普遍的価値(※)」を共通の価値観として共有しています。 はてさて自由な私たち個人の「自由の行き先」について、哲学者竹田青嗣の「人間の未来ーヘーゲル哲学と現代資本主義」をベースに考えてみました。

『コーラン』を読む:井筒俊彦著   読了

<概要>イスラム教の聖典『コーラン』を読むことで「イスラーム教の本質」と「言語の本質」の双方を私たちに知らしめようとした言語哲学者「井筒俊彦」の講演録。 <コメント>アラビア哲学専門家にして早稲田大学准教授小村優太先生の「イスラーム思想入門」の講義で紹介されていたので、さっそく読んでみました。小村先生によると本書は『コーラン』を題材にした井筒思想、ということだそう。 以下長くなりますができるだけ、今の私たちのコトバに翻訳して紹介したいと思います。 ⒈『コーラン』の成立

すべては欲望から始まる『新・哲学入門』竹田青嗣著 読了

<概要>と著者が最終章で述べた内容が本書の趣旨。 著者の大作『欲望論』の概要版として、「欲望論」を「新・哲学」という名に置き換えて出版された新書(「入門」とはいえ、それなりの哲学的素養必要)。 <コメント>竹田青嗣の最新作読了。人によって「哲学とは何か?」が違って当然だと思いますが、そして哲学とは、任意の前提(神、教義、神話、聖人、ウヨク、サヨク等の個別の共同的価値観=イデオロギー)をおかずに理性でもってこの世界を説明する学問のことだと一般に言われていますが、竹田哲学は現

「終わりなき日常を生きろ」宮台真司著 書評

<概要>サリン事件を引き起こしたオウム真理教などのカルトや自己啓発セミナーなどを題材に、今に生きる我々は「終わりなき日常」という普遍的真理のない複雑な世界を生きているが「オウム真理教」などの特定の価値観に染まることで自分の存在不安を解消するのではなく、浮遊する存在そのものを受け入れ「まったり」生きていけばよいと指南した著作。 <コメント>若い頃、宮台真司や鶴見済(「完全自殺マニュアル」著者)、岡田斗司夫(「オタク学入門」著者)などの著作にハマっていた時期があったのですが、受

立花隆(自然科学)と佐藤優(形而上学)の限界

文藝春秋今月号「立花隆特集」の中の佐藤優の記事『「私とは波長が合わなかった「形而上学※論」』は興味深い記事でした。 ※形而上学 何らかの任意の前提=絶対真理をおいてロジックを組み立てる学問や思想のこと 私も立花隆の本は学生時代に「文明の逆説」を読んで感銘を受けて以降、「日本共産党研究」や「田中角栄研究」「宇宙からの帰還」「農協」「脳死」の他、たくさん愛読させていただきました。ご冥福を祈りします。 さて、佐藤優の記事について簡単に要約すると 「佐藤優は、キリスト教信者で

民主主義の正当性とはー西研著「哲学は対話する」より

本書では「近代市民社会の原理(※)」が現時点で最も優れた政治思想だということが、前回説明した正義の「本質観取」によって結論づけられています。 ※近代市民社会の原理=著者の表現では近代的正義(民主主義の原理)。どんな人間でも人間として対等の権利を与えられて共存できるということ。しかも、その社会を自分たちの自由な責任において営むということ。万人に生産と消費の権利が保障されていること。そういう基本ルールを前提にして、互いに相手の自由を認め合うこと(竹田青嗣)。 ■本質観取に基づ

「哲学は対話する」西研著 ーサイエンスの限界を哲学が克服する

<概要> 誰にでもわかりやすいコトバで哲学の根本的意味を問いつつ、プラトン・フッサールの思想を通じて、共通了解に向けた哲学対話の具体的手法を提示した上で、分断→共存の社会の可能性を提示した画期的な大作。 <コメント> 本書には(自分にとって)特質すべき重要なテーマが満載で、かつ個人的に最も関心を寄せている「個人の虚構(=思考の枠組み)」「社会の虚構(著者は「物語」と表現)」についても言及。 とりあえず別途それは展開するとして「サイエンス」ではカバーし切れない領域、つまり価

「プラトン入門」竹田青嗣著 イデア論について

今回は、イデア論についてです。イデア論はわかりにくいのですが、以下整理してみました。 ■著者によるイデアの定義 イデアとは「本質」のこと。「言葉の本質」を事例にフッサールを引用し ある言葉の本質とは、その概念を定義するような何らかの「実体的」な意味内容ではなくて、むしろ、その言葉によって人々が世界を呼び分けて秩序を作り出している、その仕方だと考えるのがいい(157頁)。 そして、 プラトンが「善のイデア」という概念で差し当たり示しているのは「何が事物の根本原因か」とい

「プラトン入門」竹田青嗣著 ープラトニズムー

<概要> 著者の考えるプラトン思想の本質を、アリストテレス、カント、ヘーゲル、ニーチェ、ハイデガーから現代思想に至る、あらゆる哲学を引用しつつ著者独自の解釈を展開した著作。 <コメント> だいぶ前に読んでいたのですが、プラトン主要著作の通読に至り、改めて著者竹田青嗣によるプラトン解説読みましたが、やはり、その理解の「深さ」と時代をクロスオーバーしつつ引用される哲学者や古今東西の作家(ドストエフスキーなど)の引用と解釈に基づく理解の「広さ」は、驚嘆せざるを得ません。 「単純

「善とは何か? 」検証

「善とは何か?」について様々な思想家が定義しています。大きく分けて3パターンの考え方があって、 ①善そのものがあって、それはこれこれである ②そもそも善は、語り得ない=定義できない ③「善とはこれこれである」と問うのではなく「善はどのような構造で成立しているのか」と問うべき という感じです。 平原卓「読まずに死ねない哲学名著50冊(以下、哲学名著)」や竹田青嗣の「欲望論第二巻」はじめ、各種著作などから拾ってみました。するとこれが結構面白い。それぞれに「なるほど」と思わせ

哲学とは何か 竹田青嗣著 −社会理論編−

「哲学とは何か」のうち普遍的な認識方法としての本質学だけが存在・認識・言語の謎を解明したとは、前回説明した通りですが、特に社会理論については、項目を立てて近代以降の歴史を俯瞰した上で、本質学に基づく社会理論を展開しています。 ◼️社会理論:「自由」と「暴力回避」を普遍原理とした共通了解の前提条件 本質学に則れば「社会理論」という「数値化できない本質の領域」は、数学のように誰もが納得できる普遍的理論は原理的に成立しないので、時代だとか地域ごとの何らかの共同体ごとに「共通了解で

哲学とは何か 竹田青嗣著 ー本質学編ー

<概要> 「本質学」を提唱する竹田青嗣先生の最新作。哲学の課題を「存在の謎」「認識の謎」「言語の謎」の3つに整理し、ニーチェとフッサールの思想をベースにして、3つの謎に対する答えを誰でもわかりやすく解説した著作。 <コメント> ◼️学問の分類=哲学とは何か そもそも学問とは全て哲学のことだったのですが、西洋が近代になってから哲学の中で数値化できる領域のみ科学と呼ぶようになりました。残った「数値化できない世界」は引き続き哲学が主に扱う学問だとしています。 整理すると以下のよ

世界があるのではなく、自分が世界を作っている

歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの「21Lessons」を読んであらためて思ったのは「世界があるのではなく自分が世界を作っている」ということ。 科学的思考に慣れている我々は、どうしても「モノ=この世界」ありきで何事もイメージしてしまいます。 ところが、よくよく考えてみると我々の世界像は、自分が生まれ育っていく環境(主に人間関係)の中で自分の関心や欲望に応じて世界像が形作られ大人になっていきます。大人になってからも出会いと別れの中で、SNSなども含めて自分の世界像をアップデー