言葉が作り上げたもの
最近の話。
週に50~60時間ずっと部屋に引きこもって、無機質な物質を眺めたり叩いたりしてる。あ、仕事ね。
そこには朝も昼も夜も天気も季節も関係なくて、世界から隔離されたただの空洞しかない。
だから昼休みには少しの散歩をする事にした。
どこまでいっても人間らしい生活を続けていきたい。
多分フルリモートの働き方が向いてない。
その流れから土日も散歩はしてて、今日は散歩ついでに寄ったファミマでBRUTUS最新号「一行だけで。」を脳死で買った。
単純にタイトルにやられてしまった。
あとは退屈な日々へのせめてもの反抗として、明日のための言葉を吸収したかったから。
小学生の時、無性に四字熟語を調べてた時期があった。
その頃から言葉や漢字、その意味や成り立ちに興味のある子どもだった。
それから読書の海に飛び込んだり音楽と出会ったり映画を観たりラジオを聴いたり様々してきたけど、終着地点はいつも「言葉」だった。
あるいは「表現」の方が正しいかもしれないけど、振り返ると言葉に殺されて言葉に生かされてきた28年間だった。
生かされたというのは、つまりは自分を作り上げてきた事。人は皆そうして成長して今があるんだとも思ってる。
性善説を信じてる
厭世的な視点が目立つ
正しさよりも優しくありたい
こういった根底にある自分の軸は間違いなく言葉が作り上げてくれた。
文字や声、音など様々な媒体を通して体に取り込み、自分をもって解釈してそれをまた自分にしていった。
正直挙げていったらきりがない。
吉本ばなな、村上春樹、伊坂幸太郎、西加奈子、燃え殻、カツセマサヒコ、くるり、東京事変、藤井風、ジムジャームッシュ、今泉力哉、等
日頃から自分にって大切な言葉はメモに残してる、今はまだ100幾らか。
そしてnoteを書く時もそのメモから引っ張ってくる事も多々あって、瞬間の感覚をまるで自分の生きた証のように残す、崇高な行為だと決めつけてる。
なんて体の良い言葉を並べても、結局ボクは自分の寂しさを言葉で埋めたいだけなんだ。
どう足掻いても承認欲求は捨てきれないんだ。
伝わりやすくて短い言葉が重視される現代では、それは暗に言葉にできない領域や本来見るべきものを切り捨てている証でもある。
「言葉を失った瞬間が一番幸せ」と歌った宇多田ヒカルも結局は言葉で幸せを得たように、命の次に大切なのは言葉なのかもしれない。
それでは良い夜を
おやすみなさい
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