私の心を揺らす2つのこと
ある朝に発生した腹の底にどんよりとする感情は、秋の青い空、強くはあるが温かい風にあたっても晴れなかった。
その夜、若干の嫌な予感を確かめようとして、更にその不快さは増してしまい、今もその淀みの中にいる。
具体的に著わすことはどうしても出来ない為、抽象的にならざるを得ず、おそらくこれを読んでくださる方1人として何のことを言っているのかわからないと思う。
書かないことが最適解ではあるけれども、結局PCに向かってタイプしている。
ある人をAとする。Aを知っている集団をBとする。私はBに属している。
ここに2つの出来事がある。
Aと私は好ましい関係を築けてはいない。
私はその原因を私自身にあると仮定していて、それとなく修復を試みたりもしたが、Aにそんなつもりはさらさらないとその態度で知った時点で、私は”ある感情”を手放した。
そんなところにAの振る舞いに関する”批判”のようなものを目にした。私はそれらをAには絶対に見せたくないし、私自身かなりのショックを受けている。
一方で、Bの言い分に一理ないとは言えない。私も、それはちょっとどうかなと思うところはある。
また、私への態度も、その振る舞いの延長線上にあるような気がしている。
Aの知性をもってすればそのことに気づかないはずはないのに、疲れているのかあるいはワザとそうしているのか、いずれにせよ、この状態が続けばいつかAは身を滅ぼしてしまうだろう。
「どうかAを傷つけないでほしい」という思いが強くよぎった。Aの振る舞いがけして褒められるようなものではないにしても、Aを炎の中に放り込まないでくれと思った。
同時に、Aには違うやり方があったはずで、なぜうまくやっていこうとしないのかとも思う。Aのそんな不器用さは愛おしいものであるが、自分で自分の首を絞めることになりはしないだろうかと心配している。
Aの味方でいる自分と、Aを客観的に見ている自分、その2つが私の心を揺らしている。
私はAにもBにも何をすることもできない。むしろ何もしない方が良い。
ただ、”そういう感情”を持ってしまった私にとって、後者の出来事はBからAだけでなく私にも向けられた刃のようだ。
私はAが傷を負わないでほしいと祈ることしかできない。
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