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家庭料理の”揺らぎ”

特別味がわかるわけではない。グルメなわけでもない。ただおいしいものが好きなだけの食いしん坊なのだが、母に言わせると、私は食べ物にはうるさいそうだ。母だって、何でも良いと言っているわりには、時々あれを食べたい、これをがおいしい、これはあんまり美味しくない、などと言うのだから、多少うるさいところはあるように思う。


その母、年々料理を作る時間も体力もなくなってきて、買ってきたお弁当やお惣菜を食べる機会が増えてきた。
我が家から歩いて行ける距離にスーパーが1軒、コンビニが3件ある。何を買うかによってどこに行くかが決まるわけだが、母にとっては食材を買うよりも、お惣菜やお弁当を買う方が楽なようだ。

そこで、スーパーかコンビニのどれかを選んで買ってくることになるが、私はこの数年でコンビニの味が苦手になってしまった。
お惣菜のほうはまだマシだが、主食となるようなもの、お弁当やチルド食品、麺類など、可能であればあまり食べたくない。
以前はおいしいと思っていたし、どれもよくできていて、しかも家庭では作れないようなものを出している。それは十分わかっているのだが、コンビニご飯と聞いた途端にゲンナリしてしまう。


「味覚が疲れる」という感じなのだ。
同じ買ってくるものにしても、スーパーで作られたものは大丈夫なのに、コンビニのものは味覚が疲れる。
コンビニ弁当を作っている現場を見たことはないが、中に入っている食材の形を見ても、画一的で、四角ならきっちり四角く、規格通りに切ってある。味付けは、おそらく季節や流行によって若干変えているのだと思うが、どれを食べてもコンビニの味である。


それに比べると、家庭で作るものは味に”揺らぎ”があるという気がする。その揺らぎが飽きのこない味を創り出しているのではないか。
家庭料理はおよそ不揃いで、適度に大きさを揃えていても、端のほうはどうしても小さくなってしまう。切った麺もまっすぐだったり斜めだったりしている。味付けは作る人の舌加減や体調に応じて一定してはおらず、作る人の感覚に頼って作られている。
もちろん塩分もコンビニ食に比べれば薄くできる。
家庭料理は個人の好みに合った味付けがされているので、食べて疲れるという感覚はない。それは多分切り方や、調理の方法、味付けがその時によって変わるからということなのだろうと思う。

売られているものが画一的なのはもうどうしようもないことではあるが、そういうわけでコンビニの味は疲れるのだ。


買ってきたい母と、買ってきて欲しくない私、やはり母にとっては私は味にうるさい娘であり、私にとっては母は食に無頓着な母である。


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