河邑呂談 / Gothmura

歌人 / 𝔳𝔦𝔰𝔲𝔞𝔩 𝔞𝔯𝔱𝔦𝔰𝔱 / tokyo / 🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ / instagr…

河邑呂談 / Gothmura

歌人 / 𝔳𝔦𝔰𝔲𝔞𝔩 𝔞𝔯𝔱𝔦𝔰𝔱 / tokyo / 🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ / instagram→gothmura_kk

最近の記事

スピリチュアルはジェンダーロールから解放されるため?

とある日の日記からの抜粋です。 私は適応力のあるオープンマインドな性格のせいで、初対面でスピリチュアルを説こうとしてくる人とよく巡り合ってしまう。 特にそれは、オープンマインドな40代以上の女性に多い。初対面で必要以上な明るさ(というよりポジティヴさ)を見せる人にそれは屢々ある。 私に一種の受容力があると見込んでそれを説き始める層は、「今に感謝」「光」「風」「朝」などといった語彙をよく用いる。その言葉が出た途端に私は懐疑的な社交顔になってしまう。危険信号を感知している証拠で

    • "見られる"についての私観

      人に一挙手一投足を見られるのが苦手だ。別に実際に見られていなかったとしても、見られる可能性がある感覚をあまり好まない。今日、休憩中に上司が近くにいたのがあまり気分が良くなかった。私はただ本を読んでいただけだが、至近距離に居られると読みにくい。見られていないのに見られている気になってしまう。 「人からの注目を浴びるのを気にしない」、といったような設問が心理テストには頻出するが、私はいつも悩む。例えば道中で関わる必要のない人に見られるのは気にしないが、その後も関わる人に観察され

      • 善因善果なる美

        スキンケア等に就て、朝における予のルーティーンを書く。 先ず、顔を洗って導入化粧水を塗る。忘れること多し。何故かと云うに、先頃迄、保湿は朝餉後の化粧前に行っていたからである。或人より保湿は起き抜けが善いことを知り、況や予も心に留めたい。 予の使用したる化粧水類は、無印良品の導入化粧水、菊正宗の化粧水(日本酒の薫る化粧水である)、豆乳イソフラボンの乳液である。其等を資生堂のシルク混のコットンに丁寧に浸け、優しく肌に馴染ませていく。顔全体に塗布を繰り返さねばならず、まどろっこしい

        • 或る日の手記

          植物園を訪ったのは、ブーゲンビリアとジャカランダに逢わんが為であった。鮮やかな色の華(ブーゲンビリアは苞)を咲かせ、虫のみならず人までも魅了する是れらの木は、どちらも初夏に開花を迎えると云う。 桜の持つ淡い色彩は、色覚障害の私には大凡見えない。然るに是れらの華は私の色覚を以てしても鮮明であると信ぜられたのである。 殊に私は、ブーゲンビリアには嘗て植物に対し感ぜられた事の無い眷恋の想いをだに抱いていた。 繚乱たる純潔な華!──是れがブーゲンビリアに対する私のイメージであった。灼

        スピリチュアルはジェンダーロールから解放されるため?

          【BUFFALO】Blazevyさんにてコラムを寄稿しました。

          ぜひリンク先にてお読みください。

          【BUFFALO】Blazevyさんにてコラムを寄稿しました。

          「共感」を脱せよ。

          昨今の三島由紀夫ブームで、 「若者が共感」 との言葉をしばしば眼にする。 しかし、文学の最も尊ばれるべき点は、 "「共感できない」人や物を理解すること、 その先に共存の可能性を見出すこと、" ではないだろうか? 「若者が共感」という言葉一つに、 "日本の読者、殊に若者は、作品の鑑賞に共感を求め、価値判断すら「共感できるかどうか」に委ねているだろう。" といった憶測が見えてくる。 しかし、「共感ができるかどうか」がそれほど重要なのだろうか? 私は、文学や

          「共感」を脱せよ。

          漫才『東小金井』【ミルクボーイ構文】

          「ウチのおかんがな、昔住んでた町があるって言うてんねんけどな、その駅名がどうしても思い出せないらしいねん。」 『え、おかんが昔住んでた駅名を思い出せないの?ほな俺がね、一緒におかんが昔住んでた駅名を考えてあげるから、どんな特徴言うてたか教えてみてよ』 「JR中央線下りの武蔵境の次の駅らしいのよ。」 『ほぉ〜…東小金井やないかい!その特徴はもう完全に東小金井やがな!すぐ分かったやんこんなんもう』 「いやちょっと分からへんのよな」 『何が分からへんのよー』 「俺も東小

          漫才『東小金井』【ミルクボーイ構文】

          『写真家ドアノー/音楽/パリ』展の感想。(約5000字)

          はじめに。 私はルポライターでない。 そのためこの記事は、一般的な展覧会の現地取材記事とは異なるはずだ。改行も少ない。役立つ情報も一切無い。これを読めば訪れた気分になることも無いだろう。わかりやすいものが読みたい人は読まないことをお勧めする。 これは私が、ただ感想を述べたくて書いているだけのものであって、この場で本作品展が見るに値するかどうか評価を軽率に下したりはしない。 ここから先を読まれる方は、以上の前提を踏まえた上でどうか読んでもらいたい。 感想。 二〇二一年二月

          『写真家ドアノー/音楽/パリ』展の感想。(約5000字)

          ソールライター展2020に感じた違和感

          去年の1/14の日記に、 「ソールライター展に行ったが、私には響かなかった」 と書いてあった。 2017年に一度、渋谷BUNKAMURAミュージアムで彼の写真展が開催され、それが2020年のはじめにアンコール開催をされたわけだが、尊敬する写真家の一人に彼の名前を挙げるくらいにファンである私は前回同様、期待して会場に足を運んだ。 展示の内容、規模感、前回好評を博したからか大量のグッズ、どれも良かった。 しかし、残念だったと言わざるを得ないことがひとつだけあった。それは壁に書か

          ソールライター展2020に感じた違和感

          「私にわからないものは知的で無い。」

          今の世の中では、「簡単なことをわかりやすく。難しいこともわかりやすく。」が持て囃されている。 世間は簡易的で安易なものに傾倒し、そのわかりやすさ、手軽さに親しみを覚え消費している。今や道徳心や倫理観さえも簡易化、省略化されてしまった。 そして隆盛する反知性的な態度に後押しされ、難解な知的活動は淘汰され続けている。 それは、「言葉が蔑(ないがし)ろにされている」とも言える。  「本当に賢い人は難しい言葉を使わない。」 という言葉をしばしばTwitter

          「私にわからないものは知的で無い。」

          二〇一九年 まとめ

          ──三月の渡英に始まり、六月の言葉革命、九月の退職、十月の邂逅──。 全ての日々は螺旋階段のように積み重なるト書きの連続で、一歩先もわからぬその不安定な足元を、愚直に登り続けてきた。 こうして二〇一九年を振り返ることで、私は今、自分がひらけた高台に辿り着いたことに気付いた。視界に広がる景色は祖国、日本。 この一年で、「私は日本語を話し、日本に築かれた階段を登り続ける日本人」なのだと、産まれて初めて、骨の髄まで理解することができた。 三月の渡英。異国の街は、揺れる木

          二〇一九年 まとめ