二〇一九年 まとめ

──三月の渡英に始まり、六月の言葉革命、九月の退職、十月の邂逅──。

全ての日々は螺旋階段のように積み重なるト書きの連続で、一歩先もわからぬその不安定な足元を、愚直に登り続けてきた。
こうして二〇一九年を振り返ることで、私は今、自分がひらけた高台に辿り着いたことに気付いた。視界に広がる景色は祖国、日本。
この一年で、「私は日本語を話し、日本に築かれた階段を登り続ける日本人」なのだと、産まれて初めて、骨の髄まで理解することができた。

三月の渡英。異国の街は、揺れる木洩れ陽の中微睡むような暖かい安心感があった。
それは"余所者で居られる"という私が望んだ疎外感だったように思う。
日本での私は、国民性からかそれとも私の個人的な性質からか、自分と他人のパーソナリティの境界が曖昧で、他者の行動に期待をしていたようだ。そのため、他者との間に産まれる齟齬に不寛容であった。
しかし、母語も育った環境も違う、多様性が前提の異国の世界では、他者に期待をするはずもなく、"Do what you like."といった寛容さを得ることができたのである。
日本にいる間はどこにいても何をしても人の目を気にしていて、余所者でいることは難しい。異国にいる私はその精神的な監視から離れ、自由に振る舞う一員になれたのだった。

そしてイギリスは、私の無意識下に根付く祖国への違和感を認識させた。日本は戦後、消費至上主義を崇拝し始め、けたたましい広告による騒音で、私の魂を長年腐食し続けていたようだ。
漠然と東京の都心を嫌っていた私は、その理由が「人の多さでなく広告の多さであった」と、雨の降る人混みのロンドンを歩きながらその考えに至った。 そこから、"私の人生の舞台は日本では無い"と、強い確信を得ることになる。日本人として日本語を話す私は、それらをアイデンティティとして矜持しながら、"あちら側"に身を置き、"日本=自分自身"を理解していこうと人生のテーゼが変わったのである。帰国後、私はヨーロッパへの憧憬を熱く燃やし、それは今もなお続いている。

六月上旬、私に言葉革命が訪れる。それは突然ではなく、小さな物事が数珠繋ぎのように私を手繰り寄せた、必然性のある出来事だった。事の発端は、2月に「ドグラ・マグラ」を読み、衒学的な言葉の並列表現にいたく感激したことに遡る。以後、日本語の美しい引用を収集し始めた私は、母の勧めにより三島由紀夫の「金閣寺」と志村ふくみに出会う。三島の燃え盛る"緋"、志村は静寂に沈む"藍"、両者の生命への描写力に脳を掻き乱された。二〇一八年から毎日欠かさずに日記を書いている私は、自分の書いていた文章の幼稚さを心から反省し、それ以来、日記を文学的に綴るよう心掛け始めた。
そして、年末には写真家・奈良原一高の文集「太陽の肖像」を読み、彼の祖国意識、ヨーロッパへの憧憬を自分と重ね合わせた。先日、彼の書いたエッセイを友人に音読した際、そのあまりにも美しい言葉に悶え、私の観念は一度死んだと確信したのだ。
こうして新たなバイブルを獲得した私は、日本語への感性をたった半年のうちに大きく覆したのである。

また、八月にツイッターで、思想家の内田樹を知る。フランス現代思想を研究しながら武道を極める彼は、多くの社会問題に意見を述べており、全ての知的な形容詞を並べたような彼の思想の虜になった。
数ヶ月間、彼の執筆した本を読み漁ったことで、彼の説く「理想的な日本人像」や「政治イデオロギー」は私に深く根を張り、「日本人」という存在を文脈から体系的に考えられるようになった。
私の行動規範、思想指針にすべき"知的な大人"に出会えたことは二〇一九年の大きな収穫のひとつだった。

九月末、服飾大学在学中から四年と半年働いたファッションブランド(知ってる方ばかりだけれど、一応名前は伏せます)を退職した。渡英後、日本に住んでいる自分の現状に満足がいかなくなり決断した結果だ。
かのブランドで働いたことは私の人生の中で最も大きな転機であり、今の私の美的観念の大枠はこのブランドの文化や歴史によるところが大きい。書ききれないほど素敵な体験を私に与えてくれた方たちに一生をかけて恩返しをしていきたい。
しかし退職、転職となると次の仕事が必要になる。そもそも消費を促進する販売業は私には向いていないため(笑)、他業種への転職を検討したが、結局縁のあった別のアパレルブランドで販売をしている。世界中からの旅行客と話すことでそれぞれの国民性、英語の訛り、しぐさの特徴をフィールドワークのように分析できるこの仕事は社会人類学の見地からも有意義であるように思われる。

そして十月。
全ての出会いはそれ相応の色彩を放つ。淡い出会いは僅かに心に色を重ねるに留まり、濃い出会いはそれまでの心を完全に塗り替えてしまう。
三ヶ月ごとに大きな転機が起きた二〇一九年だが、十月から十二月は極彩色の苦悩を味わうことになった。
たった一つの出会いが、巡り巡って、「あなたの人生には根っこがないので、一つのことに集中しなさい。」とクレアヴォヤンス(透視)される日を誰が予想しただろうか?
このことについては文章より喋りで伝えたいので、聴きたい方は一報ほしい。

そして年の瀬、友人が主催する「素敵な人だけを集めた忘年会」で今年を締めくくる。
前述のクレアヴォヤンスを期に改心した私は、それ以降できるだけ大人しく生活していた。これまでの人生を反省して、いつものように興味のあることにすぐに飛びついたりはせずに、黙って目の前の仕事を働いていた。
誰かに熱く語るものもなく、今は自分のことに集中しよう……、と格好を付けていたらしい。

忘年会に参加したのは、「こういうのは大抵良い出会いがあるので出向くべきだ」と経験則によるものだったけれど、まさにその通りだった。参加者のほとんどが初対面だったにも関わらず、とにかく笑いに笑い、喋りに喋った。そして何よりも嬉しいのが私の熱い話を聴いてくれる人がいたことだ。
「そうか。私は格好つけて大人しくしていたけれど、そんなもの何も価値はない。大したことは何もできない人間だけれど、"自信満々に熱く語る姿"を皆は面白いと言ってくれていたのか!」と私の唯一の売りを思い出すことができた。なんて単純で陽気な人間なのだろう。さらば、格好つける自分。

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と、日記を全て読み返してまとめると、このようなまとめになりました。人は大きな出来事に着目しがちですが、それが起こるのは結局日々の細かい積み重ねの連続で、可能性を自ら手繰り寄せているようです。
もっとカジュアルに書けば良かったのですが、完璧主義が高じて頑張ってしまいました。
二〇二〇年もよろしくお願いします。