目が悪い方が生きやすい
見えすぎてしまうのも疲れてしまう。
ーーーーーー盲目の方が幸せだ。
いや、観測しない勇気「見ない勇気も必要」が必要なのだ。
観測しなければ知らなかった事になる。
例えば皿の小さな汚れ。観測してしまったら「ストレス」が蓄積する。
もしも、視力が落ちていればその「ストレス」は観測する必要はなくなる。
そのまま世界は続くのだ。
人は見たいように見ている。そして、態々小さな汚れを見ようとしているだけだ。
同時に相手も自分と同じ景色を見ていない
同じ景色を観測している訳ではない。それは心が盲目になっているということでもある。「心の視力が落ちている事にもなる」
まるでお互いの視力がいい前提で話しているようだが、相手の視力が落ちている可能性もあるという事だ。
観測する勇気と観測しない勇気が必要
じゃあ、何も見なければいいじゃないか。と人は両極端になりやすいが、相手の景色と自分の見ている景色が違う事を思い出して欲しい。
そもそも自分の好きな物が、相手も好きとは限らない。これは嫌いな物も苦手な物も人それぞれ違うのである。当たり前な話だけどね。
自分が考えている事が相手に読まれる事はない
素振りや行動で予想はされるかもしれないが、それでも真意は分からない。所詮、予測でしかないからだ。
心の中まで覗く事は不可能である。
嘘も本当の事もこちら側で判断する事はできない。
例えばの話だ、「髪を切っただけでなんか心境が変わった?」と決め付ける事は容易だということ。前髪が邪魔だったという本当の理由でも人は勝手に想像して、勝手に決め付けるのだ。
「前髪が邪魔だった。」と本当の事を言ったとしても、面倒臭い相手はそれでも疑うかもしれない。つまり、他人の評価は想像以上に好き勝手なのである。
目が悪い=気にする事もできなくなる
細え事はいいんだよ。気にしないのではなく、物理的に見えなければ悩む必要がない。
「気にしない」というのは大人でも難しい。
なら、コンタクトレンズも眼鏡も捨ててしまえばいいのだ。
生きやすくする為に現代の文明を使っているのに、それで生きにくいというなら本末転倒だ。
文明が発達しているのに、まるで退化しているようなものじゃないか。
いっそのことない方が幸せって事は世の中に蔓延っているのだと、僕は思っている。