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私の好きな作家たち

再びおはようございます彭城吾朗(さかきごろう)です。
英語の勉強しなくちゃいけないのに、
noteが楽しくてたまりません。
今日は最後にこれだけ更新。

私の愛する作家を紹介したいと思います。

とはいえ、
私は根っから「アウトプット中毒」な性格がとても強く、
これまで人に誇れるほどのインプットをしてきていません。
暇さえあれば何かしら物作り(文章、絵、音楽)をすることにかかりきりで、
文学ひとつとってみても、
そんなに多くは読んでいません。
が、
好きな作家を見つけるとその人ばかり読む、
みたいな傾向は強かったです。

なんといっても大好きなのが萩原朔太郎です。
とても尊敬していて、
彼の弟子を自認しています。
高校二年頃ですか、
かなわぬ片想いの恋に日々苦悶して、
愛しい女性を想いつめたい涙で枕を濡らした夜に朔太郎の「純情小曲集」を読んだときの感動は、
今も心に焼き付いています。
私にとって詩人といえば萩原朔太郎一人です。
朔太郎のことは今後も繰り返し記事に書くつもりなので、
今日はこのへんでとりあえず。

小説家で好きなのは太宰治と吉行淳之介です。
あとは中島敦と、後期の芥川龍之介ですね。

私は一応文学部英文科卒なのですが、
どういうわけか外国文学にあまりディグできないメンタリティと感性の持ち主で、
文学といえばもっぱら国文学になります。
太宰治は、
萩原朔太郎を好きになったのと同じ頃に好きになりました。
朔太郎と太宰の二人に私は芸術とは何なのかを教わりました。
太宰の作品で自分の中で最も重要なのは処女短編集「晩年」です。
私にとって「晩年」は、
たとえるならば、
女性にとっての初体験の相手、
みたいな小説集です。
最初に強烈なインパクトを植え付けられて、
それ以降に読むものがどれも物足りない、
みたいな。
まあ、
太宰も師匠ですね。
「晩年」以外ですと「東京八景」「富岳百景」なんかが好きです。

吉行淳之介は、
太宰のような天才ではないと思いますが、
文体がカッコよくて、
女性に対する感受性が少し私と似ていて(私は彼のようにはぜんぜんモテませんが)、
それと、
自分にとって朔太郎を師匠とした場合に兄弟子的な存在になります。
二十代後半のいろいろと心が暗かった時期に吉行小説読みました。
あと彼はエッセイがいいですね。
彼のエッセイを読んでいると妙にリラックスできるんです。
どうしてかは知りませんが。
そのリラックス感が貴重で。

中島敦と芥川のことは別の記事で書きたいと思います。

さて、
これから文学の道を進むわけだから、
インプット苦手といっても、
もっとちゃんと熱心に読書しないとね。
わかっているのですが、
気が付けばインプット後回しでアウトプットばかりしています。

私の詩や雑文を読んで、
私にお薦めできそうな作家を知っていたら、
教えてください。

では今日はここまで。
また次回。

《今日の自薦自作詩》

「ぼくの師匠」

ぼくがとても尊敬する、
かなしい師匠は、
詩は孤独者の慰めにすぎないと言われた。
ぼくも30年くらいそれに同意していた。
しかし、
今、
自分を媒介にして、
喜びに溢れた宇宙言語の翻訳がなされるのが、
自分にとっての詩作なんだと知り、
人生は自分ひとりではないと感じるようになった。
きっと師匠も、
今頃はプレアデスかオリオンあたりの星で、
当時とはまた違った見方で、
地球での人生を懐かしく思い出していることだろう。
おげんきですか?


「芥川龍之介の魂に捧ぐ」

隠し通した欲望の渦の真ん中に、
虚無詩人は立ち止まっている、
ぎこちない語法、
動けない夜の夢、
自己嫌悪と自己憐憫の間に涙する、
歯車は狂ったのか、
それとも、
始めから計画通りだったのか、
テクニックは装飾する武装、
心は成長を拒む倒置、
プラトニックスイサイドの最終章は痛ましく、
病める時代の先駆者の、
骨と皮ばかりの躰の影に。


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