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スクールカウンセラーが「ひきこもれ」という本を読んだ


はじめに

今回のnote は、スクールカウンセラー(SC)の読書感想文という趣向です。
思想家の吉本隆明がひきこもりや不登校について、自身の人生哲学を語ったメッセージ。
学校で不登校支援をしている心理士の視点からこの本の魅力を語ります。

この本は、むしろ引きこもることの積極的な意味を「人生における価値」という見方で語っていますから、テイストは異色かもしれません

ただ、それは実際的でないということではありません
当事者や支援者が気づくことは多いと思います
世間が「正しいこと、良いこと」とする考え方にとらわれず、視野を広げてくれる本だからです
 

ひとりの時間をもつことの意味


 
吉本は『引きこもり、いいじゃないか』と語り、引きこもっている人たちを引っぱり出そうとする支援に異論をとなえます

それは一人でいることが、その人の中に豊かさを生み出すからです

彼はコミュニケートして言葉を共有することはそれなりの意味があると言う一方で「一人でこもって過ごす時間こそが「価値」をもたらす」と論じます

ここでいう「価値」とは、お金にかえられる価値ではありません

その人のからだやこころの奥底から出てくる感じ方や考え方を、かけがえのない「価値」だと言うのです

まとまった時間、じっと自分と対話することで、価値は生まれてきます
人としての豊かさや深みと言ってもいいでしょう

「コミュニケーションは良いことなんだ」という常識に対して「一人でいること」の大事さをとなえているのです

引きこもっている時間は無駄なのではなく、豊かな価値を生み出すための準備期間なのかもしれない

引きこもり当事者は、自分のことを「人と交わらず役にも立たない存在だ」と否定的に感じています
はたからみると怠けているようでも、内面は苦しんで悲観的になっています

「引きこもることも自分を掘り下げるためには必要だ」というメッセージは、力を与えてくれるでしょう

支援者にも新鮮な視点を与えてくれます。
カウンセリングでも、閉じこもっている人の心の中で何かが創造的に動いていることがあります
まわりが良かれと思って外に引っぱり出そうとすると、かえって自発的な変化は生まれません

吉本のように引きこもりを肯定的に見て、本人の中で何が生まれてくるのか見守ることも大切だと思います。
 

不登校は病的ではない


不登校についても、吉本は独自の考えを述べています。
彼は、不登校もひきこもりも気質のようなものであって、すべてを病気扱いするのはおかしいと言います。
そして学校には偽物の真面目さや厳粛さがただよっていて、その空虚さやくだらなさを子どもたちは見抜いているのだと指摘します。


感受性が強くて鋭い子ほど学校が嫌になる。病的な理由で不登校である子は少ないのです。


SCもこれに共感します。
学校に適応しないのは病気でも異常でもありません
もともと静かで落ち着いた空間が好きだったり、他の子どもたちと同じ行動をさせられるのを好まない子たちが一定数います
日本の学校の同調性にたえきれない子たちも増えています


我慢して我慢して、〝学校というのはこういうものなんだ。仕方ないんだ“と諦めて過ぎていく。この〝過ぎていく〟ことに耐えられない子どもが不登校になるのです。


彼らは、学校という環境にマッチしないだけです。
問題は多様さに対応しきれない環境のほうかもしれないのです。
 

社会と自分を区切らない


吉本は、不登校になる子の「まっとうな感受性」を評価しつつも、「まったく学校に行かなくなってしまうことがよいことだとは、ぼくは思っていません。」と論じます

今の学校制度は確かによくないけれども、その制度の中にいて、自分の中の違和感を大事にしていくほうがいいと思います。

なぜなら、一般社会と自分とをはじめから区切ってしまうと「世の中にはいろいろな人がいて考え方が違ってもみんな平等なんだ」ということが成り立たなくなってしまうからです

学校という場所は、くだらないこと嫌なことがたくさんあるけれど、その中でどうしても必要な最小限のことだけをやって「自分の中の不登校的な感覚を失わずにやっていけばいいのです」と彼はアドバイスします

この吉本のバランス感覚は実際的なものだと思います。

学校は社会の縮図のようなところです。
学校の「偽の厳粛さ」や薄っぺらさは、大人の世界にもあてはまります

生きづらさを抱えるのは、ある意味まっとうな感覚なのでしょう

ただし吉本は世の中から閉じて生きることには賛成していません

引きこもり的、不登校的な生き方を認めつつも、社会の動向に興味を持ち、自分なりに考えて、興味のあることについて手を動かし、継続する。
吉本は、自分の引きこもり的気質で悩んだ経験から、物を書くという仕事を選んだそうです
それが彼なりの世の中とのかかわり方だったのです

彼のメッセージは自身の孤独感や経験から生まれたもので、現実的で嘘がありません


引きこもっていることがマイナスにならないような職業というか専門というか、そういう分野というのはきっと見つかるものです。不登校の人も、生涯のどこかの時点で一度は登校することになるのだとぼくは思います。それが学校ではないとしても、何らかの場所にやがて踏み出していく。自分自身の人生に関わっていく日が、かならず来るのです。
 

これからにむけて


 吉本のメッセージは、私に関わりのヒントを与えてくれました

私は、不登校の子どもたちに「学校に来なさい」とは求めません
ただ自分なりに考えたり、感じたりする経験をしてほしいと思います
そして小さくてもいいので、外とつながるようになってほしい
大切なのは「一人でいることを大事にして、なおかつ孤立させないこと」だと思います

そして、一人でこもっている中でも心の中では何かが変化している、と思って関わりつづけることも必要です

 
最近は、学校以外の多様な学びの機会が増え、オンラインでも勉強や仕事ができるようになってきました

「一人で過ごすことの価値」が認められつつあるのかもしれません

一方で、SNSやスマホが普及し多くとつながりやすくなったことで、かえって「分断されない、ひとまとまりの時間」を持ちにくくなっている現状もあります

そういう世の中で、いかに人生を豊かに耕していくか?
この本は、そこも問いかけているように思います。
 
「引きこもれ」とは、今の世の中すべてへのメッセージかもしれません
 
 

#読書の秋2022

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