#8 たとえば、僕が死んだなら
仕事中のある日のこと
小さな老婆が
ナースステーションに訪れ
「あの時は、主人が世話になりました」
震える声
小さく丸くなる背中
どうしたものかと駆け寄ってみると
見覚えのある顔
たしか、1ヶ月前に
息を引き取られた方の奥さんであった
「いくらか、日が経ったのにまだ頭の中は
整理出来ないものね」
表情は和かな顔をしているが
まだまだ心中穏やかではない様子だった
私は、どうにか少しでも
奥さんに元気をつけたくて
主人の好きだったところ、
元気だった時のことを2人で振り返った
「ありがとね、なんだか少しは元気でたわよ」
老婆はその言葉を残して、
とぼとぼ力なく帰っていった
奥さんの言葉は
きっと声をかけた私への
社交辞令だったのかもしれない、
ただ、
前向きな言葉が出たことに
少しホッとしたのと同時にこれから先
この人達と向き合えなくなることが、
残念に思えた
医学的に
『死ぬこと』とは
呼吸が止まり
意識がなくなり
心臓が動かなくなる時のこと
死ぬこと= 最期
つまり、人生の終点を迎えることだが
実際には
死んでからこそ、
始まることもある
まあ、もちろん当の本人のことではなく
残された人達のことであるが、
死ぬこととは
プラスの感情も
マイナスの感情も
全部引っくるめて
残された者に託されるものであって
きっとそうであって欲しい
なんだか願望みたいな文章で
恥ずかしくもなるが、
たとえば、僕が死んだなら
何が残って
何が始まるのか
死んだ後は、分からないものだらけだけど
誰かが笑ってられるものであって欲しい