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循環と持続可能性を考えてみる(その1)

はじめに。
持続可能性なんて言葉を聞くようになって随分と時間が経つ。
最近ではサスティナブルやSDGsなんて言葉もよく飛び交っている。

実は私はこれらに懐疑的というか、ちょっと違和感を感じている。
それは山での体験が源流となっていて、自分の根底に地下水のように流れている。

先日、コテンラジオのポスト資本主義シリーズで「持続可能性なんてない。あるのは循環だけだ」なんて話が出てきたの聴いた。

それをきっかけに改めて自分の考えをまとめてみようと思い、持続可能性と循環の話を書いてみる。


持続可能性の話

奈良に春日山原始林という場所がある。
奈良公園からすぐそこにあるこの山は、巨大なブナの樹と春日杉が生える素晴らしい場所だ。

春日山にある巨大なブナの樹は、文化的にも学問的にも非常に価値のある樹で、これほどの面積規模のブナ林(照葉樹林)というのは日本全国でも珍しいそうだ。
※ブナの樹というのは、いわゆるドングリのなる樹である。
※春日山原始林は世界文化遺産「古都奈良の文化財」のひとつとして登録されています。

春日杉は、16世紀に豊臣秀吉が約1万本を植えたといわれていて、樹齢400年以上の杉が生えている。

それ以来、ほぼ人の手が入っていないこの原始林は、豊かな自然を育み、リスやムササビなどの小動物が見られたり、キツツキの樹を叩く音が聴こえ、フンコロガシを見つけたり、カエルがいたり、街では味わえない楽しみの多い場所である。

実はこの巨大なブナの樹の森は持続可能性に危機を迎えている。

奈良公園といえば、誰もが思いつくのが大仏と鹿だ。
この奈良の顔とも呼べる鹿たちが春日山原始林の持続可能性をピンチに追いやっているのだ。

奈良公園には約1600頭ぐらいの鹿がいる。
この公園の持つ資源では100頭ぐらいが食っていける程度らしく、完全にキャパシティーオーバー。
だから、鹿たちは飢えている。

この飢えた鹿は、街に繰り出してゴミを漁ったり、農村に出向いて畑を荒らしたりする問題を起こしたりしているが、それ以上に深刻な問題が山への侵食だ。

ブナの樹はドングリを落とす。
このドングリはブナの樹からすると次世代の後継者たちだ。

だが、鹿にとっては貴重な食糧でもある。

飢えた鹿たちはこのドングリをとにかく全部食ってしまう。
幸運にも食い残されたドングリは芽を出すのだが、これも鹿に発見され次第で食われてしまう。

そうなるとブナの樹は次世代が育たない。
まさに日本と同じ少子高齢化社会。

親の樹が倒れてしまえばこのブナの森は終焉を迎える。


そして、この親世代にも危機が訪れた。
「ナラ枯れ」という驚異の襲来だ。

ナラ枯れはカシノナガキクイムシという小さな虫が原因で起こる。
この虫が樹に侵入して、樹の中で子育てをするためにナラ菌を繁殖させることによって、樹が水を吸い上げなくなってしまう。水を吸い上げなくなれば樹はいずれ枯れてしまい、死んでしまう。

この虫は各地の森林で突発的に発生して、大きな被害を出している。
それが春日山原始林でも起きたのだ。

カシノナガキクイムシが侵入する樹はある程度の大きな樹であり、ナラ・シイ・カシといったドングリの樹だけがターゲットになる。
春日山原始林に生えるブナの樹の親世代は格好のターゲットであり、いくつもの価値ある巨樹が失われた。


親の世代が枯れて死ぬ。
子の世代は鹿に食べられる。

これではブナの森林としての春日山は持続できない。

さらには人間が持ち込んだサカキやナンキンハゼがブナの支配地を侵食してくる。

このサカキやナンキンハゼは鹿が食べない。
他にも鹿が食べない草木はある。

鹿が食べるドングリの樹は消え、鹿が食べない植物が残る。
そうすると飢えている鹿はさらに飢えてしまう。
鹿も今の頭数を持続することはできない。

バランスを崩した世界を持続するのは無理なのかもしれない。


次回→循環の話

春日山原始林はブナの樹やクスノキを中心とした照葉樹林だ。
※照葉樹とは、葉の表面の角質層(クチクラ層)が発達した光沢の強い深緑色を持つ樹。

次回はこの原始林でみた循環の話を書く。

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