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【短編小説】旅の途中

*1*

起きてまず知覚したのは、波の音だった。ざぁざぁ、ちゃぱちゃぷ、ざざざ。空気を削るような音に、意識がはっきりとしてくる。
なかなか開かない目を擦りながらごろりと転がると、欠伸が出た。のそりと緩慢に手を動かして、テントの口を開く。
目を細めて光に慣らすと、海が沈む日光色に煌めくのがわかった。蝋燭のように揺らめいているのは、なるほど見応えがある。
また目を擦り、テントから出ると立ち上がって思い切り体を伸ばした。固まった体が解れ、息がしやすくなる。ふぅうぅぅ……。
海の匂いと、砂の匂いと、木々の匂いが、一気に肺と腹に飛び込んでくる。気持ちよさに思わず片笑みが浮かんだ。
……しかし、匂いで腹は満たされないものだ。
コートのポケットから財布を取り出してみる。中身を確認してみれば、取り敢えず何枚かの札は入っていて内心ホッとした。ふむ、昨日の稼ぎは悪くなかったはず。
問題は、何が食べたいのかだ。
何せ、この国に来たのは昨日が初めてで、未だに料理の傾向が掴めない。昨日は出店のパンを買ってみたが、不思議な味だった。ほうれん草に生姜を混ぜたみたいな? それに、ほんの少し香ったのはカレー粉、だった気がする。
何にせよ、腹が減っては何とやらだ。……といっても、あの数枚の札と小銭で何が食べられるのか分からないが。
テントを畳んでトランクに詰め込み、ギターを担いでいざ出発。向かうは、ビーチ沿いの通りだ。
面白いものが見つかるかもしれない。伝統工芸品とか洋服とか、食べ歩きの料理とか。
この砂浜からなら、歩いて十分程度だ。

──予想以上の賑わい。

独特の匂いと、聞き慣れない言葉が飛び交う通り。店の人たちも、客も、みんなのんびりとしていて楽しそうだ。
せかせかしていなくて、居眠りしながら店番をする店主までいる始末。……大丈夫だろうか。
この国は平和だ、うん。
並んでいる雑貨も、実にこの国らしい。木作りのプレートやら、空色草色のスカーフやら。自然と調和して生きているこの国の生き様に触れられるようだ。
はてさて、今夜の食事は何があるかな。折角だし、海の幸を使った何かがいい。
「コレ、オイシイデスネ。タベテッテー」
外国人と即バレ。カタコトの言葉で声をかけてくれる。美味しいものを沢山食べていそうな、ふくよかな中年男性。彼が売っているのは美味しそうな……なんだこれ。
「ボク、パン、ツクッテルヒト。コレ、コノクニノ、デントウデスネ」
──これが、パン?
パンというより、クレープに近いのでは。四角くて薄めの生地の上に、数種類の野菜と果物がぎっしり。それに加えて、チーズとサーモンの薄切りとオリーブが少し。……甘いのか、しょっぱいのか? 興味を引かれるのは事実だ。
「オカイドク、デスネ」
ダメ押しのようにそう言われると、手が伸びてしまう。値段を見ても、全く判断がつかないけれど。そんなに高くはなさそうだ。
指を一本だけ立てて頷いてみる。店主はニンマリと笑うと、早速包みを用意しだした。
丁寧に包みの上にパン?を乗せて、くるりと巻く……かと思いきや、生地を上から重ねた。ハンバーガーのようなやり方だ。
そして、最後にオリーブを一個乗せて、出来上がりらしい。店主は崩れないようにそっと手渡してくれた。
「トゥートンリィーパ、オマタセマシター」
「トゥートンリィーパ?」
「トゥートン……フェアリー? ノ、パン。トイウイミデスネ」
「妖精のパン……なるほど……」
「アツアツ、タベテルト、オイシイデスヨ」
出来たてをすぐに食べてくれ、ということだろう。美味しいという言葉が出ると確信している目が輝いている。
一口齧って驚いた。あれだけごちゃ混ぜの具をパンで挟んでいるにも関わらず、なんだか上手く纏まっている。パン生地の味が薄めだからか、具を喧嘩させていないらしい。
……美味い。
「キーティ?」
「えっと……うん、美味しい。キーティ」
「ヨカッタネ!」
店主に礼を言いつつ支払いを済ませて、散策開始。このパン……トゥートンリィーパだけでは、少し足りない気がする。また何か美味しそうなものを見かけたら買ってみよう。

出店通り、面白かった。
次に探すべきは、テントを広げる場所だ。昨夜は波の音を聴きながら海辺で寝たから、今度は森の中がいい。
地図を見れば、存外近そうだった。
夜も更けてくると、電気が少なくなるし、開いている店もなくなってくる。空の暗さからして、そんなに夜遅い訳でもないけれど。きっと、仕事は早く終わらせて、家で家族と過ごすことを重んじているんだろう。
おかげで、森への道は街頭と家の灯りが頼りだった。
そんな中で出会ったのは、アライグマ。……出た。しかも少し涎を垂らして如何にも空腹状態だ。噛まれても怪我で済みそうではあるが、勿論勘弁願いたい。
願い虚しく、アライグマの射程圏内に入ってしまった。じりじりと後ろに下がる。アライグマは、じりじりと寄ってくる。
そんな攻防を約五分。
逃げるのを諦めて通り過ぎようとしても、後ろから足音が消えない。いや、まさか?
……着いてきている。
野生動物とは、かくも人間に慣れきったものだろうか。着いてきては、トランクをつついて何か言いたげだ。
立ち止まると、アライグマもまた立ち止まった。トランクをじっくりと見据えている。
やれやれ、だ。
仕方なくトランクを開き、中から包みを取り出した。入っているのは、魚や野菜などがたっぷりと入ったベーグルのようなもの。
アライグマは、自分の膝頭に額を擦り付けてから、走り去っていった。……自分の明日の朝御飯をしっかりと咥えて。
食べても害はないだろうが、何も自分から朝御飯を強奪しなくてもよかろうに。代金、請求すればよかったか。
なんて考えつつ、気を取り直して森へ向かった。
夜の森は、鳥の鳴き声やら木々のざわめきやら、虫の声やらで五月蝿く、でも音が無い。
奥の方へ進んでいくと、小川が流れていて、風が心地いい場所に辿り着いた。……今日は此処で決まり。
ギターを下ろし、いそいそとテントを立て、枯れ木で火を焚いた。
土の匂い、木の匂い、葉の匂い、水の匂い。それから、火の匂い。
耳の奥に染み込むような、焚き火の音。
ギターを枕代わりにし、寝転がる。上を見上げてみた。
「はぁぁ……」
思わず感嘆の声が漏れる。
高い木々とふさふさの葉が作り出した丸い空間の真ん中に、丁度月が収まっていた。周りには星々が散り、まるで絵画のようだ。
トランクからカメラを引っ張り出し、写真に撮った。
テントを立てたが、今日はこの星空に見下ろされながら眠りたい気分だ。布に隠れてしまうのは勿体無い。
…………明日の朝御飯、どうしよう。

*2*
朝の町は、活気に満ち溢れていた。
港町なだけあって、何処にいても潮の香りがする。そんな町に暮らす人たちは、赤らんだ頬に傷んだ髪を誇らしく思っているようだった。みんな快活で、笑顔が大きい。
まだ寝ぼけ眼な自分は、そんな住人たちに圧倒されながら歩き回った。何処からともなく聞こえる笑い声に、話し声。
底抜けのおおらかさを感じる。
そんなおおらかさに当てられて買った、粘り気のある捻れた細長いパン。店主が言うには、ァイパリィーパ。正しい発音が全然できなくて、終いには腹を抱えて楽しそうに笑われたが。クソ、悔しい。
ァイパリィーパ、ァイパリィーパ……。呪文でも唱えてる気分。
とにかく、そんなパンを食べながら歩くこと数分。石造りの建物の合間に、わらわらと人が集まっているのが見えた。
子どもまで、大人の足の間から落ち着かない様子でいる。……何か始まるんだろうか。大道芸人でも来ているとか?
最後の一口を胃に押し込んで、人垣を掻き分けて覗いてみる。
演奏家だ。
この国の伝統楽器だろうか。壺のような、不思議な形をした弦楽器。それを手に、若い女性が何か話している。長いブロンドの髪を三つ編みにした、綺麗な人だ。話しているのは、演奏する曲の説明か、聞くにあたってのお願い事だろう。
女性が弦に指を触れると、観客たちは拍手をした。自分も右に倣えで拍手。
女性が奏で始めたのは、ゆったりとした曲だった。童謡や子守唄に近い雰囲気だ。滑らかな重低音が、独特の揺れとメロディに乗る。昨晩の森の空気を思い出した。
二曲目は、跳ねるような高音が特徴的な民族舞曲。観客の中には、合わせて足を踏み鳴らす人もいた。この国の伝統的な曲の一つなんだろう、涼しげで軽快なリズムだった。
……タンタンタタタ、タラタンタッタラタンタタン──
不思議な魅力のある音だ。
聞き入っているうちに数曲が終わり、そろそろお開きかと思い離れようとした時。
「ギター弾きさん!」
引き止めたのは、演奏家の女性だ。カタコトではなく、流暢に声を掛けてくれた。……良いのか悪いのか、胃のあたりがざわつく。
おいおい、まさかの?
「ご一緒に演奏しませんか?」
その言葉に観客たちが拍手したり囃し立てたりするもので、少し気恥ずかしくなりながらも前に出た。
一昨日弾き語りをしていた時とは比べ物にならないくらいの観客の人数。流石に緊張感が。
「何を弾けば……」
「即興なんて如何?」
「OK」
折角なら、さっきまでとはまるで違う音楽になった方が面白いだろう。だが、短い期間で見たこの国を表すような、ゆったりと明るい曲にしたい。
……前にいた国の唱歌を参考にしてみようか。
最初は跳ねるように、徐々に音に深みが出てゆっくりと、そしてまた話し声のような楽しさを……。思いつくままに弾いていたが、彼女はしっかりと思いを汲んでくれた。
弾き終わってしまったら、きっと半分程は忘れてしまう。それが惜しいと思った。
最後の音は、そんな気持ちを込めて余韻を残した。
音が消えると、観客の拍手に変わる。
「ウェルーマ アハモィキ!」
彼女は立ち上がり、拍手のやまない観客に向けてそう言いながら優雅にお辞儀をした。自分もそれに倣い、頭を下げる。
暫くの間拍手が鳴り響き、照れ臭かった。……良い演奏ができて、うずうずしていたのは隠さない。お布施も貰えたし、棚ぼた。
楽器を片付けた後、彼女は自分に握手を求めた。間近で見ると、本当に美人だ。
「突然声をかけてしまってすみません。おかげで素晴らしい演奏になりました。どうもありがとう」
「こちらこそ、楽しかったです。そういえば、最後に言っていたのってどういう意味です?」
「ウェルーマ アハモィキ、ですか? この国の言葉で、"ありがとう、またお会いしましょう"という意味なんです」
ひとつ、勉強になった。
「旅を楽しんでくださいね。オゥニ! 幸運を!」
女性は、スカートを翻して去っていった。なんと、清々しくて颯爽とした人だ。
貴方にも幸運を、オゥニ!
……そしてまた、ぶらり。ギターとトランクを抱え直して歩いた。さて、次は城でも見に行ってみよう。

*3*
この国に来て、約一週間。
じっくり色々と見て回り、食べて回り、ギターを弾いて過ごした。穏やかな気候と人柄に、すっかり骨抜きにされてしまったが……。
そろそろ次の国へ発つとしよう。
雨宿りの延長でログハウスを貸してくれた爺ちゃんに挨拶をしたら、黒パンのサンドイッチをくれた。丁寧に木箱に入れて、飲み物まで。牛乳とすり潰した果物を混ぜ合わせた、のトロッとした飲み物。滞在中何度も飲んだが、まさかまだ楽しめるだなんて。
……何から何まで、本当に本当に。
「ウェルーマ、ウェルーマ」
覚えたての感謝の言葉を伝えると、爺ちゃんはニッコリと笑う。
「オゥニ ミティカ。ニェンニ」
──旅の幸運を。気を付けて。
確か、そういう意味だ。
力強いハグを受け、ログハウスを後にする。玄関口で手を振ってくれている爺ちゃんに、此方からも言葉を送った。
「セゥーダ ェルレスタ ラーャ。またね、爺ちゃん」
貴方の人生が輝きに満ちていますように──この国の独特の感性を無理矢理に翻訳すると、そんな意味になる。
教えてくれた人形屋の店主は、この言葉は別の言語でしっくりくる表現がないと言っていた。完全には翻訳できない、無二の言葉。
発音が正しいか自信がないが、こういうのは心持ちが重要だろう。爺ちゃんは、胸の辺りをとんとんと叩いて、優しい顔をしていた。きっと、感謝の気持ちは伝わった。
心優しき彼に幸あれ!
さて、出港の時間に間に合わなくならないよう、急いで港に向かうとしよう。

──ぎりぎりで間に合った。
甲板から振り向けば、自然に満ちた国が少しづつ離れていくのが見える。
一枚、土産代わりに写真を撮った。
……さよなら、またいつか。そんな気持ちを込めて、小さく手を振る。
燦々と降り注ぐ陽の光が眩しくて、後ろ髪を引かれながら船内へと引き上げた。早く起きたから、少しの間眠ろう。夢でまた、あの国をもう一度見て回ろう。
そして目が覚めたら、次は何処で降りようか。




※作中で登場する国、及び言語は架空のものです。

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