でしゃばりで神経質な子供時代

最初はこういうブログみたいなのに興味はなかったんだ。

適当に仲間内で自分の考えを言ったり相手の話を聞いたりしていた。

そしたら何人かに「何かお前の頭の中身を文章化できたら面白いのにな」と、褒められているのかけなされているのか分からないけど、言った側は一度見える形で外に出してみろって感じで言ったのだと思う。

音楽は楽譜も読めないし、絵は魚を描いたら「たい焼き?」って人様から言われたくらいだから最後は自分でも書くことしか思いつかなかったけど。

文章で書いてみたら少しは自分に素直になれるんじゃないかと思った。

あと見知らぬどこかの人が自分の考えを読んで何か感じるものがあるのかどうかもちょっと知りたくなった。

でも正直この作業は難しい。

部屋中に散乱したたくさんの本を五十音順に本棚に戻していくような気が遠くなりそうな気分になってしまう。

まあ、のんびりと書いてみるよ。

みんなもこの投稿はのんびり読んでくれ。つまらなかったらもっとみんな自身のためになる事を書いている人の投稿を自由に読んでくれたらいい。

俺の投稿は自由に心の深海で漂っている思考の断片を適当につかんで出しているので一貫性はない。

なので真面目な話もあれば、なんじゃこれって話題もある。

今日は真面目な話題でもだしてみるよ、リスナーたち。

これだと文章化というよりラジオ放送だな。

とりあえず、オンエア。

俺は小学校の頃は素直で明るくて、放課後は友達と同じようなタイプのマウンテンバイクに乗って公園に向かった。

遊びは何でも思いついた。ボール遊び、鬼ごっこ、流行のおもちゃで競うこともあった。

夕方までに全力で体力を使い果たして夜は爆睡した。

ガキの朝は早い。午前7時起床は遅いくらいだ。ついでに子供のくせに朝風呂に入って小学校に行っていた。

朝の会までの間は俺よりも早く登校していたやつらと校庭でドッジボールなんかをしていた。

給食の時間は同じ班のやつと「笑って牛乳を吹いたら負け」という頭の悪いガキども(失礼、わんぱくなお子様たち)が思いつくゲームをしていた。

そういえば今も小学校の文集はきちんと残している。

大体の学年の文集の最初のページにはクラスのみんなが教室で集まった写真が貼られている。

俺はいつも真ん中の場所で写っていた。

でしゃばりで目立ちたがり精神がこの時代から潜在的にあったのかと自己分析する。

でも中学校に入ると簡単に言えば思春期になったって言えばいいのかな。

少し心の状態が変わった。

クラスの中で他のクラスメイトからどう見られ、思われているのか気になるようになった。

中1は同じ小学校の仲良しグループのやつらが同じクラスになったので、当たりのクラスだった。

持ち前のでしゃばり精神で学級委員に立候補。夏休み前の大イベントの学年キャンプは学級委員が司会とか盛り上げ役でけっこう活躍。なので、全然違うクラスのやつらとかも友達になれて案外良かったよ。

でも中2のクラス替えがちょっと変化のきっかけだったかな。

中学は別の近所の小学校と一緒に上がってくるので、クラスの半分くらいが知らないやつになった。

今の時代でいう「ありのままの自分」っていうのに疑いは無かったんだけど、夏休みが終わって2学期に入った頃に違う気分が芽生えた。

クラスの中で「一人で居たい時間」っていうのが欲しくなった。

それまでは「元気で明るいやつ」っていう友達からのイメージを無意識か意識的につくっていたのか、常に誰かと一緒だった。

でも、もしも教室で机に一人座っていると「グループの輪からはずれたヤツ」って思われそうで、結局できなかった。

いつも通り大声で笑ったり、目立って、こいつはなかなかやるなあ、って思って欲しくて自分の心のどこかで頑張っていたのかも。

初めて自分の心で「自分」に疑問が浮かんだことになる。

そういえば、中学に入ってから自分なりに自由に過ごしていたつもりだったんだけど、中1の2学期くらいから登校前後や午前中の授業中にお腹が痛くなってしまうことが増えた。

みんなも共感してくれたら嬉しいんだけど、学校の授業中にトイレに行くのってすっごい恥ずかしい。だから中学生活で唯一毎日嫌なものはその腹痛だったんだ。

最初は市販の腹痛止めとかでごまかしていたけど、中2になって初めて病院で診察を受けた。

最近は当たり前になった言葉だけど過敏性腸症候群ってやつで、神経質な子がなりやすいものらしい。

ただ思春期の場合は次第に治ることが多いらしい。確かに今は痛くなることはほとんど無くなった。

でも「神経質」という性格は当時の自分と一番縁遠いものだろうと思っていたので診断を受けてちょっと驚いた。

ただ担任の先生がかなりの胃痛持ちだったので、なぜか俺の状況をとても同情してくれた。怒るとかなり怖い先生だったけど、そこだけは助かった。

なので毎朝処方された腹痛止めの薬を飲んで「これで大丈夫」っておまじない的な感じの気分で学校に行くと数日間痛くならない日が続いてちょっとホッとした。

ただこの薬を開発してくれた製薬会社には悪いが、この粉薬がくそまずい。最初そのまま飲んだら薬の味を感じた瞬間にえずいてゴミ箱に吐き出してしまった。

対策として薬局でオブラートっていうそれに薬を入れて包んで飲むと大丈夫ってやつがあるから、眠い朝っぱらから粉薬を数枚のオブラートに自分でちまちま入れて格闘してたよ。

中3は高校受験がメインになったので日常の学校生活プラス初めての受験勉強という俺の腹には最強コンビのストレスになったようだ。でも修学旅行は楽しかったし、卒業式はそのままあの場面を映画化しても大丈夫っていうくらい自分の中では忘れられない。

だから今でも小・中学校の友達と偶然会うと「あの頃が一番自由で気楽だったよなあ」という話になることもある。

でも記憶は美化される。きちんと正確に自分の記憶をたどると美化された現在の思い出とは違う毎日をあの頃は送っていたのかもしれない。

サンキューリスナーたち。俺の昔話につきあってくれて。





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