ゴンドラの唄

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最近の記事

後輩と会って

ここ二週間、私はコロナウィルスで隔離されている。体調も軽く崩し、倦怠感と家から出れない状況は辛いが、これもまた今しか出来ない経験なのかもしれない。そんな中、昔通っていた塾の先生から連絡があった。ズームにて高校生と最近のワクワクついて会話するセミナーに参加して欲しいとのことだった。コロナを理由に断ろうと思ったが、先生はコロナでエクモまで入って瀕死を経験をした人だったので、私の体調程度では断るのは恥ずかしい。なので、セミナーを受けることにした。セミナーでは色々な高校生がワクワクに

    • サバイバル

      今週は、新学期の疲労と不安でほとんど何も考えてなかった。ジャックタチも一本も見なかった。なので、今ここで適当に何か考えて書こうと思う。 今日、写真家の豊と久々に会った。豊は少しよくわからない事を言う人間で、それでいて言葉に説得力のある不思議な人間だ。彼とモチベーションの根源はどこにあるのかと話していると、彼は私に対し、「結局、どこにいてもサバイブできる様になるって話でしょ?大我は。ほら、今ウクライナに飛ばされても生きれるっていうか。」と言った。正直、そんな状態は目指してもい

      • 久しぶりの投稿

        冬は終わり、大学7年目の春。新学期も始まり、私は現在苦境に立たされているが、桜の新芽を横目に心を新たにした。入学して直ぐに私は留年の予感を感じていたが、まさか、ここまで大学に在籍するとは思っていなかった。モラトリアムに任せズルズルとここまで来てしまった。結局今も、アイデンティティなど確立できていないし、出来る見立てもない。しかし、このまま留年し続けるのかという訳にもいかず、この悩みを自分の中で漂わせつつも前に進むしかないという心境である。なんとなしに気付いてきたが、私のモラト

        • メタ的演出について

          これも私が勝手に考えていることなので、何か参考があったら情報求む。映画内現実と観客の間に距離があるということを、前の記事で語った。距離があるゆえに可能な演出について語る。 「心中天網島」という映画がある。この映画は人形浄瑠璃の演出方法を取り入れることをコンセプトにした作品である。ストーリーも実際にある演目から引用したものだ。ストーリーに対しては特にいうことがないので、ここでは触れない。着目すべきは、演出である、この映画では、映像の中に人形浄瑠璃の黒子が度々現れる。黒子はただ

        後輩と会って

          映画のメタ性

          今回は、映画のメタ性というものについて考えてみる。私が勝手に作った言葉なので、他の人間が違う言葉で表現しているかもしれない。情報を求む。 映画は、ある種の人生の覗き見である。観客は、描かれている登場人物を一方向的に見ているのであって、あちらから観客を覗くことは無い(特殊な演出下の元ではある、演劇では多用)。カフェで友達と会話している時の視点と、カフェで話し合っている主婦を見ている時の視点に差が生まれるように、一方性はというのは、観客に映画そのものを俯瞰させ、観察させる効力が

          映画のメタ性

          ツツ #3 - 演技メソッド開発 -

          演技・演出メソッド開発のため、ここ数週間取り組んでいるNEO(5因子理論をベースとした、質問表を用いる性格検査)は偏差値がアウトプットされる。どんなに点数が高くても100点にならないゲームだ。各列の偏差値を結べばその人の形ができ、そこからいくつかの精神疾患の傾向を導き出すこともできる。ただ、神経症傾向が高くとも、誠実性が低くとも、それだけでは、本人が苦しんでいるかは判断できない。その人がその時苦しんでいたとしたら、それはその時導かれたモデルと、その人が持つ人間観や、置かれた環

          ツツ #3 - 演技メソッド開発 -

          ツツ#2 - 全体の奉仕者②-

          この記事の中で、「事件への関心が薄い観客も当事者にするため、彼の日常を描くことを決断した。」と書いたが、その背景に2つの出来事がある。 ひとつは、赤木雅子さんが東京で初めて公演を行った、2022年1月30日。 言葉を紡ぎ出し、質問を受け、ただそこに赤木さんが居た。そして、ひとりの女性の覚悟におんぶに抱っこの世論を見た。その中の自分も。どんな伝え方だったとしても、最後に背負うのは彼女だと言うのに、見て見ぬ振りか、無自覚か、眼をきらめかせ「頑張りましょうね」と言う。押し付けの

          ツツ#2 - 全体の奉仕者②-

          〈ステイトメント〉

           キックとベースだけではプログラムし得ないリズムと、内省的でノンリニアなブルースが演出するアンビエンス。クィアの写真家ヴォルフガング・ティルマンスによるポートレート。古語フランク由来男性形の『blond』と冠されたジャケットと異なる女性形のタイトル『blonde』(blonded©︎) のネーミングに仕組まれたレトリックの正体は、被写体の "黒人ヒップホップアーティスト" と、その撮影者が抱えるジレンマを婉曲する唯一の反語法だった。写真家は、被写体の髪が、金色に染められた姿な

          〈ステイトメント〉

          虚無と映画

          私が好きな映画は、生命を讃歌するものだ。人生の虚無に対して、力強く抗おうとしているものだ。そういった映画を見ると、なんだか自分の人生に勇気を持って接しようと思える。それは私自身が、虚無に対して恐怖してる故の感性だと思う。先日、フェデリコ・フェリーニ監督の「8 1/2」という映画を見た。まさしくこの映画こそ、監督自身の虚無へのもがきを映したモノだった。 〜あらすじ〜 著名な映画監督のグイドは、新作の構想と療養のため、温泉地へとやってくる。しかし、一向に定まらない映画内容と、周

          〈メソッド開発に向けての道標〉

          今日は、ゴンドラの唄(今野誠二郎、牧大我、それと僕:川村勇仁)が目指すものへの道標を、今までのこととこれからのことに分けて書きます。 ●今までのこと、問題意識の芽生え 僕が誠二郎と大我に出会ったのは去年6月だったと 思う。 誠二郎が運営している神楽坂F/Aactoryで、大我が主催していたボンボン映画祭に遊びにきたときだった。 作業場で、大我とビートルズの話で盛り上がって、映画を一緒に作ろうって話になった。 (そのとき、1Fでみんなの様子を静かに観察してた誠二郎が、

          〈メソッド開発に向けての道標〉

          ツツ#1 - 全体の奉仕者① -

          来る2022年4月1日に六本木ANB TOKYOにて展示を控えている。 ”生が損なわれることへの、慄然たる抵抗” ドキュメンタリーアクターである私は、現実に存在する/した人物を本人または、近親者への取材を通して演じゆくという一連を自身の表現としている。 新作では、森友問題で改竄を強いられ自死した赤木俊夫さんの日常を1時間ほどのスクリプトとして描き、10日間の会期中それを繰り返し演じる。 近親者へのインタビューや、役作りの上で集めた資料等を元に映像作品も制作し、同時に流す

          ツツ#1 - 全体の奉仕者① -