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ツツ#2 - 全体の奉仕者②-


この記事の中で、「事件への関心が薄い観客も当事者にするため、彼の日常を描くことを決断した。」と書いたが、その背景に2つの出来事がある。

ひとつは、赤木雅子さんが東京で初めて公演を行った、2022年1月30日。

言葉を紡ぎ出し、質問を受け、ただそこに赤木さんが居た。そして、ひとりの女性の覚悟におんぶに抱っこの世論を見た。その中の自分も。どんな伝え方だったとしても、最後に背負うのは彼女だと言うのに、見て見ぬ振りか、無自覚か、眼をきらめかせ「頑張りましょうね」と言う。押し付けの善意ほど迷惑なものはないと初めてはっきりと自覚した瞬間だった。

そして、弁護士の生超さんが、「私はジャーナリストでないので言えますが、辛かったらいつやめてもいいんですよ」と言った時に、なんか安心してしまった。

事件からゆっくり考える時間などなく、あれよあれよという間に戦場に立ち(そこに意志がなかったわけではない)、いっぱいいっぱいで言葉を吐き、本を出し、記者の前に立ち、僕だったら白昼夢の中のように感じただろう。

鉄砲水の如く日常を奪われた個人と、社会の縮図としての組織の話。その歪な関連に違和感を覚えたのがこの時だったように思う。

もうひとつは、雅子さんにお借りしたホームビデオを見た、2月16日。

すごく、実家のホームビデオに似ていた。父親が撮る、ブレブレの、興味対象が局所的な映像。なんていうか、すごく普通で、そのことに驚いていた。次の瞬間に、普通なことに驚いている自分を観察し、それを恥じた。僕も、ドラマを求めていたのだと。存在を奪わせない、奪われない、奪わないことだけやろうとしていたはずなのに。

1人人力車に乗らずしてまで、家族の姿を記録していた俊夫さん。ビデオに移る雅子さんは、僕が知っている雅子さんと似ているようで別人に思えた。著書の中の、「私の趣味は赤木俊夫です」という発言や、手記を渡して旦那の後を追おうとしていた過去は本気だったのだとそこで確信したのだった。

「そこにあった生を、一緒に探して、取り戻したい」この動機は、こうして生まれていったように思う。

僕が、この赤の他人が撮った普通のホームビデオを、繰り返し見ているという奇妙な状況にこそ歪さが集約されている。ここに立脚しながら、制作を行うつもりだ。

ひょんなことから知り合い、歳の離れた友人のように接することになった僕だから感じうることがあるかもしれない。作品のために接触していたり、僕に功名心がもっとあったら違った見え方になっていただろう。(綺麗な言葉だけも気持ち悪いから言うが、功名心が全くなかったわけではない。しかし、一緒に行った熊本も、福島もなんか面白そうだからついてった。)

だからこそ、自分の日常が大切で事件に関心のない人々と、真実追求のためには個人をおざなりにしてしまいかねない人々の間で二極化している現状に、補助線を引くことができるのは”僕”ができることかもしれない。

佐川氏の代理人が、雅子さんの「お墓参りに行ってきました、佐川さんに伝えてください」という訴えに対して、「伝えます」しか言えない歪さ。人間としての自然な反応を押し殺す、組織の力学、俊夫さんを奪うこととなったその歪さを飛び越えるパスを敷けるかもしれない。あくまで第三者として、ただ、歪な第三者として。

何もドラマは求めない。あーでも、うーでも、何も起こらなくてもいい。戯曲としての完成度は求めるべきではない。あくまで演技を、そこに人がいて、動いている、生きているという状況を作るのだ。カフェでパフェを食う老人をつい横目で追ってしまうように。

そして今私は、確かに時間が動き出していることを感覚している。文章やニュースの中の存在でしかなかった俊夫さんだったが、彼が通ったカフェや、好きだった建築物に足を運び、彼が録音した落語を聞き、当時の彼を知る人に話を聞く中で、彼がここにいたのだと、彼に会っているとすら感じる。

雅子さんに、俊夫さんが朝起きてから家を出るまでに何があったかを詳しく聞く中で、彼女自身の時間も動いていたらと願う。「あの話の後、とっちゃんのこと思い出した」こんな嬉しい言葉はなかった。

僕は死者に対して、”存在しない”と言う感覚が希薄だ。お墓参りに意味を見出しきれない自分には驚いた。今回と、前回(2021年10月に、ちょうど1年前事故で亡くなった友人を演じた)の大きな違いは、演じる対象の人物を直接知っているかどうかである。しかし、それもいつの間にか乗り越えてしまっていた。雅子さんの中に俊夫さんを見ているし、京都の端々に彼を発見し続けている。よく考えたら当たり前だ、役者は全くのフィクションだって演じることができるのだから。

人間は全く未知のものを理解しない。あくまで自分に内包された要素を経由し、被演技者を知るものを経由し、被演技者へとアクセスする。そのプロセスを経て、彼しか知らない自分というものを保存しようと試みているのだ。その証拠に、日記が雅子さんの視点(を想像したもの)を重ねたものになった。大石慎治(前回の被演技者)を演じた時にも、まず彼の最も親しい友人を知ろうとした。彼女の中にいる大石を知ろうとしたのだろう。彼しか知らない私と、私しか知らない彼を混同しながら、残そうとしたように。

2022年3月11日、雅子さんの家でウグイスの鳴き声が今年初めて聞こえたと言う。俊夫さんは、毎年それをメモしていた。改竄をしてしまった2016年2月。一切笑わなくなったと言われるその翌月の3月でさえ。

関係者が皆それぞれ苦しんでいる。それぞれが本気だからこそ苦しい。おかしいのは、存在を奪う力と、それを見て見ぬ振りする臆病なはずなのに、それが強大すぎて、互いのとげで傷つけあっている。正攻法でだめならば、ポンと驚く飛び越え方で。


世界の半分を失った人がいる。奪ってしまった人がいる。そんな人々がなんとか前を向こうとしてる。苦しいだとか、死にたいだとか口が裂けても言えない。駅のベンチから立てなくなってしまった。僕は僕に対しても気丈に振る舞っていたようだ。

ただ居てさえしてくれれば。何も多くは望んでいない、誰もと同じ、朝起きてから家を出るまでの、10分ぐらいの1時間。ただそれが繰り返されさえすればよかったのに、それも許されなかった。パンは自分で焼かなくていい、コーヒーも自分で淹れなくていい、携帯も忘れていいし、「今日は駅まで歩いて行くよ」なんて約束も、一度も守られなくてよかった。不満げに車を出すのが好きだった。

Mさんは、電話口と、LINEでの文面がまるで別人だ。友人は、「大人は大体そうじゃない?」と言っていたが、僕はつい、電話に出る前に深呼吸する姿を想像してしまう。笑っていても笑っていない。ハハハハハ。今日も、浮いてるハハハハハ。人は案外気がつかないものだ。そりゃ詐欺師が儲かる。笑えば笑うほど、笑い声が脳に詰まる。耳から入るなら、逆の耳から出ていきゃいいのに。そこにかしこに跳ね返り、いつものあの夢になる。

世界の彩度が落ちてきた。コントラストはそのままで、目脂が視界に入ってるみたい。直射日光浴びたみたい。半分無くなったまま。ぼーっとするとその黒が、こちら側まで押し寄せる。生きた心地がしなくなり、水から顔をガバッとあげる。動悸がすごい。笑いかける相手もいない、どうせ何しても一人だし、また暗闇。

段々これにも慣れてきた気がする。声も思い出せない。口癖を聞かれても困った。こんな擦り剥きだらけで皮もただれて、肉が見える私を前に平然と接してるお前が憎い。慣れた。グレートーンの地球にも、料理をしない台所にも。”そういう人”になるんだろう。もうなってる。また希望的観測。生きた死人。ぽつぽつ。今までの人生で、スクランブルで何人のこいつらとすれ違ってきたのだろう。ここまで明確に違うのだから、帽子か何かで分けたらいい。名前なんか奪ったらいい。番号で呼ばれても笑って気にしない。

ただいること。それでよかったなんて、今更思っても意味がない。全くもって意味がない。忌々しい。何も言わなくても、仕事がなくとも、一日中寝てても、少しだけでもそこにいてくれたら。3ヶ月それが続いたらさすがに鬱陶しく思うだろうか。私は漏れなく我儘なので、居て欲しいと思う。

2022/03/11の日記

もう、世話は焼かない。差別的なまでに自分勝手な選択を。ノイズキャンセルを解かない。生を尊ぶ、そんな当たり前のことがここまで苦しくならないために。

2022/03/12 ツツ

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