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ツツ#1 - 全体の奉仕者① -

来る2022年4月1日に六本木ANB TOKYOにて展示を控えている。

”生が損なわれることへの、慄然たる抵抗”

ドキュメンタリーアクターである私は、現実に存在する/した人物を本人または、近親者への取材を通して演じゆくという一連を自身の表現としている。

新作では、森友問題で改竄を強いられ自死した赤木俊夫さんの日常を1時間ほどのスクリプトとして描き、10日間の会期中それを繰り返し演じる。
近親者へのインタビューや、役作りの上で集めた資料等を元に映像作品も制作し、同時に流す予定だ。

経緯としては、俊夫さんの妻である赤木雅子さんが国を相手に起こしていた裁判が、認諾(端的に言うと、国は賠償金を払って深追いを逃れた)という結末を迎えたタイミングでこのテーマを扱う覚悟が生まれた。

しかし、ある種デモ的にドラスティックな表現(例えば改竄後の鬱状態の俊夫さんを演ずる)を選ぶより、“不条理にある存在が奪われ、それがうやむやにされようとしている“というこの事件の原点に立ち返り、事件への関心が薄い観客も当事者にするため、彼の日常を描くことを決断した。

1時間の“あまりに普通な“シークエンスの中に、連続的に違和を取り入れ、「普通なことに驚いていて、それが異常である」という状況を作る。

それは、演技の構成自体というよりは(演劇としてでなく、あくまで演技を見てもらうため)、黒塗りされたファサードのアイデアや、映像作品、副音声などで実現する。「森友の問題だ」と思考停止させないよう、あまりに直接的な表現は避けながら足を止めさせる境界を探るつもりだ。

(生が)”損なわれた” と使っているのは、「奪われる」は奪う主体を明確にしすぎであるし、「失われた」では自然消滅すぎる。また、完全になくなったわけではないというのが重要な要素だ。妻・赤木雅子さんの半分は彼で、その他多くの人も彼を知っている。誰1人にも認知されず死んだとして存在はなくならないと信じたいものだが、特に彼はまだこの世にいる。

そして、私は不条理に損なわれただけの存在を取り戻そうとしている。
僕の、誰かの存在に手をつけさせないために。

○ 国民全体の奉仕者であることを自覚し、公正な職務執行に当たらなければならない。
○ 職務や地位を私的利益のために用いてはならない。
○ 国民の疑惑や不信を招くような行為をしてはならない。
○ 公共の利益の増進を目指し、 全力で職務遂行に取り組まなければならない。
○ 勤務時間外も自らの行動が公務の信用に影響を与えることを常に認識して行動しなければならない。

俊夫さんが常に携帯していた国家公務員倫理カード


水曜日担当 ツツ


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