久しぶりの投稿

冬は終わり、大学7年目の春。新学期も始まり、私は現在苦境に立たされているが、桜の新芽を横目に心を新たにした。入学して直ぐに私は留年の予感を感じていたが、まさか、ここまで大学に在籍するとは思っていなかった。モラトリアムに任せズルズルとここまで来てしまった。結局今も、アイデンティティなど確立できていないし、出来る見立てもない。しかし、このまま留年し続けるのかという訳にもいかず、この悩みを自分の中で漂わせつつも前に進むしかないという心境である。なんとなしに気付いてきたが、私のモラトリアムが終わる時など、長期的に見て一生来ないと思う。きっと、忙しくて考える暇がない時にだけ、モラトリアムから解放されるだろう。それも一時的だ。むしろ、この悩みと考えに執着をし続けることが、私にとって大事なのだろう。その執着心こそが、私の内面におけるアイデンティティであり、唯一の自分の生きる目的を作る存在でもあるからだ。

モラトリアムというのは、確かに不快を感じるモノである。気力を削ぎ、体調を崩し、脳を破壊する。私の悩みが一番激しかった時は、一日16時間寝ていて、残りの八時間は飯は食べるが風呂に入らず、布団に篭りってスマホを弄っていた。たまに何を思ったのか立ち上がり、机に向かってぶつぶつと言葉にならない様な考えをノートに書き起こしていた。あれは病であった。しかし、今となっては、あの体験は私の良き財産だと思える。私は自分の中に内圧あることは良いことだと思う。その強大な内圧があるからこそ、環境の外圧に対してケロッとしてられるものだ。大事なのは、内圧との付き合い方だ。真っ直ぐに向き合いながらも、横に逸らす。主観で立ち向かいながらも、どこか俯瞰の視点を置いておく。そうすれば、内圧に飲み込まれることもなく、情熱的で冷静に発見を重ねられるはずだ。

大学院の試験に向けて何週かに渡って、週ごとに映画監督の自分の研究を載せようと思う。誰も見ていないかもしれないが、せっかくの機会と場なのでここにまとめたい。川村にも誠二郎にもバレないように、淡々と裏で書き続けよう。来週は、ジャックタチの作品を見てきて、そこでの発見をまとめようと思う。

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